【ホット・バタード・ラム・カウ】(1)
「……なんで、牛乳なの?」
「まことに勝手ながら、お客様がお好きなのでは、と思いましたので」
俺が丁寧に答えると、ぐっとライは言葉を詰まらせる。
だが、否定の言葉は返ってこなかった。間違っているのにわざと否定しない、という性格の悪さをライからは感じない。正しいのだろう。
この世界にも、どうやらあるらしい。
『牛乳を飲めば胸が大きくなる』という言い伝えが。
彼女は先程、落胆の際に自身の胸に手を当てた。そして、自分よりも大きい姉の胸をじとりと見ていた。
それを結びつけるのはやや短絡的であるが、分かりやすい行動だった。
さらに思い返せば、昼食の席にて唯一、工夫の感じられないものは『飲み物』だった。
普段から水を飲んでいる可能性もあるが、ここは食堂。お茶やその他の飲み物が並ぶ可能性も高い筈だ。
客に供することを考えれば、用意は苦でもあるまい。
それらを繋ぎ合わせれば、ライの関心は『牛乳』で間違いないと踏んだ。
「それじゃオヤジさん。厨房をちょっとお借りします」
「ん? 構わねえが、カウンターで作業はしないのか?」
「その前に、必要なものがありまして」
オヤジさんはやや怪訝な表情で頷いた。
俺がこれから作ろうと思っているもの。
材料はともかく、カウンターには一つ足りない物があった。
それは、火だ。
「それで、どうやって使うんだこれ?」
厨房まで来たところで、俺は付いてきてもらったスイに尋ねた。
食堂『イージーズ』の厨房は、だいぶ綺麗に片付いている。調理場の清掃は勿論、食材の並びや調理器具の整頓。果ては仕込みの様子などからも、オヤジさんの人柄からは見えない几帳面さが窺える。
その中で、俺はある場所に立っている。
恐らく『コンロ』のような器具だと思われるものの目の前だ。
鍋やフライパンを置くような足が付いていて、火が出るための穴が中央に開いている。
側面には火の調整用のツマミも付いているので、見た目だけならなんとなく使える気がする。
だが、いくら捻っても点火する様子がなかった。
俺の質問にスイはなんでも無さそうに言う。
「えっと、まずこの動力に『魔力』を流してあげて、あとはそのひねりで点火して──」
「その『魔力』を流すっていうのが、意味分からないんだけど」
「……えっと」
彼女が動力と言った、ツマミの横にある材質不明の球体。俺は手を当ててみるのだが、そこから先というものが良く分からない。
というか、魔力の流し方が良く解っている日本人が居るわけないだろう。
「……なんて説明すればいいんだろう? 子供のころに、みんな覚えるものだから」
スイも若干困惑気味である。
なるほど。彼女の言葉通りにとらえるならば。
この魔法文明において、魔法を使う──あるいは魔力を流すという技術は『自転車の乗り方』みたいなものなのではないだろうか。
ほとんどの人間が、親に習うなりして、小さい頃にその技術を身につけている。
だから、この世界に生きる大人ならば、使えるのが普通の技術。
そう考えれば、スイは今、大の大人に『自転車の乗り方』を尋ねられているようなもの。
そりゃ、戸惑うのは当然である。
「……後で、じっくり教える。今は私がやるね」
「……すまん」
こうして俺は、この後の魔法授業を約束しつつ、コンロに魔力を入れてもらう。
スイはまず、そっと球体へと指を付ける。その後に、指先が触れた所から少しの光が発せられると、瞬く間に球体は赤い光に満ちた。
「じゃあ、やってみて」
スイに促されてツマミを捻ると、ボッと青い火が、コンロの穴から噴き出した。
「うん、大丈夫。あんまり魔力入れてないから、十分くらいしか保たないけど」
「充分だ。ありがとうスイ」
俺はスイに感謝すると急いで行動に移る。
手頃な鍋(一応スイにどれを使って良いのかは聞いた)を火にかけると、用意した牛乳をその中に注ぐ。
軽くかき混ぜながら、俺は沸騰すれすれになるのを待った。
「……あっためるの?」
「ああ」
俺の行動に、スイは好奇心旺盛な瞳をキラキラと輝かせている。
「今から作るのは『ホットドリンク』だからな」
通常『カクテル』はそのほとんどが『コールドドリンク』──冷たい飲み物だ。
だが、それは『ホットドリンク』が無いということではない。
簡単なものでも【ウィスキー・トディー】や【アイリッシュコーヒー】など、温めて作るカクテルの名前が上がる。
そして俺が今作っているのも、そういった物の『仲間』だ。
「よし」
牛乳が沸騰寸前まで加熱されたのを確認し、鍋ごと火からあげた。
そして、それを零さぬように急いでカウンターへと戻る。
「……それで、まさかホットミルクを飲ませるって言うの?」
俺がカウンターに付くと、寝起きの猫のような不機嫌な目でライが言う。
彼女は言いながらも、俺の行動に目を光らせ始めていた。態度とは裏腹に好奇心が強いのは姉妹──いや家族揃ってであるようだ。
「これはあくまで材料の一つですので。作るのは『カクテル』です」
俺は静かに答えてから、牛乳が冷めてしまう前に急いで材料を用意した。
このカクテルに必要なのは、ラム──『サラムポーション』に砂糖、そしてもう一つ。
俺は食卓に置いてあった『バター』を少しだけナイフで切り取った。
それらの準備を終え、カウンターにて作業を開始する。
まず、グラスではなくマグカップに、砂糖をバースプーンで2tspほど計り入れる。
その後に、マグカップへと温めた牛乳を注ぎ入れた。分量は正確にレシピに規定されているわけではないが、俺は160mlから200ml程度を入れることが多い。
そのあとにラムを測る。普段は牛乳とラムをおおよそ4対1にする。つまりラムの分量は40mlから45ml程度だ。
だが、それはあくまで普通ならの話である。
今の注文は『ライの好きな味』だ。
子供舌相手ならば、少なめに20ml程が、丁度良いだろう。
そして最後に、ナイフで切り取ったバターを静かに液体へと落とし入れた。
それまで牛乳の暖かな香りがしていた湯気に、急速にバターの少しだけねとりとした香りが混ざる。
その芳香は鼻から入って、食後の満たされた胃をくすぐった。
俺は最後の仕上げに中の液体をステアした。
カップの中で、砂糖、牛乳、バター、そして『ラム』が混ざり合う。
バターが溶け出すことで、白と黄色が混ざり、優しい色合いへと変化していく。
本来は体を温める用途に飲まれることの多いカクテルであるが、今日ばかりは違う働きを期待してみよう。
彼女の、氷のような態度が、暖まりますように、なんて。
「お待たせしました。【ホット・バタード・ラム・カウ】です」
俺に促され、ライはようやく、それを自分が飲むのだと思い出したようだった。
少女のおっかなびっくりの瞳が、香しい湯気を上げる薄黄色い液体を見つめていた。
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※0729 表現を少し変更しました。
※0730 描写と会話を少しだけ加筆しました。
※0805 誤字修正しました。




