【サラトガ・クーラー】(2)
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フレンは少しぼやける視界で、前を見る。
多少酔っぱらっているが、それでも目の前の液体に意識を向けることができた。
フレンの目には、そのカクテルの正体までは分からない。
薄いカラメル色の液体がジンジャーエールであることと、ライムが入っていること。
そして細かい氷がグラスを満たし、炭酸の泡が緩やかに動いていることが分かる。
挿さっているストローを噛み、フレンは一口含んだ。
ストローの出口から流れ込んでくるのは、程よい酸味と甘味、そして炭酸のシュワシュワとした口当たり。
ただのジンジャーエールとはまた違う。
ライムによる酸味、シロップの包み込む甘味。
ジンジャーエールの尖った部分が和らぎ、よりまとまったすっきりとした味わいに仕上がっている。
舌の上に広がった甘辛い液体が、シュワシュワと口の隅々まで満ちても、刺さるような強さはない。
程よい柑橘の風味が、のびのびとかけっこをするように、ゆったりと走り続ける。
そこに追従するような『あの感覚』はない。
そして呑み込めば、それははっきりと分かった。
緩やかに喉を刺激する爽快感はあれど、
喉を通して体に染み込んで行くような、熱さはなかった。
いくら酔っていようと、フレンの舌は嘘を吐かない。
弱い強いの違いくらいなら、誤魔化されるだろう。
しかし『ある』と『ない』の違いは、はっきりと分かった。
「小僧、これは」
「多分、ご想像の通りです。それがお客様に今必要な一杯かと思いまして」
「……そうかよ」
目の前にいる青年の、穏やかな笑みの意味くらいはフレンにも分かった。
その奥に秘めている、他者を思いやるような心意気も、確かに伝わった。
それを認められないほど、前後不覚になっているつもりはなかった。
だが。
「小僧、ちょっとこっちにこい」
フレンは、少しだけの憤りを感じたまま、目の前の青年を呼んだ。
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「……えっと、何か?」
「良いからこい」
やや想定外の反応だった。
オヤジさんは、俺の言動の一切を無視して、手招きをする。
オヤジさんが一口を飲んだ後の、表情の変化を俺はしっかりと追っていた。
故に、その表情に少しだけ構える。
というのも、読めなかったのだ。
怒っているのとは違う。かといって、喜んでいるわけでもない。
しいて言うなら、スイとライが盛り上がっていて入って行けない、そんな時の表情に似て見えた。
俺は戸惑いつつも、簡単にだけ作業場を片付けてカウンターから出る。
そしてオヤジさんの隣まで歩いた。
「えっと、来ましたが」
「……そこに立て」
俺が恐る恐る声をかけると、オヤジさんは立ち上がり、やや据わった目で俺を見た。
言われた通りの場所に直立する。
直後、オヤジさんの腕が急に胸元まで伸びて来て、俺は咄嗟に身構えた。
だが、オヤジさんは胸倉を掴むのではなく、俺の肩を掴んだ。
「……はい?」
「そんで──座れっ!」
「うぉっ!?」
俺の返事を聞くこともなく、オヤジさんは強引に俺の体を動かした。
少し抵抗するがそれも虚しく、されるがまま俺はオヤジさんの隣の席に座らされた。
……なぜ?
「少し待ってろ」
言うが早いか、オヤジさんはその状態の俺を置いて、一人カウンターの中へと入って行く。
そのまま勝手知ったる様子で、棚側のスペースに新たに設置してあった冷蔵ショーケースを開けた。
このショーケースは、バー側でエールの扱いを始めるにあたって新調したものの一つである。中にはエールの瓶と、それ用のグラスが入れてあって、冷えたエールを冷えたグラスで飲めるようにしたものだ。
当然、ショーケースの中には、オヤジさんが仕入れを担当していたキブシが作ったエールが、何本も冷やされている。
その中の一本をオヤジさんは無造作につかみ取り、グラスは用意しない。そのままカウンターの中央、俺の目の前まで歩き出た。
「おら、これがお前の分だ。今日は俺の奢りだ」
小物入れからシズラー(栓抜きと瓶用の栓が合わさったような道具)を無造作に取り出し、エールの栓を開けてからオヤジさんはそれを出した。
おずおずと受け取る俺。飲めということだろうか。
「では、いただきます」
俺はひとまずその瓶に口を付けた。先程まで飲んでいたものと、やはり同じ味がした。
それをゴクリゴクリと二口ほど飲んで、オヤジさんに問いかける。
「えっと、それでこれは?」
「美味いか?」
「それは、はい」
「なら、今日は俺がお前のバーテンダーをしてやる。出せるのはエールだけだがな」
オヤジさんに言われて、俺は再び大いに戸惑った。
オヤジさんがバーテンダーをしてくれるって?
いやいや、どっからどう見ても、酔っぱらっているのはオヤジさんで、その世話をするのは俺の役目じゃないか。
この状態ではまるきり立場が逆である。
その困惑を、そのまま口から出す。
「えっと、そうじゃなくて、今日は──というか今は俺がオヤジさんを──」
「それな」
「はい?」
「それが、気に入らねえ」
真っ直ぐに気に入らないと言われて、俺は面食らった。
自分がいったい、何を追及されているのかが分からなかった。
オヤジさんは、そんな俺にふん、と吐き捨ててから語り出す。
「お前のその一杯な。分かるわ。お前の思いははっきり分かる。俺も今酔っぱらっちゃいるがぁ、分からねえほどバカじゃねえ。お前は、少なくとも飲み物に関しちゃあ、俺より上だ。よっぽど美味いもんが作れると思わぁ。だから分かる。それは確かに、俺に今必要な一杯だし、お前が考える最高の一杯目だ」
やや乱暴な口調ではあるが、オヤジさんにストレートに褒められたのだと分かる。
それは、普段の彼からはとても出るような言葉ではなかった。
「えっと、それはありがとうございます」
「だけどなぁ。俺は言ったよなぁ。もう一軒行こうって、一緒に飲もうってよぉ」
「……はぁ」
それも理解はしている。
だが、オヤジさんの状態を見て俺はここを選んだのだ。ここでなら、オヤジさんの体調に合わせたものを俺が作れるし、俺も自分が飲むもののペース配分がしやすい。
どう考えてもそれで問題が無い筈なのに、責められる謂れが見当たらない。
俺が困惑しっぱなしでいると、オヤジさんはため息を吐いた後に、俺と自分を交互に指差した。
「わかんねえか? これ?」
「えっと、はい」
「例えばお前、この状態だ。俺がここで、お前がそこ。これで一緒に飲んでるって言うか普通? 言わねえだろ? お前が飲んでて、俺は接客してる。そう言うんだろ?」
「…………っ!」
その言葉に、俺は確かに気付いた。
そうだ。俺は彼の言葉を、こう捉えていた。
『オヤジさんは飲み足りないようだ。じゃあ、俺が適切に飲ませてあげるか』
この時点で俺は、オヤジさんと飲むのではなく、オヤジさんを無事に家に帰すことを目的としていた。
そしてその思惑が、先程の一杯に詰まっていた。
その思いが、はっきりとオヤジさんに伝わっていたのだ。
そんな俺の理解を知ってか知らずか、オヤジさんはやや寂しそうに。
いや、むしろ悔しそうに言葉を続けた。
「遠いんだよ。お前は。いっつもそうだ。誰に対しても。このカウンター一枚分、ずっと距離がある。客だけじゃねえ。フィルやサリーみてえな『弟子』にも。イベリスやベルガモみてえな『仲間』にも。そんで、俺やスイ、ライみてえな『家族』にも。誰に対しても、心が一歩後ろに引いてんだよ。接客なら良いが、今はそうじゃねえだろうがよ?」
普段のオヤジさんは、絶対に言わない言葉だと、思った。
カウンターの向こう側で、俺を睨みながら。
それでも彼は、俺のことを家族だと言ってくれていた。
酷く寂しそうな目で。
まるで、俺がそれを理解していないのを、自分のせいだと責めるように。
「……家族……」
「そうやって、意外そうな顔ぉしやがってくそが。少なくともよぉ、もう俺達にとっちゃあ、お前は家族みてえなもんなんだよ。ここまで言やぁ、分かるだろ!?」
ドン、とオヤジさんはカウンターテーブルを叩いた。
思わず俺がビクンと体を揺らすが、オヤジさんはぐいっと俺に顔を近づけて、言う。
「今日の俺は、お前に接客して欲しいんじゃねえ。一緒に、ぐでんぐでんになって欲しいんだ。なぁ? 俺はお前に『分かった、飲みましょう』って言って欲しいんだ。なぁ?」
バーテンダーとして接客しているときには、絶対にありえない距離感だった。
少なくとも俺は、お客さんを威圧するようなことは決してしない。
そう。こんな距離感はありえない。
だから分かる。
今のオヤジさんが求めているのは、こういう距離感なんだと。
「……すみませんオヤジさん、まず一つ」
「おう」
「カウンターは叩かないでください。それも大事な備品の一つです」
「……お前なぁ」
「それともう一つ」
最初に、バーテンダーとしてきちんと言いたいことは伝えた。
そしてこの後は、バーテンダーとしてではなく、俺の一言だ。
「この後のカクテルは、作るのに時間がかかります。なんせ、移動する時間がかかりますから。良いですか?」
俺はなるべく自然に、精一杯の笑みを浮かべて言ってみせた。
オヤジさんは、少しだけ驚いたあとに、ニヤリと歯を見せたのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
すみません遅くなりました……
それと、あまりにも長くなってしまったので本日は二話構成に致します。
次話分も軽い推敲が済み次第投稿させて頂きます。
※0117 誤字修正しました。




