とある『バー』の風景
俺の名前は、夕霧総。年齢は二十三。
職業は『バーテンダー』だ。
「マスター! マスター!」
やかましい客の一人が、俺を呼ぶ。
この店における本当の『マスター』は俺ではない。だが、大抵の客は本当のマスターを『オヤジ』と呼ぶので、この単語が出た場合は俺を指す。
会話していた黒髪の女性に「すいません」と断ってから、声のした方に意識を割く。
「はい? なんですか?」
そこには、木製のカウンターに座る二人の男性客。
一人は常連だ。大柄な体格に浅黒い肌。肉体労働系の仕事をこなす、元気のある中年である。
もう一人は、その男性より大分若い。肌も隣に比べると白く、おっかなびっくりといった様子で俺と男性を交互に見る。
雰囲気から上司と部下、というのは入店直後に想定済みだ。
「こいつ最近入ったばっかでよ、マスターの作るもんが美味いわけないって言ってるぜ!」
「べ、べつにそんな風には言って無いですよ!?」
かなり年齢差がある上司に言われて、部下はおどおどと慌てる。
「ただ、その、確かにちょっと、不安ですけど……」
言って部下は、店の様子を窺う。
客入りは上々。ちょっとした教室くらいの大きさの店内に、所狭しと並んだテーブルは満席。ガヤガヤとうるさい音を立てて、客達が楽しんでいる。
この店は大きく分けて二つの物を売っている。
食い物と飲み物だ。
先ほど言った『オヤジ』は主に料理を担当している。
そして飲み物は『マスター』である俺の領分だ。
「それは心外ですね。でしたら何かお作りしますよ?」
俺もここで引き下がるつもりはない。にっこりとした笑顔の裏に、闘志を燃やす。
この反応にも慣れた。
来る人来る人、最初に頼む人間は皆そうだ。
この店。俺が来るまでの売りは圧倒的に『食べ物』だったのだ。
飲み物として売っていたのはエール……いわゆる発泡酒。そして、芋の蒸留酒のみ。
そんな場所に、二十を少し過ぎた若造が『バーテンダー』として立っているのだ。
腕を怪しむのも無理はない。
この二人が店に来て最初に頼んだのも『バーテンダー』の腕に左右されることの少ないエールだった。
「それじゃマスター、いつものアレで頼むよ、アレ!」
浅黒い男が『アレ』と連呼する。俺は彼が普段好んで飲んでいる物の名前を告げた。
「かしこまりました。【ダイキリ】ですね」
俺は慇懃に頭を下げつつ、頭の中に作業の工程を組み立てる。
重要なのは、これからの自分の動きを正確にイメージし、その通りに動くこと。
作業を美しく、素早くすませること。
それ自体が既に、バーテンダーにとっては提供する商品でもある。
最初に、作業に必要な道具、及び材料を全て用意するのは基本中の基本。
【ダイキリ】はシンプルなカクテルだ。
材料は『ラム』45mlとライム15ml、そしてティースプーン一杯のシロップ。
シェイクタイプのカクテルなので、グラスはカクテルグラス。当然シェイカーも要る。
まずはグラスを棚から冷凍庫に移し、それと同時に『ラム』とアイスを取り出す。
続いて冷蔵庫からライムジュースを取り出し、ボトル棚からはシロップを。
それら全てをメジャーカップで規定量計り、シェイカーへ。
軽く味を見て問題がなければ、アイスを中へと詰めていく。
そして仕上げだ。シェイカーの蓋を閉じて、右手はしっかり、左手は添えるようにシェイカーを支え、手首のスナップを利用してシェイクする。
音と指から伝わる感触だけを頼りに、良く冷え、良く混ざったと判断できるまでシェイカーを八の字に振り続ける。そしてゆっくりとシェイクを止める。
カクテルグラスを冷凍庫から取り出すと、男の目の前でシェイカーから液体を注ぐ。
ベースは透明であるが、少しだけ白く輝く液体がグラスを満たした。
「お待たせしました。【ダイキリ】です」
「いんや全然待ってねぇ。嬢ちゃんなんかエールを入れるのにも倍はかかるぜ!」
がっはっは。と笑う男性を、店の中でせっせと料理を運ぶ赤毛の少女──ライが睨む。
だが、男は意に介すこともなく、出来上がったカクテルを部下の前に。
「ほ、本当に美味しいんですか?」
とはいっても、いきなりでは踏ん切りのつかない様子の部下。
「良いから飲めよ。男だろ?」
上司に強要された部下は、恐る恐る、目を閉じながら液体を口に含んだ。
そして。
「お、美味しい!!」
目を見開き、信じられないと叫ぶ!
「がっはっは。落ち着けよ! だから言っただろう?」
「で、でも、だってありえないですよ!」
上司の制止も聞かず、部下は興奮して言う。
「あんな粗悪な『ポーション』を混ぜるだけで、こんな上等な飲み物が出来るなんて!」
そう言って、部下は俺が取りだした『ラム』のボトルを指差す。
「火の精霊の加護なんて欠片も無さそうな『サラムポーション』だったのに……今じゃ火山のような力強さだ! どういうことだ!」
店中に響き渡る大声に、店の常連達は何事かとこちらを見る。
皆がこちらを見て、そして一様に、「ああ、またか」という顔をするのだ。
「当たり前だ、マスターの作るポーションは最高だからな!」
上司は、まるで自分のことのように自慢げに、鼻を鳴らして言った。
「ポーションというか『カクテル』なんですけどね……」
俺は少しの謙遜を込めて言い返す。だが、そんなことは些細な違いなのだろう。浅黒い肌の男は「そうかそうか!」とただ頷くのみだ。
「だけどな、マスターの凄い所はこれだけじゃないぞ?」
ひとしきり楽しそうに笑ったあと、男は含みを持たせる。
「え? 他にも何かあるんですか?」
手に持ったグラスを置いて、若い男がキラキラとした目で俺を見てくる。
やめてくれ。しがないバーテンダーに何を期待してるっていうんだ。
「いえ、別に──」
「おうおう! なんだぁこの店はぁ!」
俺が否定を返そうと口を開くと、その直後にけたたましい声が店内に響いた。
ドアの方へと顔を向ける。明らかに酔っぱらって顔を真っ赤にした大男が、店の入り口から入ろうとしていた。
「客が来たのに、歓迎の声もねぇのかぁ!?」
その明らかな迷惑っぷりに、俺は対応に迷う。
だが、悩むほどの時間はない。どうやって穏便に事を運ぼうかと算段を立てていたそのとき。
「なによあんた! うちはあんたみたいな酔っ払いはお断りよ!」
店内で忙しく給仕をしていたライが、酔っ払いの目の前に立って言っていた。
「ああ? なんだ嬢ちゃん? 俺を誰だと思ってんだぁ?」
「酔っ払いでしょ? 良いからさっさと帰ってよ」
「んだとぉ!」
少女が勝ち気な態度を崩さずにいると、酔っ払いは明らかに機嫌を崩した。
「…………」
その様子を見ていた一人の女性が、雰囲気を変えた。
俺と一緒にカウンターに入っていた青髪の少女──スイが今にも臨戦体勢となっている。
「落ち着け」
俺は今にも動き出しそうな彼女を制する。彼女が本気を出したら、店がやばい。
「でも」
「……俺がなんとかするから」
俺は内心でため息を吐き、この場を収めるために仕方なく行動することにした。
「失礼します。こちら、少々お借りします」
「え?」
俺は目の前に座っている男に断ってから、その場にある『カクテル』……【ダイキリ】へと手を伸ばした。
戸惑う男に悪いと思いつつ、グラスを持ち、詠唱する。
《生命の波、古の意図、我求めるは魂の姿なり》
俺が使える数少ない魔法の一つ。
《弾薬化》だ。
俺が詠唱を終えると、先程まで『カクテル』だった液体が、グラスの中でカランと音を立て『銃弾』へと変化した。
俺はそれをつまみ上げると、客には見えないように腰に下げていた『銃』を抜き出して、そのシリンダーへと込める。
ちらりと赤毛の少女の様子を窺うが、足元が震えているにも関わらず胸を張って男に対峙している。
まったく世話の焼ける子だ。
俺は酔っ払いが何か行動を起こす前に、手早く行動する。
その準備として、銃弾の素性を宣言する。
「基本属性『サラム45ml』、付加属性『ライム15ml』『シロップ』、系統『シェイク』」
そうやって、『カクテル』の元になる材料を告げ、頭の中に出来上がる『カクテル』をイメージする。すると、俺の中に存在する『魔力』が銃へと流れ込み、銃の中に込められた弾丸が反応する。
ブウンと鈍く、銃が震えた。
「お客様。いや、お客様未満様。大人しくお引き取り願えますか?」
俺は『銃』を構えたまま、酔っ払いに対して告げる。
酔っ払いは俺と、俺の手の中の銃へと視線を投げ掛けるが、尚更怒りを膨らませたように怒鳴った。
「なんだてめえは! その金属のオモチャでなにしようってんだ!?」
その反応も仕方のないことか。
この世界に『銃』なんてものは、そもそも知られていないのだから。
「それでは、お引き取り願えないと?」
「良いから酒もってこい! じゃねえとこのお嬢ちゃんがどうなっても知らねぇぞ!」
そういって、酔っ払いは前に立っているライへとその手を伸ばそうとした。
それは許されない。
俺は仕方なく、銃の引き金を引きながら、宣言した。
「【ダイキリ】」
その言葉の直後。
銃口から一頭の火龍が飛び出して男の目の前へと躍り出た。
「ひぃ!」
灼熱と炎光を撒き散らす強大な魔法は、男に襲い掛かる直前でその動きを止める。
酔っ払いの男は突然現れた火龍に腰を抜かして倒れ込む。
俺はその男に向かって、コツコツとわざと足音を立てて近づき、言った。
「お客様未満様。あまりおいたが過ぎますと、次は当てますがいかがなさいますか?」
「じょ、冗談じゃねぇぞ!」
男は一発で酔いが醒めた様子で、慌てて立ち上がると一目散に店を出て行った。
直後、店中から囃し立てるような声と拍手と、口笛なんかが聞こえてきた。
ここの常連の連中は、トラブルを見世物か何かと勘違いしているんじゃないだろうか。
大事にならなければいいが、と少し心配しつつ、惚けているライへと声をかける。
「ライ、大丈夫だったか?」
「う、うん、ありがとう、総」
「良かった、ライにもしものことがあったら大変だからな」
「え、あ……」
照れたように俯いたライ。だが俺の言っていることも当然だ。
この店の看板娘であり、オヤジさんの愛娘でもあるライにもしものことがあったら、雇われである俺の首が飛んでしまう。
俺は状況を終えたのを確認し、急いでカウンターの中へと戻った。
「ありがとう」
「気にすんな」
カウンターに戻ると、もう一人の看板娘であるスイから労いの言葉がかかるが、俺はそれに軽く答える。それよりもやるべき事がある。
緊急事態だったとはいえ、お客様にお出ししたものを勝手に使ってしまうのは無礼にもほどがある。これは誠心誠意のサービスが必要な事案だった。
俺は急いで、さきほど【ダイキリ】を借りた男性に向かって謝罪した。
「申し訳ありません。先程の【ダイキリ】は消費してしまったので、新しくお作りいたします」
「は、はい」
今日初めて店に訪れた筈の男は頷き、その後に戸惑いながら尋ねた。
「あの、マスターさん。あなたは、その……『魔法使い』なんですか?」
俺はその質問に一瞬だけ作業の手を止め、爽やかに笑みながら言った。
「いえ、自分は『バーテンダー』ですよ」
男はその返答に不思議そうな顔をする。
すると隣に座っている、肌の浅黒い上司が補足した。
「そうそう! ポーションも作れて魔法も使える、万能の職業が『バーテンダー』なんだってよ! 俺もここで初めて知ったぜ!」
違います。
だが、この男には何を言っても無駄だと知っているので、俺はあいまいに笑みを浮かべるのみだった。
いったいどうして、こんなことになっているのかと。
日本に生まれた、ただのバーテンダーだった筈の自分。
それがどうして、剣と魔法、魔物と亜人種、科学と神秘が混在する異世界で、
相も変わらずバーテンダーの仕事をしているのかと。
俺の名前は、夕霧総。年齢は二十三。
職業は、バーテンダーだ。
たとえ『ポーション』を混ぜ合わせて作る『カクテル』が、『ポーション』として馬鹿みたいな効果を発揮してしまうとしても。
たとえ『カクテル』を弾丸にしてぶっ放すことで、なぜか強力な『魔法』が使えてしまうとしても。
俺の職業は、あくまで『バーテンダー』なのである。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
よろしければ、これからもよろしくお願いします。
※0729 行間、表現を少し変更しました。
※0805 誤字修正しました。