求めるもの『冷凍庫』
一度俺を認めてからのオヤジさんは協力的であった。
こちらの提案した『ダイニングバー』を面白いと言い、色々と考えてくれるようだった。
俺のほうも、勤めていたのは『ショットバー』という形式の店で、食べ物をしっかりと出していたわけではない。食堂側の意見は重要だと思った。
今の段階では、ここにはまだカウンターがあって、それに水道(これも魔法技術の一種だとか)が通っているだけだ。
簡単なカクテルを作れるようにするだけでも、色々と必要なものがある。
「それで、最低限必要なものってのは何なんだ?」
オヤジさんの言葉に、俺は指折り、自分の店にあったものを考える。
ビールサーバー、製氷機、エアコン、音楽プレイヤーやテレビ、コンロに電子レンジに……これらは最低限というほどではないだろう。
もっと減らしていって、自分の中で最も優先度の高いもの……。
「やっぱり『冷凍庫』と『冷蔵庫』はなんとか欲しいかなぁ。正直いって、その二つがあれば、あとは材料の話になるし」
最終的に求めるところはそこだった。
「冷蔵庫に冷凍庫? いきなり無理を言う男だな」
「そんなに無理ですか?」
「いくら掛かるか分かるのか?」
オヤジさんの猜疑の目、横の席に座ったスイもうんうんと頷いている。
だが、いくらと言われても、俺にはこの世界の貨幣価値などは分からない。
そうは言うが、前の店でちらりと業務用冷蔵冷凍庫の値段を聞いたことはある……三十万くらいだったかな? だから……。
「えっと、給料三ヶ月分くらいですか?」
とりあえず、少しサバを読んでみた。
ついでに俺の給料は歩合制だったので変動するが、少なくて十万、多いときで二十万いくか、といったところであった。
俺の現実的な読みに、しかし二人はそろって首を振った。
「二十ヶ月分くらいだ」
「マジすか……」
うっかりと驚愕の声が漏れていた。
貨幣感覚がない俺でも、その数字がきっととてつもない高額だってことは分かった。
そうなると、とてもではないが『初期設備』として導入するのは難しそうだ。
「でも、どうしてそんなに?」
「どうしてもなにも、『機人』の暇つぶしみたいなものだから。趣味で作られる分しか流れないし、そもそも買い手もいないし」
「需要と供給の関係で高止まりか……」
スイの補足に、俺はがくりと肩を落とす。
だが、それで諦めるのは少しだけ嫌だった。
「なぁスイ、その機人って連中に直接交渉はできないかな?」
「交渉?」
「ああ。レンタルとかの形でも良いから、なんとか安く利用できないかなと」
「うーん」
スイは俺の言葉に、難しそうに眉をひそめた。
「あんまり期待はできないけど、行くだけ行ってみる? この街の『機人』の場所に」
「いいのか?」
「うん。まあ、行くだけならタダだし」
俺の願いに苦笑いを浮かべて、スイは了承した。
だが、その俺とスイのやり取りを、オヤジさんが面白くなさそうに睨む。
「おい小僧。店の件は認めたが、それだけだぞ。スイに変なことしやがったら──」
「お父さん!」
そのオヤジさんの言葉を、スイは慌てて切った。
その後にスイは俺のほうをチラチラと心配そうに見つめてくる。
任せろ。と俺は安心させるように頷き、オヤジさんに面と向かって言う。
「大丈夫ですよ。バーテンダーはチャラそうに見えても締めるとこは締めますから。絶対に手は出しません」
ここは信用の作りどころと、俺はオヤジさんに対して慇懃に頷いてみせた。
だが、次の瞬間には、何故かスイからひやりとした視線が刺さる。
「……そう。絶対に。ふーん」
「……スイ?」
「……なんでもない」
スイはぷいっと視線を逸らし、不機嫌そうにむくれた。
彼女が機嫌を崩していることは分かるのだが、ここはまた褒めればいいのだろうか。
バーテンダーになって、なんとなく場の空気は読めるようになったが、女性の気持ちの変化だけは、しっかりとは読めない俺だった。
「へぇー、色々と共通してるんだな」
「何が?」
「食材とか」
俺が感嘆の声を漏らしたのは、スイと二人で市場を見て回っているときだ。
スイに案内されて『機人』のもとに向かう道すがら、この街の大きめの市場があるというので様子を見に来たのだ。
そこの市場は、さながら日本のスーパー並の規模があった。
色とりどりの食材が並び、色々な店が安さを競い合っている。
俺はそれらの店に並んでいる商品を見てみる。
字は欠片も日本語とは似通っていないのだが、不思議とその意味は分かった。
商品には立て札が付いていて、その意味は『にんじん』や『トマト』など。
見た目も俺の知っているそれらの野菜そのままだった。
「そうか。そういえば『オレンジ』でも、通じたもんな」
「……?」
俺の感心の言葉に、スイが首をかしげていた。何の話か分からないのだろう。
「普通、違う世界に来たら俺の思う『オレンジ』は無かったり、あっても違う名前になってるもんだと思ったんだよ」
「ああ、そういうこと」
補足説明を加えて、スイも納得したように頷く。
「それは多分、召喚された影響」
「召喚……か」
改めて言われると、自分が異世界に居るのだということを実感する。
俺の服装は、営業の帰りなのでシャツにスラックス、それにベストだ。多少は浮いているが、そこまででもない。
俺の感覚では、髪の毛の色がカラフルなこの世界の人間よりは、ずっと地味なつもりである。
そんな感想はさておいて、スイは俺の疑問、言語についてを補足してくれる。
「召喚魔法がこの世界とあなたの世界の情報をリンクして、共通のものは共通の認識に置き換えてるんだと思う。だからどんな物でも、この世界にあるものは『あなたの認識できる』表現で理解がされると思う」
「……ふーん?」
前半はともかく、後半はよく分からない。
その曖昧な頷きを見抜かれたのか、スイが咎めるような目で付け足した。
「つまり、あなたが知らないものでも、それらしい名前が自動で付けられているってこと」
「ああ、そういうことか」
要するに、単語の意訳と考えればいいのだ。
知らない横文字の単語があれば、それの意味を持った適当な造語になっている。
召喚された、というだけでその機能が自動的に与えられるものなのだろう。
「というか。一つ、不思議があるな」
「なにが?」
「俺はいったい、誰に召喚されたんだ?」
「……そういえば」
俺がその当たり前の疑問を述べると、スイもようやく気づいたといった反応。
だが、おかしいのだ。
例えば俺が誰かに召喚されたのだとしたら、俺を呼び出した者が居る筈。しかしそいつは姿を見せず、干渉してくる様子もない。
「…………」
「…………」
俺とスイは、しばらく無言で考え込み、
「ま、いいか」
その後に俺はそう結論づけた。
「いいの?」
「用があるなら、向こうからやってくるだろ」
スイが少し呆れているが、そこは楽観的にとらえることにした。
召喚者の目的などは、俺には関係ない。
「それよりも、今はスイの為にできることをしたいからな」
「……ありがと」
俺が素直な感想を告げると、スイは少しだけ照れたように、俯きがちに言った。
良かった。どうにも、店を出るときから少し不機嫌そうだったのが、ようやく持ち直したみたいだった。
「よし。市場はまた今度じっくり回ろう」
「もう見なくて大丈夫なの?」
「ああ、思ったよりも素材集めに苦労はしなさそうだ」
割り材などの調達にお金はかかるだろうが、自分の知っているレシピは基本的にそのまま使えそうなことはわかった。
果物がそのままなら、それから作るジュースもそのままのはずだ。
存在を確認できた段階で、俺の心配は大分減った。
「それじゃ、噂の『機械』を見に行こうぜ」
俺は、この異世界でまみえる『機械』に少しのワクワクを感じながら言った。
※0805 誤字修正し、行間を少し整理しました。




