【ギムレット】(2)
俺はポーチからいくつもの弾丸を抜き出した。
シェイカー、氷、そして材料となる『ジーニ45ml』に『ライム15ml』。
忘れてはいけないのが、1tsp──スプーン一杯分の『シロップ』だ。
「くっ!」
俺のすぐ側で、フィルの苦悶の声が聞こえた。
いくら全力でも多勢に無勢。相手は遠距離からの攻撃を諦めて接近戦に移っている。
それらの攻撃を、恐るべきスピードで受け、いなし、返していく兄妹。
しかし時にはそれらがすり抜け、俺に迫ろうとする。
その攻撃を、翼を使って無理に受け止めているのだ。
《生命の波、古の意図、我定めるは現世の姿なり》
それに感謝以上の責任を感じつつ、俺は手に持っていた弾薬をまとめて元に戻した。
初めに弾薬の形から、元の姿を取り戻すのはシェイカー。それに追いつくように、材料が次々と元の姿を取り戻していく。
シェイカーの中に吸い込まれるように入っていくのは、『ジーニ』『ライム』『シロップ』そして氷だ。
材料は足りた。
後は、混ぜ合わせるのみだ。
宙を舞うシェイカーをつかみ取り、蓋をする。
迷う事無く、膝に叩き付けるようにしてきつく締めた。
直後、俺の目の前にすり抜けた拳が迫ってくる。
「させませんわ!」
伸びてきた腕に、サリーが痛烈な打撃を与えた。
その結果、腕はぐにゃりとありえない方向に折れ曲がり、俺に拳を向けたメイドは、悲鳴を上げながら吹き飛んでいく。
すまない、助かる。
言葉にする余裕も無く、俺はシェイカーを胸の高さにかかげ、目を瞑った。
シェイクに入るときは、集中していなければならない。
少しでも雑念が入れば、それは味に関わる。
味に関わるということは、威力に関わる。
今回の『カクテル』で妥協するわけにはいかない。
少しでも込める思いが強すぎれば、吸血鬼の治癒能力を超えてダメージを与えてしまう。
甘いと言われようと構わない。俺は誰も殺すつもりはないんだ。
もちろん、不味くするわけではない。
隅々まで俺の意志が籠った、完璧な『カクテル』が必要なのだ。
緩やかにシェイクを始める。
最初は静かに、やがて中の液体と固体が踊り始めるにつれ、次第に激しく。
手に伝わる感触に嘘は無く、この瞬間においては目以上の情報を与えてくれる。
耳もそうだ。中の様子を過不足なく与えてくれる。
意識を傾ければ、悲鳴だの肉を殴る音だのが聞こえてくるだろうが、今の俺には必要ない。
完全な世界で、ゆっくりと手の中の液体が『完成』へと上り詰める。
やがて、ここぞというタイミングに合わせて、俺はシェイクを止めた。
そしてようやく目を開けば、
俺を守るようにして、肩で息をする兄妹の姿があった。
「あと、十秒──っ!」
「耐えてみせますわっ!」
体に傷はなくとも、その消耗は明らかだ。
服はところどころ千切れ、額には大粒の汗。
なにより息が荒い、それが軽度の魔力欠乏状態だと分かるのに苦労はない。
対する相手方には、余裕が窺える。
治癒が追いつかないほどのダメージを受けて、呻きながら腕を押さえている者もいるが、その殆どは軽く息が上がっている程度。
そして、その様子を俯瞰して眺めるように、微動だにしないトリアスが不気味であった。
だが、そうであっても俺は止まれない。
シェイカーの中身の液体に向かって、早口で唱える。
《生命の波、古の意図、我求めるは魂の姿なり》
その呪文の後に、強引にシェイカーの蓋を開け、輝く弾丸をつかみ取る。
そしてそれを、右手で引き抜いた銃へと、込めた。
「基本属性『ジーニ45ml』、付加属性『ライム15ml』『シロップ1tsp』、系統『シェイク』」
宣言を行えば、俺の指先から必要な魔力が送り込まれる。
準備を終えたという唸り声があがり、俺はそれを夜空へと向けた。
──────
(あと、少しだけ、耐えれば!)
フィルは、額に浮かぶ汗を拭う事もできず、ただひたすらに防戦を続けていた。
身体能力強化を全力で使い、維持するだけで魔力を喰う翼も常時発動。それに加えて、持てる限りの力を使って治癒に魔力を当てている。
そのおかげで、自分たちよりもよほど上手な使用人たちを、圧倒することができている。
だが、それもいつまでも保つものではない。
無視することもできないほど、息は上がっている。
体内に循環させている魔力が、枯渇を恐れて悲鳴をあげている。
なにより不気味なのは、この場を指揮しているトリアスが、一切動く様子を見せていないことだ。
何か、突拍子もないことを企んでいるのかもしれない。
それでも、動きを止めるわけにはいかない。
自分たちに、信頼を託してくれた、総の期待を裏切るわけにはいかない。
「フィル! 左!」
サリーの警告がかかり、フィルは咄嗟に左へと翼を伸ばす。
迫っていた拳を、薄い翼が受け止め、激痛が走った。
だが、そんなのはどうでもいい。傷は治るし、総を守れれば、目的は達せられる。
「させるか!」
フィルは悪いと思いながら、その拳の主を叩きのめした。
攻撃を受けた相手の腕が、嫌に折れ曲がるが、すまないと思うだけだ。
どうせあの程度では、治癒ですぐに治る。今の状況では、謝罪をする必要性すら感じない。
そうこうしているうちに、フィルの耳に、シェイクの音が鳴り響いた。
命を狙われている状況下にあって、総のシェイクは泰然としていた。
恐ろしいほど『いつも通り』に、その規則的な音が響く。
それは反面、自分たちへの信頼の表れだと、強く感じた。
その音を守るために、フィルは悲鳴を上げる体を酷使する。
ふとすれば認識を超えそうになる身体能力を、意識の力で強引に制御し。
迫り来る暴風のような危険から、総を守る。
やがて、ゆっくりと音は小さくなり、止まった。
今まで目を瞑っていた総が、その目を開く。
フィルとサリーは、その目に応えるように、根拠のない虚勢を張った。
「あと、十秒──っ!」
「耐えてみせますわっ!」
そう答え、フィルは持てる力を振り絞る。
気力をみなぎらせ、背後に居る総への道を、固く閉ざす。
《生命の波、古の意図、我求めるは魂の姿なり》
フィルの耳に、総の詠唱が届いた。
ここまで来た。もう少しで、自分たちの信じる師が、行動を起こす。
焦げ付くような焦燥の中に、僅かな安堵が滲み出した。
恐らく、サリーも同様な気持ちであることに、疑いはない。
「基本属性『ジーニ45ml』、付加属性『ライム15ml』『シロップ1tsp』、系統『シェイク』」
総の、いっそ冷徹なまでに整った宣言が、フィルの耳に届く。
その瞬間、フィルの心は、緊張よりも安堵が勝った。
勝利への道筋が通り、気が抜けた、そんな時だった。
(……! トリアスの、姿が!?)
フィルがずっと、視界の端に留めていたはずの執事。
トリアスの姿が、いつの間にか消え失せていた。
(どこにっ!?)
フィルが慌てて視線をさまよわせた先。
そこには、ありえない光景があった。
自分たちが必死に守って来た、総のすぐ隣に、トリアスの姿があったのだ。
──────
「ここですね」
宣言を終えた直後。
俺の真横から、静かな声が聞こえた。
意識もしていなかったその言葉に、精神が乱れる。
声に目を向けると、俺へと右手を伸ばすトリアスの姿があった。
「なっ!?」
「えっ!?」
俺を守るはずだった兄妹は、虚を突かれたように声を上げた。
そうか。このタイミングを待っていたのか。
トリアスが様子を窺っていたのは、穴を見つけるためだ。
俺の準備が整い、兄妹の警戒が緩む意識の穴。
その一瞬を、俺の妨害をするチャンスを待っていたのだ。
「っ!」
俺はどうにか身を翻し、態勢を立て直そうとする。
だが、ここまで接近を許せば、流石に分が悪い。
俺の動きに苦もなく追従し、トリアスが静かに告げた。
「終わりです」
だが、その言葉のあと、トリアスが少しだけ躊躇した。
俺へと向けていた、手刀の形の右手が、僅かだけ停止する。
銃を弾いてから確実に殺すか、反撃を恐れて、真っ先に息の根を止めるか。
その程度の迷いがあったのだろう。
それが、トリアスの致命的なロスになった。
そのほんの僅かな隙に、遠方から飛んで来た、緑の光が滑り込んだ。
「え?」
トリアスが戸惑いの声を上げる。
しかし、その言葉だけで、その現象を説明しきることはできない。
遥か遠方から飛来した緑の光──『風の魔力』が、伸ばされていたトリアスの右腕に突き刺さり、その腕を弾いた。
トリアスは腕に引きずられるようにして、体勢を崩す。
その僅かな時間で俺は銃を構え直し、トリアスを蹴り飛ばした。
執事の体が吹き飛び、ようやく俺の身近に脅威の姿はなくなった。
「今度こそ!」
「守ります!」
その直後、俺を庇うように、兄妹が俺との隙間を詰めて、立つ。
好都合だ。声をかけるでもなく、一瞬だけ俺たちと刺客たちの間に、隙間が開いた。
俺は、ふぅ、と一息だけ吐いて。
上空へと向けた銃の引き金を、引く。
「【ギムレット】」
宣言の後、緑色の光が、錐のように夜空を穿つ。
そしてそれは、瞬く間に大気へ、魔力となって溶けた。
直後、俺と兄妹の外側に変化が起きる。
俺の周囲半径1m程度の範囲で、人の大きさくらいの竜巻が八つ生まれた。
「ぎぃやああああああああぁぁああ」
「な、なぁああああああ!」
それらはその場にいた吸血鬼を、喰い散らかすように呑み込む。
だが、それで終わりではない。
それらは弾けるように、外側へと走っていく。
それも、少し進む度にその身を肥大化させ、相手に逃げる隙間を与えることもない。
竜巻は瞬く間に大通りの範囲を呑み込み、その場に居た大勢の吸血鬼たちを殆ど残らず喰らい尽くした。
やがて竜巻が消えると、呑み込まれていた者たちが解放され、地面に叩き付けられる。
流石吸血鬼というべきか、その体の傷はどんどんと塞がっていくが、すぐに立ち上がれるものは居ないようだった。
それは、執念深いことで評判のトリアスも、同様だ。
どうやら、この場の勝敗は、ようやく決したようだった。
※1026 誤字修正しました。




