【ジン・フィズ】(3)
「それで、これはどういう仕掛け?」
しっかりと自分の分の【ジン・フィズ】を堪能したスイが、俺に尋ねる。
その横で聞き耳を立てている『機人』二人組。
彼らの子供のような態度に少し笑いながら、簡単に説明した。
「炭酸水、ってのは知ってるんだよな?」
「あのシュワシュワする水でしょ?」
スイの簡潔な返答。
たったそれだけだが、炭酸水を説明しきっているとは思える。
「でも、ここにはそんなもの無かった。冷やしてあったのはただの水。そもそも炭酸水は、魔法を使って密封しないと、持ち運びでシュワシュワがなくなるって聞いてるけど」
その後に続くスイの言葉。彼女は俺とずっと行動を共にしていた。
だから俺が『炭酸水』なんて手に入れていないことは分かっているのだ。
「ああ、ここには初め、炭酸水なんてなかった。だから作ったんだ」
俺はやや得意気に、スイに作ってもらった粉と、オヤジさんに分けてもらった粉をそれぞれ指差す。
レモンの酸味を魔法で抽出した粉──クエン酸と、パンケーキなんかを膨らますときに使うふくらし粉──重曹だ。
「ちょっとした科学──まあ、魔法以外の話なんだが。要するに、この二つってのは、混ざると二酸化炭素を発生するんだ」
「……二酸化炭素?」
「シュワシュワの正体だ。予めクエン酸を混ぜ込んだ水に、重曹を入れてやれば、液体の中で反応する。結果、二酸化炭素が溶け込んだ炭酸の飲み物が完成する」
俺の説明に、スイはやはりちんぷんかんぷんといった様子だ。
どうにも、魔法関連のことはともかく、そういった方面の知識は乏しいらしい。
だが、残る『機人』の二人は、俺の説明でなんとなく理解したようであった。
「なるほどな。その化学反応を意図的に起こして、新しい食感、いや飲感か? を持った飲み物を創造したってわけか」
ゴンゴラはふむと大袈裟に頷いたあとに、大きな声で言う。
「よし、決めた!」
その決断がなんであるのかは、この場にいる全員が理解している。
最初の注文の答えだ。
『ゴンゴラを驚かせれば、コールドテーブルを貸してもらえる』
それが無ければバーの経営が成り立たない俺とスイ。
自分が作ったものが初めて人の手に渡るのを期待するイベリス。
待つ方の気持ちは、一致している。
待った時間は恐らく数秒であった。だが、何分も待たされたような心地だった。
その長い沈黙の後、ゴンゴラは口を開いた。
「俺は『食文化』のほうはさっぱりだが、それでも面白いもんだった。気に入った! イベリスが望むのなら、いくらでも持って行け!」
答えを聞いたとき、俺は心の中でグッとガッツポーズを取った。
スイもほっと安堵した表情に、少しだけ俺が認められたのを誇るような、嬉しそうな顔をしている。
イベリスは、自分の機械が人に認められ、スクラップにならずに済んだのを心底喜んでいる様子だった。
「ただし、条件がある」
そんな俺たちの心に水を差すような、ゴンゴラの声。
俺は少し戸惑いながら、尋ねる。
「えっと、条件とは?」
「簡単なことだ。これから先、お前さんが何か入り用だったら、真っ先にイベリスに作らせてやってくれ」
その言葉にぽかんとしたのは俺だけではなかったようだ。
いつも無表情なスイはともかく、イベリスはその顔面いっぱいに困惑を浮かべていた。
言葉の意味が上手く掴めずに、俺は尋ね返す。
「えっと、それはどういう?」
「簡単だ。お前さんはこれから先、面白いことをやろうとしている。その手伝いに、俺の弟子を使ってくれってだけだ」
えっと。つまりは、これから先はイベリスに手伝ってもらえってこと……か?
「そ、それはありがたいですが。なぜ?」
「俺は、さっきの一杯でお前さんがいたく気に入った。せっかくなら、面白いことに加担したいと思っただけだ」
その言い分に、俺は『機人』の性質とやらを思い出す。
彼らは『作る』のが好きで、『出来た物』には興味がない。
こうは言い換えられないだろうか。
『楽しいこと』は好きだが『自分が関われないこと』には興味がない。
だから、俺が『楽しいこと』をしようとしていたら、積極的に関わりたいのだ。
展開は進む。
俺の理解は置いておいて、いきなり指名されたイベリスは、ゴンゴラに言い募る。
「師匠!? そんな、見習いの私がいきなり『専属』だなんて……」
専属、という言葉の意味は分かるが、それが彼らの中でどういう立ち位置なのかは分からない。
だが、どうにも重要なことではあるようだ。
尋ねられたゴンゴラは、その髭面を愉快に歪ませて答える。
「良いじゃねえか。お前が初めて商品を作ったら、それを必要としている人間が現れた。これも運命ってやつだ。それに見たところ、この兄さんは、まだまだ必要なものがあるみてえだしな。いちいち探してたらキリがないだろ?」
流し目で俺を見てきたので、俺は頷かざるを得ない。
正直に言ってしまえば、今回の【ジン・フィズ】は俺の理想にはほど遠い。
クエン酸と重曹によって『ソーダ』を作ることはできても、それは純粋な『ソーダ』ではない。どうしても『塩』のせいで味が変わってしまう。
出来る事なら、純粋な『ソーダ』を確保したいと思ってしまうのだ。
そんな俺のマニアックな胸中はさておいて、『機人』の師弟は真剣に見つめ合っていた。
「ほら、兄さんも頷いた。今あの人は俺たちの──いやお前の『技術』を必要としているんだ。それに応えてこそ、職人になれるんだろうが」
ゴンゴラの促すような言葉に、イベリスは少し悩む。
だが、もともと悩むのが苦手な少女なのだろう。
ちょっとの時間であっさりと迷いを振り切って、俺を見て戸惑いがちに尋ねた。
「えっと、総さん……? その、私みたいな未熟者でも、必要としてくれますか?」
声が震えていた。
まるで一世一代の大仕事を控えた大工のように、緊張していた。
イベリスの揺れるような瞳に、俺は即座に答えを返した。
「未熟なんてとんでもない。イベリスの作った『こいつ』は完璧だ。これからも手伝ってくれるっていうんなら、とことんお願いするさ」
俺は意図して爽やかに頷いた。
勿論、彼女の腕を心配などしてはいない。
俺は決して『機人』の中での技術の上下などは知らない。
だが、この『コールドテーブル』に不満はない。
信用に足ると思った。
「……それは、私を『専属』として、雇ってくれるっていうこと?」
「その『専属』ってのは良く分からないが、そういうことだ」
そんな俺の返答に、イベリスは咄嗟に目を輝かせる。
カウンター越しに俺の手を強く握りしめ、輝くような笑みを浮かべていった。
「わかった! それじゃ私は、これからずっと総さんのモノだからね!」
握った手をぶんぶんと振りながら、イベリスは嬉しそうに宣言していた。
「……良かったの?」
帰り道にてスイが、少しだけツンとした声で聞いてきた。
「何がだ? 冷凍庫は手に入った。その上、これから先の機械も順次手に入りそう。契約料だって売り上げによるってことになったし、順調じゃないか」
ゴンゴラ立ち会いの元に決められた、イベリスの専属契約を思いながら答える。
さすがにイベリスに、ずっと無料で機械を作って貰うわけにはいかない。そういうわけで、彼女には店の売り上げの三%を契約料として支払うことに決まった。
保守点検まで考えればお釣りが出るくらい、こちらに有利な条件だと思う。
が、スイは気に入らないようだった。
「総は『機人』の専属契約のこと、知らないんだよね?」
「ん? ああ」
「私も、噂で聞いただけだけど」
先程から出てくるその『専属』という言葉。
それがどうにも引っかかるのは事実だ。
スイは、俺のぼんやりとした表情にため息を吐き、拗ねた感じの声で言った。
「『機人』は、人間とは寿命が全然違う。『機人』のほうが、ずっと寿命が長いの」
「そうなのか?」
「そんな『機人』が、人間と交わす『専属契約』っていうのはね」
スイは言葉を切り、タメを作ってから静かに言った。
「あなたが死ぬまで、あなたの為に働きます、ってことなの」
え?
そんな単語、まるでどこかで。
そう、まるで『死が二人を分かつまで』みたいな……。
「……責任重大だから。多分、覚悟しといたほうが良い」
それだけを言うと、スイはスタスタと早歩きで店に戻ろうとする。
俺は、ひとまず難しいことを考えず──現実逃避とも言う──スイの背中を必死で追いかけることにした。
ブックマークに評価や感想、大変ありがとうございます。
ブックマークが50に届きそうで、少しドキドキしています。
これからもカクテル中心の話が少し続きますが、よろしくお願いします。
※0805 表現を少し修正しました。




