月夜の逃避行
しばらくの間、俺のほうは動けない。
状況が分からなすぎる。
分かるのは、なにやらこの二人は良い所の生まれであるらしいこと。
そして、そんな二人を連れ戻すために目の前の男が現れたということ。
「さぁ、なにを迷っているのです? 私が現れた以上、あなた方に選択肢がないことは分かる筈です」
男の言葉に、兄妹はその身を固くしていた。
「……それは」
「……でも」
どうやら、二人と男に面識があるのは間違いない。
そして、何かしらで二人を『上回っている』ことも分かる。
だが、あんまり俺抜きで話を進められても、困る。
「すみません、どういう状況か説明してはもらえないですか?」
俺はまた、兄妹を庇うように前に出て、トリアスと名乗っていた男に尋ねた。
トリアスはそこでようやく俺の存在を認識したように、俺を見る。
「失礼。あなたは?」
「夕霧総と言います。少なくとも今は、この二人の上司というか、保護者です」
「……つまり、お二人の面倒を見ていると?」
「そんな感じです」
俺はなるべく柔和な笑みを浮かべて、会話を進めてみる。
トリアスは少しだけ訝しんでいた様子だが、すぐに表情を微笑みに変えた。
「なるほど。あなたがお二人を匿っていた、ということですか」
瞬間、恐ろしいほどの敵意が、トリアスから吹き出した。
俺は思わず、後ずさりしかける。
それくらい、強烈な圧が、細身の青年から溢れ出ているのだ。
「どんな目的があったのかは分かりませんが、これは吸血鬼側の問題です。痛い目にあいたくなければ、早々に手を引くことをオススメ致しますよ」
脅すような言葉だ。
いや、事実脅しているのだ。
どうやらトリアスは、俺が何らかの目的をもって、この二人を匿っていたと思っているらしい。
ここで分かることは、この二人にはそれくらいの価値があるということか。
二人の身柄が、恐らく何か政治的なことに利用できるくらいには。
トリアスは、ジリジリとこちらに近づいてくる。
俺は両隣にいる兄妹の様子を窺う。
記憶が完全に戻ったというわけではなさそうだ。
戸惑いの表情を浮かべたまま、俺と、目の前の執事を交互に見ている。
「まずは、話をしてくれる気は無いんですか?」
「あなたの事情は知りませんが、興味もございません。私に課せられた命令は『お二人を早急に連れ戻すこと』だけですので」
ニコリと親しみのない笑みを浮かべて、トリアスはさらにこちらに一歩近づく。
俺はひび割れかけた営業スマイルを浮かべたまま、思考を回した。
相手の言い分を聞く前に、はいそうですか、と二人を渡せるわけがない。
もしかしたら、二人が記憶を持っていないことを知っていて、騙そうとしている可能性もあるのだ。
まぁ、それだったら穏便に俺を言いくるめようとしてくるとは思うのだが、理由はそれだけではない。
俺は見ず知らずの男を信頼できるほどの、お人好しではない。
そして、この二人をそんな程度の男に渡せるほど、薄情でもない。
交渉する気がないというのなら、こちらにも考えがある。
「……吸血鬼っていうのは、体は頑丈なんですか?」
「……はぁ。人間よりは、頑丈かと思われますが」
じゃあ、当たりどころが悪くても、死なないでくれよ。
俺は覚悟を決めて、先程抜いたばかりの銃を再び握った。
『弾薬を戻し忘れる』という失態を犯していたのが、今回ばかりは功を奏す。
俺は『銃』の先端を、ぴたりとトリアスに向けた。
「……? なんですかそれは? 原始的な機械のようですが?」
俺が銃を向けた段階で、トリアスは警戒するように足を止めた。
そうだ。この世界の人間は銃を知らない。であればこそ、最初の一発は『無条件』に有利である。
それが武器であると、気付かれずに攻撃できるのだから。
ふと、先程の白い髪の女の影が過った。
あの女、銃を向けられて、手を上げていた……な。
いや、と俺は余計な思考を振り払う。
今はそんなことを考えている場合ではないだろう。
「これは、銃だ」
「銃?」
俺は静かに、その名を告げた。
トリアスの疑問に答えたのは、タイミングを図るためと、気をそらすため。
俺は視線だけで、兄妹に合図を送る。
二人もまた、俺の銃のことを詳しくは知らない。
だが、たかが一ヶ月の付き合いであっても、ずっと仕事を一緒にしてきたのだ。
俺のやりたいことが、少しくらいは通じてくれないと、困る。
「……さて、その銃というもので、いったい──」
俺はトリアスの疑問に答える前に、早口で宣言する。
「基本属性『ウォッタ45ml』、系統『ビルド』、マテリアル『オレンジシュース』アップ!」
俺の言葉に、動いたものは二つある。
一つは、まさに手の中の銃だ。
銃に込められた『カクテル』の弾丸は、俺の言葉とともに指先から流れ込んだ魔力に呼応して、鈍く唸った。
そしてもう一つは、トリアスだ。
俺の言葉の直後、彼は魔力的な高まりを肌で感じ取ったようだ。
止めていた足を、急速に動かして、俺の行動を阻止しようと走る。
だが、宣言を終えている俺には、流石に届かない。
「【スクリュードライバー】!」
俺はわざと狙いを足元に外して、引き金を引いた。
銃口から放たれた青色の弾丸は、狙い通りにトリアスの少し前の地面に着弾し、爆ぜる。
ずっと弾薬を外に出していたせいか、幾分か弱まった水の爆発。
しかしそれでも、咄嗟に防御態勢を取ったトリアスを吹き飛ばすには充分だった。
襲いかかる水の魔力が、トリアスの足にダメージを与えたのを、確認できた。
「逃げるぞ!」
俺が声をかけるのが早いか。
すぐに逃げ出せるよう態勢を整えていた兄妹は、即座に走った。
そう、俺はここで戦うつもりはなかった。
相手のことが分からない以上、信頼するつもりはない。
だが、同時に相手の言うことが正しい場合、正面きって戦うのは躊躇われる。
だから、逃げる。
とにかくこの場をやり過ごして、今は流す。
【スクリュードライバー】を直撃させなかったのも、そのためだ。
流石に、魔法を真正面からぶつけたりしては、言い逃れはできそうにない。
今はまず相手の足を止められれば、それで良いのだ。
あれほどの衝撃を足に受けたのだ。暫くはその足で満足に動くこともままならない。
まずは大通りを突っ切って入り組んだ道に入ろう。いくらなんでも、細かい地形はこっちのほうが詳しい筈だ。
そこまで辿り着ければ、あとはいかようにでも相手を撒ける。逃げ切れるはずだ。
「総さん! 良いんですか!? 僕達を引き渡せば解決しますよ!」
「そうよ! 私達の問題に、あなたを巻き込むわけにはいかないわ!」
月明かりが照らす夜の道を、ただひたすらに踏みしめながら。
兄妹はそれぞれが言いたい事を口にしていた。
どうやら、急速に記憶が戻って来ているらしい。
その表情から、戸惑いが消失し、責任感に変わっているように見えた。
そしてその発言は俺を庇うようなものだ。
随分と、後輩らしくないことを言ってくれる。
そんな二人の思いやりに少しだけ嬉しくなりつつ、俺もまた自分勝手な答えを返した。
「俺は分からないままにしたくないんだよ! 身の振り方なら、お前達から詳しい話を聞いて、それから決める!」
「そんな悠長なことを言っている場合では!」
「それにな!」
俺は懸命に足を動かしつつ、言った。
「お前等はもう店のモノだ! 今更無責任に放り出せるわけないだろ!」
言ってから、さっき似たようなことを言ったな、と心のどこかで思う。
フィルとサリーの二人は、少しだけ戸惑うように、俯いた。
それでも、どことなく、二人が嬉しそうに見えた気がした。
「さぁて、これくらい走れば?」
そんな言い合いを終えてから、俺は後ろを振り返った。
あの水の爆撃のあと、結構な距離を走ったのだ。
大分距離を稼いだ筈だ。
そう思いながら、遠くを見つめる。
想定していたよりもずっと近くに、俺たちを追いかけているトリアスの姿があった。
てっきり数十メートルは離れたと思ったのに、その距離は十メートルと離れてはいない。
しかも、奪ったはずの『足』で、力強く地面を蹴っているのだ。
「なっ!?」
「あの程度の攻撃で、私を止められると思ったら大間違いですよ!」
俺の驚愕の声に、トリアスは牙をむき出しにしながら叫んだ。
それから、彼はジリジリと、俺たちとの距離を詰めているのだ。
どういうわけか、足にはダメージの痕跡が全く残っていない。
「なんなんだあれは!? さっき確かに、足を攻撃したのに!?」
「『治癒』です! 魔力を消費して、瞬時に回復したんですよ!」
フィルから怒鳴るように説明が入った。
そうか、体が頑丈というのは、そういう意味も含まれているのか。
しかし謎が解けたところでどうしようもない。このままでは追いつかれる。
「なんか無いのか!? 吸血鬼的な弱点は!」
「光や熱の中では僕らの魔力は弱まります! その状態で足を攻撃できれば、治癒は遅くなるはずです!」
「サラム属性か!?」
フィルのアドバイスを受けて、考察してみる。
この段階で、相手にカクテルを撃っている余裕はあるか?
今ならまだ間に合う!
俺はそう信じて、咄嗟にポーチから次弾を取り出し、銃に込める。
そして急ブレーキを踏みながら、再び宣言を開始した。
「基本属性『サラム45ml』、付加属性『ライム1/6』、系統『ビルド』、マテリアル『コーラ』アップ!」
「二度同じ手を食らいますか!」
とはいえ、俺とフィルの会話は当然トリアスにも聞こえていただろう。
俺の宣言を聞き、トリアスは即座にその動きを、直線から変えた。
左右の動きを取り入れて、俺に狙いを定めさせないつもりらしい。
その動きはとても人間業には思えない。もちろん、狙いを定めることは難しい。
だが想定通りだ。そうすることで『速度が落ちれば』間に合うと思ったのだ。
「【キューバ・リブレ】!」
放ったのは、先程の水の砲弾ではない。
サラム属性の魔法。地面に火の壁を作り上げる【キューバ・リブレ】だ。
轟々と燃え上がる炎の壁が、俺とトリアスを遮って燃え上がる。高さは三メートルほどもあり、跳び越えることも困難だろう。
彼がその壁を越えるには、ダメージを覚悟で炎の中を突っ切るしかない。
「な、貴様!」
炎の向こうで、トリアスが忌々しげに声を上げていた。
あくまで足止め程度の効果だろうが、無いよりは増しだ。
さて、これが効いている間に、逃げ切れれば良いのだが。
「舐めないで頂きたい!」
俺を待つように速度を緩めていた二人に、追いつき、そのまま少し距離を取ったころ。
背後から、怒りの籠った声が轟いた。
俺は、その声に釣られて振り返る。
「壁があるのならば、それを飛び越えれば良いのでしょう?」
そこには背中から黒い翼を生やし、俺の張った高さ数メートルの炎の壁を、文字通り『飛び』越えるトリアスの姿があった。
「……嘘だって、これ」
どうやらこの鬼ごっこは、そう簡単に決着を付けさせてはくれないようだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ここからのシーンは少し暫定的です。
後々、設定段階の変化で描写が変わったり、より良い行動への書き直しがあるかもしれません。
とはいえ、大筋は変わらないので、あまり気にしないで頂ければ幸いです。
※1021 表現を少し修正しました。




