一番悔しかった人
「そうか。ついに知ってしまったのかアルバオ君」
アパラチアン氏の部屋を後にした俺達は、その足でホリィの元へ向かった。
ホリィは最初こそ、昨日の実験の失敗を慰めるようなことを言っていたが、アルバオの様子を見て、すぐに事情を察した。
なにやら書いていた紙をそのままに、真剣に俺達に向かい合った。
それから冒頭の台詞である。
「どうして教えてくれなかったんですか」
「言っても仕方ないだろう。私の責任であるところは大きいし、君達の立場は保証されているからねぇ」
アルバオ達研究員は、順当に他の研究室に配属されて、今までと同じ研究を継続できる。
もちろん、多少はその研究室の色に染まるところはあるだろうが、アパラチアン氏はその辺りを含めて、最終的には自分が責任を持つとのことらしい。
ただし、ホリィの処遇については、その限りではないらしいが。
「だからって! それなら昨日、どうして負けたって仕方ないなんて!」
「仕方ないさ。確かに私は、結構好き勝手やってきたし。セシル先輩に嫌われても仕方ないことだ」
「そうじゃなくて!」
アルバオの言葉に、ホリィはいつも通りの笑みを浮かべている。
しかし、俺がいつも通りの笑みと思っていたものは、もしかしたら違うのかもしれない。
最初から、自分の研究室が解体されると思って、ほんのりとだけ寂しさを含む笑みを浮かべていたのかもしれない。
「アルバオ君。君は特に気にしなくてもいい。あのセシル先輩直々のご指名だよ。まだ専門の研究を始めていない君だ。順調にキャリアを積むのに、あそこほど良い場所もない」
「……なんですか、その言い方は……まるで、ここよりも良いみたいな言い方じゃないですか」
「そう言っているんだよ。ほら、私なんて適当だろう? 君に教えてきたことも色々あるけれど、全部忘れて大丈夫。セシル先輩からしっかりと学べるかもしんないしさ」
その受け流すような態度に、アルバオは唇を噛んでいた。
彼がここに配属されてまだ一年弱。それでも、彼はここに深い思い入れを持っているのは、なんとなく分かる。
生真面目な性格のアルバオでも、この研究室の緩い空気を気に入っていた。
アルバオは、静かな声でホリィへと言葉をぶつけ出す。
「全部忘れろって言うんですか」
「そうそう」
「ホリィさんに、いきなりダメだしされたポーションも」
「うん」
「初めて成功させた、実験も」
「そう」
「品評会前のドタバタとした時間も」
「……ああ」
「前夜祭とかいって、ばか騒ぎして怒られたことも」
「……あったねぇ」
「全部、忘れろって言うんですか」
アルバオの、絞り出すような言葉に、ホリィはやっぱり変わらぬ笑みで頷いた。
「なんだよ、まるで死ぬみたいに。新しいことを覚えるだけだ。その時邪魔なものは一度無くしたほうがいい。それだけだろう?」
ホリィの言葉に、アルバオは首を振った。
「忘れられませんよ」
それまでの絞り出すような言葉から一転。
その声は、しっかりと地に足がついた、彼の本心だと分かる。
「品評会から帰ってきたあの日。誰もいない場所で、ホリィさんが泣いていたこと。忘れられません」
「……え?」
「ホリィさんは気付いてなかったですよね。宴会で『夜風に当たってくる』って言って抜け出したホリィさんを、僕は探しに行ったんです」
「ちょ、ちょい、アルバオ君?」
ホリィの顔が驚愕と羞恥に歪んだ。
さっきまで傍観を決め込んでいた研究室の面々も、おっ? と言った顔をして注目しだした。
「『特別最優秀賞』が併設されたとしても、僕達は『最優秀賞』でした。ホリィさんも十分に喜んでいたと、思ってました。でも違ったんですね。あのとき、一番悔しかったのは、他の誰でもないホリィさんだったんですね」
「……いや、多分酔いすぎて、ほら、泣き上戸的なね」
「あのときのホリィさんの悔しそうな泣き顔で、僕は打ちのめされたんです。『最優秀賞』で浮かれていた自分は、何も分かっていなかったって」
「……あの、アルバオ君。あんまりその」
「ホリィさんが子供みたいに泣きじゃくってて、それで、僕はあなたの本当の姿を見た気がしました。いつもひょうひょうとして適当で、それでも、本当はこんなにも真剣にポーションと向き合っている人なんだって」
「……あの、だから、あんまり泣いてたとかそういう」
「だから、あの日に、僕はホリィさんにずっと付いていきたいって思ったんです。あまりにも繊細で綺麗なこの人と、僕はずっと一緒に居たいって!」
「分かった! 分かったからちょっと黙れ!」
ついに顔を真っ赤にしたホリィが、実力行使でもってアルバオの口を塞いでいた。
もごもご、とそれでも自分の熱意を発そうとしているアルバオに、苦い顔をしている。
「ねえアルちゃん。私そういうキャラじゃないでしょう? だからとりあえず黙ろう?」
「……もご……で、でも!」
「ね、お願いだから! おっぱい触って良いから! だから黙って!」
どっちが上なんだかも分からない感じで、ドタバタとしている二人。
それを見る俺を含めた面々の顔は、すでに呆れとニヤニヤへ移り変わっていた。
そんな状況にあって、空気を壊すのはやはり、あの男だった。
「ふっ、仕事を終えてしまったぞ。こんなにも仕事が早く終わるなんて、なんて優秀な僕なんだ。自分の才能が恐ろし──ん? どうしてこんなに静かなんだ?」
ガラっと、なにやら下らない言葉を発しながら部屋に入ってきたギヌラである。
彼はまったく事情を呑み込めていない様子。
しかし、誰かに聞くということもしないで、ツカツカとホリィの方へと歩いていった。
「ホリィさん。頼まれごとは終わりましたよ」
「そ、そう! 今ちょっと緊急事態だから! 適当に机にお願い!」
「……労いの言葉も無しとは……」
ギヌラは少しだけしょんぼりした様子で、ドサドサと本や資料をホリィの机に置いていた。
その内容が少し気になって、俺はギヌラに尋ねていた。
「なぁ、ギヌラ。ホリィさんは何を調べているんだ?」
「ん? ああ。第五属性に対する耐久性とか、加工済み植物の成長性とか……ふむ、どうやら、実験に耐えられる樽の作成に関する資料のようだね」
「え?」
「ばっ!」
ギヌラからポロリと漏れたひと言に。
さっきからモゴモゴとやり合っていた、アルバオとホリィの二人が声をあげた。
アルバオは戸惑いの声。ホリィは焦りの声である。
二人は争いをやめる。さっと目を逸らしたホリィに、アルバオが尋ねた。
「ホリィさん、僕達に仕方ないと言っておきながら」
「……ほら、あれだよ。君達が絶望しているところに、さっと助言を与えるクールでカッコいい上司。そんな感じの役をやりたくてねぇ」
言っているホリィは、目線が外へ外へと逃げている。
じっとホリィを見つめていたアルバオは、ふっと息を吐いた。
「すみません。本当は真面目なホリィさんが、一番に諦めてるなんて、馬鹿なことを言いました」
「……だから、そういうのは私のキャラじゃないと何度も」
「ホリィさんが諦めていないのなら、僕も最後まで諦めません」
アルバオは、そうはっきりと断言した。
ほんの数時間前は、仕方ないと、何をやっても無駄だと言っていた彼が。
今は、最後まであがく決心を固めていた。
「…………言っておくけれど。中間発表まで二週間弱くらいしかない。何も成果が出ない可能性が高いんだよ?」
「分かってます。それでも、やれることはやりたいんです」
ホリィは、真剣な表情になってアルバオを見ていた。
それからふと考え込み、研究室の面々に告げる。
「諸君。聞いての通りだ。アルバオ君は実験を諦めるつもりはないらしい。彼が実験を成功できないと、私達の研究室はもれなく解体される。そこで、諸君らにひとつお願いがあるんだが」
少し溜めてから、ホリィは照れくさそうに言った。
「私の研究室が残って欲しいと思う人は、彼の研究を手伝ってやってくれないか?」
「「「もちろんですよ!」」」
「……お前達」
ホリィ研究室の温かい声に、ホリィはやや戸惑った声を上げた。
「俺らみたいな変わり者、ホリィさんのとこじゃないとやってられないですから!」
「そうそう! というか、言われなくても私達だってずっと調べてますよ!」
言った研究室の面々は、にっと笑う。
誰も彼もが、自分たちの研究を行っていない。
樽のこと。第五属性のこと。まだまだ解明されていないその分野を、必死になって調べている様子だった。
「「「だって俺達は、ホリィ研究室が大好きですからね!」」」
そう気持ちよく言ってみせた面々。それにホリィはふっと、苦笑いを浮かべる。
「ま、それで今までも結果を出してくれていれば、そもそもこんな話にはならなかったんだけどねぇ」
「「「……………………」」」
ホリィのやや黒い冗談に、一同がさっと目を逸らした。
そんな仕草に苦笑いを浮かべたまま、ホリィはアルバオへと視線を戻す。
「というわけだ。私達も全力で君を応援する。いや、していると言うべきか。この『ニューポット』の基礎研究なども任せてくれ。今はとにかく全力で」
「樽をどうにかするんですね?」
「その通り」
アルバオは、ぐっと拳を握りしめて、宣言した。
「やりましょう! 絶対に、セシル先生を越える結果を、残しましょう!」
そこに「おー!」と掛け声が合わさり、ホリィ研究室が一丸となったのだった。
「……で、ユウギリ。結局なんの話だったんだ?」
「……空気を壊さないよう、俺に尋ねたことだけは褒めてやる……」
その隅っこで、俺は哀れな部外者その二に、後でなと告げた。




