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【ニューヨーク】(2)

今回、少し長くなりました。すみません。



「ねえ。さっきから思っていたのだけど」

「はい?」


 ローズマリーは、ふと思い出したように、手元のグラスと俺の顔を交互に見比べる。

 そして、不満げに顔を歪めた。


「女性ばかりに飲ませて、男性が飲まないというのは、どうなのかしら?」

「いえ、自分は給仕を……」

「私が許します。飲みなさい」


 強引な物言いだが、言われてみればもっともな気もした。俺は今、ほとんど個人的な用で外に出ているわけだし。

 即座に、その場に一つショットグラスを出して、流れで『ライ・オールド』を注いだ。

 これがもし伊吹だったら、この場にあるテイスティンググラスで間接キスしても、何も気にしないのにな、とか思いながら。


 俺がグラスを構えると、ローズマリーも満足したように、グラスを手に取る。

 そして、優雅にこう尋ねた。



「では、あなた。今日は何か『良い事』はありましたか?」

「え?」



 一瞬、手に持ったショットグラスを落としそうになった。

 その尋ね方が、先程思い出した、記憶の中の伊吹と似ていたから。

 俺は目を瞬かせて彼女を見るのだが、俺が驚いたことに対して、ローズマリーは不服そうに目を細める。


「何を驚いているの。そこは、このローズマリー・メリアステルと出会い、会話している幸福を謳うところでしょう」

「……あ、ああ。はい。そうですね」


 言われて、少し恥ずかしくなった。

 伊吹の口癖はどうあれ、出会いに乾杯するのは、別に珍しいことでもないじゃないか。

 俺は、少し視野が狭まっていたのを反省しつつ、グラスを掲げた。


「では、今日の良き出会いに乾杯」

「ん、乾杯」


 カチリ、と静かに杯が鳴った。




 ──────




【ニューヨーク】

 耳慣れない響きの名前だった。


 色合いは、鮮やかな赤色。もしくは深い茜色とでも言うべきだろうか。

 今まで見てきた中でも、群を抜いた不思議な鮮やかさだ。そしてこれまた見た事もない逆三角形のグラスに、それは注がれている。

 好奇心は、大いに昂っているのをローズマリーは自覚する。


 とはいえ、ローズマリーの脳裏には、まだ先程の琥珀色が喉を刺激していった感触が色濃く残っている。

 はいそうですねと、あっさり受け入れるには少し躊躇いがあった。


 だが。


(こんなところで、留まることは許されない。それが、私の意地よ)


 ローズマリーは自らの意志でその弱気を切り捨てる。

 そうでなければ、いつまでも頭に残る『青髪』の幻影を、振り払うことなどできはしない。

 今目の前にあるものが、まさしく彼女の差し向けた、刺客のような気さえしていた。


 ローズマリーがグラスを口へと近づければ、必然的にその中に篭る香りが開く。

 華やかな赤を象徴するような、甘みのあるベリー系の香り。そして、すっと鼻を通っていくライム──柑橘系の香り。

 それらと上手く溶け合って、先程ローズマリーをむせさせた『ライ・オールド』のどこか素朴な芳香が存在している。


 その香りに手招きでもされているかのように、ローズマリーは逡巡の間もなく赤い液体を口に含んでいた。

 驚いたのは、その液体は確かに、先程飲んだ『オールド』の風味を持っていたことだ。

 色だけを見れば似ても似つかず、香りであってもそれほど主張はない。それでも、舌を包むような感触──全体に感じる風味は、先程飲んだ筈のソレである。


(……スルリと喉に滑り込んでくる……!)


 しかし、ローズマリーの喉は、その液体をもう一度拒絶することをしない。

 確かに味わいの入り口、全体的な雰囲気、後味の余韻などにいくらでも『オールド』を感じる。

 しかし、それ以外の、直接舌を叩いてくる味わいは、ベリーと柑橘のフルーティなものである。

 口に入った瞬間から、颯爽と喉元まで駆けていく、ライムの鋭い酸味。

 含んだ瞬間から、陽光のように温かく、蝶のようにふわふわと舌の上で踊るベリー系の甘味。

 その二つの果実が美味く混ざり合い、喉への刺激を和らげているのだと分かった。


 冷たく、鋭く、舌の上を駆け回る刺激。甘く、柔らかく、口の中を広がる微風。

 それらを奥深く包み込む『オールド』独特の風味と、強さ。

 渾然一体となった味は、『オールド』の特徴を残しつつ、全くの別物へと変化している。

 頭の中にスルスルと流れ込んでくる未知は、さながら未来の光景を味わっているようですらあった。


 鋭さと柔らかさ、そしてそれらを包み込む、得体の知れない大きな何か。

 甘美な魅力があり、同時に冷徹な一面も持つ、人間の心のような深み。

 とても居心地の良い場所。しかし、そこに満足していては置いていかれる場所。

 頭を駆け巡ったそれらのイメージに、ローズマリーは知らず、胸のあたりを押さえていた。

 自分だけが、取り残されたような、得体の知れない恐怖に侵されるようだった。


 しかしそれも長くは続かない。

 そうしていると、喉を通ってお腹まで降りてきた『カクテル』が、じんわりと熱を放つ。

 その熱に、自分の存在を肯定してもらったような、不思議な感覚があった。


 もう一口含んでも、先程のような気の遠くなるような揺さぶりはない。

 その一杯に居場所を与えられて、ローズマリーは安心したのだと悟った。


 最初は拒絶され、次第に受け入れられた。

 まるで、自分──ローズマリー・メリアステルのようだ。

 そして、同時にスイ・ヴェルムットのようでもある。

 ローズマリーは、続けざまに飲んだ二杯のポーションに、そんなシンパシーを感じていたのだった。




 ──────




 俺が、口に含んだ『ライ・オールド』の味を堪能しているところだった。


「……【ニューヨーク】とは、どういう意味なの?」

「……意味ですか……」


 開口一番。

 カクテルを一口干したローズマリーの疑問に、俺は少し口籠もった。


 意味を尋ねられると、やや困るところがある。

 なぜなら、このカクテルはまんま、地球のアメリカにある『ニューヨーク』から名前を拝借しているからだ。

 正確な名付けの記録は、残っていないようなので詳しくは知らない。だが、俺にレシピを教えてくれたときの先輩の言葉は覚えている。

【ニューヨーク】は、ウィスキーが苦手って人に、新しい味わいを教える入り口になれるカクテルだ、と。

 だから、この場で説明するには、簡潔に済ますのもアリか。


「地元の言葉で『新しい入り口』とか『中心』とか、そんな感じですよ」

「ふぅん?」


 ギリギリ嘘を付いてないレベルの適当な返答である。

 ローズマリーは俺の言葉に満足したのかは分からない。


「不思議な味ね」


 ローズマリーはグラスに半分ほど残った赤を見つめながらそう言った。

 俺は注意深く彼女の表情と、声音の調子を見てから、尋ねる。


「お口に合いませんでしたか?」


 ローズマリーはグラスを指先で弄びつつ、わざと俺と視線を合わせない。

 その表情は、面白そうに緩んでいるのが分かった。


「合わなかったと言ったら、どうしてくれるのかしら」

「申し訳ありません、と頭を下げて、違う一杯をお作りしますよ」

「ふうん。そう」


 トンと、テーブルにグラスを置き、今度は真っ直ぐ俺を見つめて言った。


「では、気に入ったから、ずっと私の家でカクテルを作りなさいと言ったら?」

「残念ですが、お断りさせて頂きます」

「何故かしら?」


 探るような瞳だが、それが冗談半分、本気半分の誘いらしいことは分かった。

 そして、俺が変なことを言ったら、きっと彼女は納得してはくれないのだろうことも。


 以前、こういう質問を確か、吸血鬼の女王にされたことがあった。

 あの時は、なんて答えただろうか。

 確か『営業中のバーテンダーは、誰のモノにもならない』とかか。

 今の俺はなんだろう。

 営業時間ではあるが、バーテンダーであるだろうか。

 ここはバーではないし、俺も別に接客をしているわけではない。

 そもそも、自分の好きな酒を注いで、乾杯してるくらいだ。


 だが、俺の口からは自然と、断りの言葉が出ていた。

 それは、俺にはまだ、あそこを去れない理由があるから。



「俺には、見つけなくちゃいけない答えがある。カクテルの先で、出会わないといけない人が居る。それまで、俺はどこへも行けないんです。すみません」



 俺にはまだやるべき事が残っている。

 それを放り出すことなど、できはしない。


 ローズマリーは俺の返答に、何を思ったのだろうか。

 しばらく吟味するように目を閉じ、遠くから聞こえる音楽に耳を澄ますよう、物音一つ立て黙り込んだ。

 俺もつられて静かにしていると、夜の静けさが染み込んでくるようだ。

 この瞬間が、何か決定的な世界の選択であるような。それでいて、ちっぽけな存在の俺には、何も選べないような。そんな、不思議な寂しさを感じた。

 しばらくしてローズマリーは目を開き、にこりとした笑みを浮かべた。


「良いわ。ただし約束よ。いずれあなたを招待するから、その時は腕をふるいに来なさい。それくらいなら、良いでしょう?」

「都合が付けば」

「付けなさい」


 ビシッと、最後に自分の要望を押し付けるローズマリー。俺は彼女のその傲慢なところが、あまり嫌いになれなかった。

 どことなく、ものぐさな俺を強引に引っ張っていく伊吹の姿を、重ねてしまったのかもしれない。


 そうしていると、会場から届いていた音楽が途切れた。

 その段階で、ようやく俺は自分たちに近づいている足音に気付いた。随分近い。

 目を向けると、年齢不詳だが鋭い眼光を放つ老人の姿があった。


「お嬢様。探しましたよ」

「メギスト。何の用かしら」

「勝手なことをしないでください。どうしてパーティに出席して、パーティ会場から抜け出しているのですか」


 メギストと呼ばれた老人は、眉一つ動かさずにローズマリーに苦言を呈している。

 長身で身体もがっしりしている。表情からは厳つさと思慮深さが同時に感じられ、真っ白く染まった髪の毛ですら、加齢の衰えでなく、重みを感じさせる。

 だが、そんな老人に嗜められても、ローズマリーは嫌そうに顔をしかめる程度である。


「会場なんてどうでも良いでしょう。挨拶を済ませたのだから、もう帰っても良いと思うわ」

「そういういい加減な性格だから、スイ・ヴェルムットに及ばないのですよ」

「……スイ・ヴェルムットは関係ないでしょ」

「そうでしたか。これは失礼」


 そう言った老人の顔は、いかほども失礼そうではなかった。

 彼はローズマリーから、すっと俺に視線を移し、俺を舐めるように見た。

 だが、そのあとはふっと表情を和らげて、穏やかな声音で言う。


「夕霧様ですね?」

「え? はい。ご存知なのですか?」

「よく存じております。とある方のことを熱心に調べている誰かさんのお陰で」

「メギスト。分かったから、静かにしなさい」


 ローズマリーは言いながら、少し焦り気味に立ち上がった。


「余計な話をしている暇があるなら、仕事をしなさい」

「はい、今まさに、仕事をしにきたところですが」


 老人はローズマリーに冷ややかな声をかける。

 彼女は、機嫌悪そうに椅子をテーブルに収めて、老人へと吐き捨てた。


「もう行くわよ」


 俺としては、ローズマリーについても少し情報を集めたいところなのだが、当のローズマリー本人は、頬を紅く染め、その話題になって欲しくなさそうに見える。

 引き止める理由もないし、ここは彼女の行くに任せるか。

 俺が黙っていると、ローズマリーは俺を睨むように見つつ念を押した。


「あなた、総。約束、覚えておくのよ」

「かしこまりました」

「忘れたら、承知しないわよ」

「だから、分かってますって」

「……それと」

「それと?」


 先程までの強い口調から一転。

 やや口籠もったあとに、ローズマリーはにかっとした笑みで、はっきりと言った。



「カクテル、美味しかったわ。それだけよ」



 そのストレートな感想は、彼女のキャラからは出そうにないと思っていた。

 俺は多少面食らいつつ、感謝の気持ちを隠さずに返す。


「ありがとう」

「ん」


 俺が頷くと、ローズマリーは俺を一瞥し、颯爽とその場を去っていった。

 老人はペコリと俺に頭を下げ、ローズマリーの後に付いていく。

 最初から最後まで強引な女性であった。

 残された俺は、片付けをするためにテーブルに目を向けて、一つ気付いた。



「【ニューヨーク】……全部飲んでる」




 いつの間にか、空になったグラス。

 それは、彼女の最後の言葉が本心からだったのだと、教えてくれているようだった。




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