【ジン・フィズ】(2)
「どうぞ、時間が立つと、気が抜けてしまいますから」
硬直に陥ったゴンゴラを軽く促した。
だが、彼の戸惑いも分からなくはない。
俺はここに戻ってくる前に、軽くオヤジさんに聞いていた。
この世界の、酒の事情を。
想定よりは、悪かった。
聞いたところだと、この世界にあるのはまず、ワイン──要するに葡萄酒。
それに加えて、芋や麦から作られる、簡単な蒸留酒。本当に残念なことに、それ以外に蒸留酒は存在していない。ノーウィスキーである。ファ○ク。
そして最後。冷却という概念からは少し遠いところにある、常温で飲まれる麦芽発酵の発泡酒、エールだ。
そう、炭酸飲料としての『発泡酒』はすでにこの世界に存在していたのだ。
だが、それでも彼は戸惑う。
エールを飲んだことが一度でもある人間なら、思うだろう。
この泡は、きっと炭酸のそれだと。
だが、中身がまるで違う。
濁った濃い茶色ではない。透き通った透明の液体だ。
記憶にある苦い液体とは、見た目から受ける印象がまるで違う筈だ。
気になるだろう。
これは、どんな味のする飲み物なのか、と。
「……なぁ、こいつは、その──」
案の定、ゴンゴラはこの【ジン・フィズ】がなんなのかを尋ねようとした。
「それは、ご自身で実際に体験していただければと思います」
だが俺は、それをあえて断った。
バーテンダーとしては、出した飲み物について聞かれたら答えないのはありえないのだが、今回ばかりは、より驚いて貰う為に必要な措置だ。
俺がにこやかに、しかし、やや突き放す感じで待っていると、
意を決めたゴンゴラが、グラスに手を伸ばした。
──────
ゴンゴラは、自分が混乱していることを自覚している。
目の前の青年。歳は二十を少し過ぎた程度だ。
その青年に、ゴンゴラは半ば冗談のつもりで言ったのだ。
『自分を驚かせてみせよ』と。
それはもちろん、期待も込めていた。だが、それでも冗談のほうが含有量は多かった。
それがどうだ。
ゴンゴラには、青年が作ったものがまるで理解できないのだ。
いや、それとなく分かることもある。
これは恐らく『粗悪なポーション』を混ぜ合わせた飲料であること。
話には聞いたことがある。
『高級なポーション』は『上質な飲み物』でもあるらしい。
だが目の前で混ぜられたこれは明らかに、粗悪であった。
噂の真偽はともかく、この飲み物が美味いとは、考えにくい。
にも関わらずだ。
グラスから新鮮な泡を吐き出すこの飲料に、興味を引かれて仕方がない。
ゴンゴラは、グラスを手に取る。
良く、冷えている。
小さい筒状の器具で、中の液体を冷やしていたのは分かっていた。そして、注ぎ込んだ水溶液も良く冷えていた。
速度と技術。それらの不足や過剰がないことから生み出される、完成度だ。
グラスを口に近づける。ジジジジと中の泡が弾ける音が耳をくすぐる。
ゴンゴラは鼻に香るレモンの薫りもそこそこに、それを口に流し込んだ。
「……! なんと爽やかな……!」
一番の感想はそれだった。
口に入れた瞬間、ちょうど良く冷やされた液体が、跳ねた。
その刺激に驚いた舌に、味の情報が遅れてやってくる。
レモンらしい酸味とほのかな苦み、それを締める砂糖の甘み。
それらを口の中いっぱいに広げていくのは『ジーニポーション』──いや、青年に言わせるところの『ジン』の、旨みだ。
泡に乗り、風のように広がっていくすっきりとした辛み。ここでの辛さとはドライさという意味で、唐辛子のような刺激があるわけではない。
だが、その心地よい辛さがゴンゴラの舌の上を次々に占領していく。
刺激が、喉まで達する。
小さい破裂を繰り返しながら進んできたそれは、喉になんとも言えない爽快感だけを残して滑り落ちていった。
一口で、ゴンゴラはその飲み物に、意識を囚われてしまった。
ゴンゴラがそれに気づいたのは、何度か無意識に飲んだ後に、青年が嬉しそうな笑みを浮かべていた時であった。
──────
「いかがでした?」
俺はあえて探るようにゴンゴラに尋ねた。
実際のところ、それほどの自信があったわけではない。
なぜなら【ジン・フィズ】をこんな風に作ったのは、初めてだったのだから。
だが、その心配は杞憂だったようだ。
尋ねた直後に、ゴンゴラはグラスの中身を一気に飲み干すと、叫んだ。
「美味い! もう一杯くれ!」
そのストレートな物言いには、俺も少しだけ面食らった。
だが、その直後にイベリスからも声がかかる。
「師匠ずるい! 私も飲みたい! なにそれ!?」
純粋な好奇心を示すイベリスだが、俺は少し迷う。
どう見ても未成年だぞ。良いのか?
良いか。酒じゃなくてポーションだし。この世界の成人は知らない。
心で言い訳をしつつチラリとスイの様子も見る。
こくり。
心配そうな顔はどこかに置き忘れたようで、彼女もまた、訴えかけるように目で言っていた。
私も、と。
「かしこまりました。【ジン・フィズ】を三杯ですね」
俺はその反応に笑みを浮かべつつ、先程と同じ手順を分量三倍で繰り返すことにした。
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※0711 誤字修正しました。
※0805 誤字修正しました。




