三つの感想
「んじゃ、まずは一通りのお手本な」
声をかけ、俺は併設されているカウンターの前に立った。
最初に手を洗い、頭に行動を思い描く。
【ジン・トニック】の作業手順はシンプルだ。
すべてのカクテルで言えることだが、まずは準備。
準備するものは、グラス、ボトルと氷、その他の順番だ。
材料は『ジン』──『ジーニ』に『トニック』、それと『ライム』のみ。
まずライムを絞り、グラスに氷を詰め、ジーニを注いだ後にトニックでアップ。
言葉にすると、なんとも単純な行程だが、単純故に奥深いのだ。
そうしみじみと思いつつ、俺は想定通りにグラスに手を伸ばした。
何につけても最初にグラスを用意することは、意味がある。
一つは、注文を受けてすぐにグラスを作業台、見える位置に置く事で『これから作りますよ』とお客さんを期待させる効果。
そしてもう一つ、意外と重要なのが、注文を受けたことを忘れないようにするためだ。
空いているときならその場で作って終わりで良い。
だが、もの凄く店が忙しいときなどは、注文を受けたその直後に新規のお客さんが来店することはざらにある。
そうなったとき、作業台をカウンターに見立ててグラスを置いておくことで、新規のお客さんへの最低限の対応が終わったあと、即座に注文を思い出すことができる。
複数人へ同時に飲み物を作るときは、最初に手順を思い浮かべるのが何より大事だというのは、分りやすいと思うが。
それに加えて重要なのが、どう柔軟に変化に対応するかなのだ。
とはいえ、この場では急な来店などあるはずもなく。
最初に思い浮かべた手順を迅速にこなすだけでいい。
そして、その手順で躓くほどには、俺は未熟なつもりはなかった。
「というわけで、ここに三杯の【ジン・トニック】ができた」
審査員たちの座るカウンターに、今は三杯の【ジン・トニック】が置かれている。
透明の液体と、底に沈む緑色のライム。
三つ並んだ姿は、なるほど夜の宝石と言われるだけあって、壮観であった。
一人が三杯ずつ、合計九杯作っても良かったが、それだと飲む方も大変だ。
ここは少し横着して、回し飲みで勘弁して貰うことにした。
ついでに、作った順番は俺が最初だっただけで、二人は同時だ。
ハンデと言うつもりはないが、カクテルは時間経過とともに味が変化する。
それを思って、俺は二人にはあえて同時に作ってもらったのだった。
その際に特に気をつけることと、基本的な動作以外、俺は口出ししていない。
やることを教えた上で、それぞれがどう動くかを、今一度見ておきたかった。
まぁ、想定通りと言えばそんな感じだったが、それが味にも影響してくるだろう。
「それじゃ、見てたからどれが誰のかは分かるとは思うけど、それぞれ口を付けて貰えるかな?」
「ど、どうぞ」
「召し上がれ」
俺の言葉に被せるように、二人の弟子も声を揃えた。
そして、三人はそれぞれカクテルを口に含んだ。
「あっ、美味しい!」
ぱっと表情を輝かせながら言ったのが、俺の作った一杯を飲んだコルシカ。
「……なんつうか、悪くないけど、弱いな」
腑に落ちない顔で述べるのが、フィルの作った一杯を飲んだベルガモ。
「なにこれ? なんかエグいんだけど」
あからさまに不満げに言ったのが、サリーの作った一杯を飲んだイベリスだった。
その感想を受けて、場は一瞬静寂に包まれる。
「だ、誰のカクテルがエグいっていうのよ!」
直後、サリーが表情を激情に歪ませて、イベリスに食って掛かっていた。
イベリスは、あちゃーと言いたげな表情を浮かべつつ、言葉は曲げない。
「それは、この一杯に決まってるかもねぇ」
「そんなはずは……も、もう一度飲んでみてよ!」
「それはちょっと待っててよ。まずは他の二人がどういう反応をするかでしょ」
イベリスは同意を求めるように、隣に座る二人に言葉を投げかけた。
だが、エグいと評されたカクテルである。
二人はいささか、複雑な表情で小さく頷くのみであった。
「…………エグい……」
で、感想が一巡した結果。
まぁ、概ね最初の一人が出した感想と、そう差異のない答えが返って来たのだった。
そして、思いのほか、サリーががっつりと落ち込んでいた。
「サリー、元気出しなよ」
「……フィルは良いわよね。不味いとは言われてないんだから」
「え、いや、別にそんなつもりじゃ」
「…………ふんだ」
フィルの励ましにも刺々しい態度で返し、ずんずんと沈み込むサリー。
うーん。今回はフィルにその経験を積んで欲しかったのだが。
流石と言ったところか、フィルは初めての割にはそつなくカクテルを作ってしまった。後で指摘はするが、初めて作った人間に求めることでもない。
俺はなんと言って良いのか迷いつつ、まずはサリーの作った一杯の味をみた。
舌の上をまず踊るのは、トニックの甘苦さ。
だが、それに追従するように、エグ味が入る。
これは、ライムの歓迎すべきでない苦みである。
【ジン・トニック】の辛さと甘さの融合に、このエグ味が常に入り込む。
その原因がなんであるのかも、俺にはとても良く分かった。
「じゃあ、サリー。なんでこうなったのか教えてやろう」
俺が声をかけると、サリーは少しだけ不貞腐れた表情で俺を見た。
「ふんですわ。どうせ、私の技術がまだまだだからとでも言うのでしょう?」
「いや、それは確かにある。でも一番の原因はそこじゃない」
「……一番の原因?」
きょとんと俺を見つめてくるサリーに、俺は断言する。
「サリー。お前、ライムを絞り過ぎなんだ」
先程、サリーの様子を見ていてそれは簡単に推測できた。
サリーは、ナイフで切り込みを入れた六分の一のライムを、力任せにぎゅーっと絞っていたのだ。
それは、俺も昔やったことがある失敗だったから、とても良く分かった。
「サリーさ。俺がライムを絞り入れるとき、『もっと果汁が絞れるのに、中途半端なところで止めてる』とか思ってただろ?」
「…………」
「実はな、一見中途半端に見えるその絞り方が、最適な絞り方なんだよ」
サリーは決して言葉を発したわけではないが、その様子から、そう思っていたことは察せられた。
だが、その認識を塗り替えることが、ある意味ではカクテルの『味』を考える第一歩である。
ことライムにおいて『まだ絞れる』ほど、甘美かつ致命的な落とし穴は無いのだから。
※1004 誤字修正しました。




