【ジン・フィズ】(1)
それは準備時間でのこと。
材料の確認にと、俺は厨房にいるオヤジさんに、あるものの有無を尋ねた。
仮にこの世界の時代が中世くらいだとすると、時期的には存在しない可能性も高かったからだ。
だが、魔術文明ならば、無いとは限らない。
対する返答は、こうだった。
「あぁ? ああ、あれな。そんなもんどうするんだ? パンケーキでも焼くのか?」
俺の質問に、仕込みの真っ最中だったらしいオヤジさんは投げやりに答える。
だが、それだけで俺には充分だった。
そしてもう一つ。
こちらは完璧に、普及していないことだけは分かっていた。
だが、スイはポーションの説明をする時に言っていた。
色々な材料を融合とか、味を調整とか。
となると、魔法にはまだまだ出来る事があるのではないかと思った。
例えば、とある果実から、成分を抽出することなどが。
それにスイは出来ると答えた。
だから俺は、あるものを物質の形に取り出して貰えるように頼んだ。
「えっと、できるけど、どうして? 果汁じゃダメなの?」
俺の注文に困惑気味に答えたスイだが、俺はあえてはっきりと答えは言わなかった。
どうせなら、スイにもビックリして欲しかったからだ。
こうして俺は、二つの粉。
『秘密の粉』と『内緒の粉』を手に入れたのだった。
最初に行うのは、材料の準備だ。
俺は用意して貰っていた水のグラスを冷蔵庫から取り出した。俺はその水に、スイに作ってもらった『内緒の粉』を入れた。
「……そいつは、なんなんだ?」
ゴンゴラは俺の行動に興味深そうな目で尋ねる。
俺はあくまで余裕のある表情で、分かるかどうかは置いておいて答える。
「クエン酸ですよ」
「クエン酸?」
そう。この粉はスイに作ってもらったモノ。
『レモンの果実』から魔法で抽出してもらった『酸味成分』である。
いくらかの不純物はあるだろうが、それでも果汁よりは純粋であろう。
ゴンゴラはその言葉の意味が分からなかったようだ。
想定通りだ。
機人という人種の科学技術は高くても、彼らはそれを『食』に繋げてはいないのだ。
俺はクエン酸を、良く冷やしてあった『水』に溶かした。
それが終わったら、ようやく『シェイク』のための材料を取り出して行く。
ジン──『ジーニポーション』と『レモン』、それに『砂糖』と『氷』。
道具としては、まず空のグラス。先程の水溶液の入ったグラスは、別にそのまま使うわけではない。
他に、先程から使っているバースプーンに加えて、メジャーカップとシェイカー。こちらも全て基本的な道具である。あとは氷を掴むアイストングなんかだ。
ここから作業だ。
まず、レモンの果実を切り、六分の一だけをカットして、彩りもかねてグラスの中へ。残った部分で果汁を絞り、メジャーカップで15mlをシェイカーに計り入れる。
次に『ジーニ』。冷凍庫で冷やしただけあって、そのボトルは手に心地よい冷気を感じさせる。先程の【ダイキリ】よりも、いい出来になりそうだ。
それを45ml測り入れたあと、バースプーンを使って砂糖を1tsp分加える。
手早くかき混ぜて味を見る。問題ないと判断してシェイカーに氷を敷き詰めていった。
その作業も、良い。
少しずつ溶けて行く焦燥に駆られていた【ダイキリ】の時と違って、冷凍庫でしっかりと冷やされた氷は、表面に霜を張る。
内包されている冷気が、段違いだ。
俺はそこに微かな満足を覚えながら、シェイカーの蓋をして、シェイクに入る。
指先に感じる感触は、心地よい。
上に、下に、手首の回転を利かせながら混ざる内容物が、空気と混じり合いながら急速に冷やされていく。
熱容量の関係でそれを如実に伝えるステンレス製の『道具』が、指が張り付くほどの冷気を伝えてくる。
俺は静かにシェイクを終え、内容物をレモンの切り身が入ったグラスへと注いだ。
空気と混ざり合い、薄白く染まった液体がレモンを踊らせる。
内容量的には、二割といったところだろうか。
それが済んだあとに、俺はシェイカーの中に詰まっていた氷をグラスへと移す。
この点に関しては、新しい氷を使うなど、人によってやり方が異なる。少なくとも、俺が習ったやり方はこうだった。
トングで丁寧に氷を移し替えると、元から入っていた液体のかさが増す。
だが、その時点では、液体はグラスの半分を満たすかといった程度である。
「完成か?」
ゴンゴラがすでにわくわくとした顔をしている。
残念だが、ここで提供するわけにはいかない。
「もう少々お待ちください」
俺は断ったあとに、そのグラスに、最初に作っていた溶液を混ぜた。
クエン酸水溶液が入れられたことで、グラスは八分目まで水位を増す。俺はそれを一度バースプーンで撹拌する。
その時点で、もう一度味を見る。まだ、ただのアルコールが入った酸っぱい液体だ。
そして最後に、俺は用意しておいた『秘密の粉』を、その液体に混ぜた。
「え?」
「なっ!」
「はぇっ!?」
カクテルの推移を食い入るように見ていた三人が、思い思いの驚き声をあげる。
だが、彼らは恐らく、このグラスの中で何が起きたのかは理解できていない。
傍目からみれば、それはあたかも魔法のように見えたことだろう。
俺が『秘密の粉』──『重曹』を入れた途端に、グラスの中の液体がシュワシュワと泡立ち始めたのだから。
いや、あえて言おう。
液体は『フィズフィズ』と泡立ち始めた、と。
俺はバースプーンに付いている液体を、味見した。
三度目のそれで、炭酸の持つ刺激が舌を仄かに叩いたのが分かった。
俺はグラスを、スマートにゴンゴラの前に差し出して言う。
「お待たせしました。【ジン・フィズ】です」
差し出されたゴンゴラは、食い入るようにグラスに浮かぶ泡を睨んでいた。
ブックマーク30件達成、本当に嬉しいです!
張り切って、明日は20時頃と24時頃の二回更新させていただきます。
また、作中の重曹、及びクエン酸は食用とは明記していませんが、
万が一口にする際は食用のものをお選びください。
※0711 誤字修正しました。
※0805 誤字修正しました。




