新メニュー談義
慣れない仕事で疲れていた弟子の二人と、動き回るので疲れるライは、掃除後すぐに家に帰した。
調理場の清掃なんかを終えたベルガモも、少し遅れてそれに続く。
だが、最後の点検をオヤジさんが終えた段階でも、俺とスイはまだ店に残っていた。
オヤジさんに物理的な牽制を受けて(主に俺だけが)も、俺とスイは残ってやることがあった。
スイのご機嫌取りもあったが、色々と決めることがあったのだ。
メニューの書き直しをどうするか。
現在、俺とスイが隣り合わせに座っているカウンターには、メニューの例がいくつも並べられていた。
ここ一ヶ月で材料は大幅に増えた。それにともなって、作成可能な『カクテル』もまた、大幅に数を増やした。
いちいちと材料を列挙するのもあれなので割愛するが。
この世界にあった魔草──代表的と言える薬草系リキュールはほぼ揃い。
同時に、無属性ポーションによって果実系のリキュールも大幅に増えた。
さらに、流通関係の繋がりによって『クランベリー』や『パイナップル』など、それまでなかった果実までが手に入るようになったのだ。
現時点で不足と言えば、ウィスキー系を原料に使うようなリキュール。
そして『ベルモット』だ。
『ベルモット』は、フレーバードワインに属する、香草やスパイスを配合したワインのことだ。
香り高く、華やかで、様々なカクテルの材料に使われている。
その『ベルモット』が見つからないのは計算外だったが、無い物ねだりをしても仕方ない。
本当に悔しいのだが、それがなくとも、幅は増えた。
今までのメニューは、それをカバーしきれていないのだ。
だが、作れる『カクテル』を全て列挙するのは現実的ではない。
何故ならば、カクテルは信じられないほどに膨大な数があり、オリジナルまで入れてしまえばそれこそ無限だ。
その全てをメニューに書くなどは、どだい無理な話なのである。
「それで、俺としてはやっぱり、各スピリッツの代表的なメニューを残しつつ、少しだけ色物を入れるくらいで良いと思うんだ」
「でも、それだと今の常連さんには、あまり変化が感じられないんじゃない?」
「いや、常連さんだから、口頭で薦めることもできるだろ? メニューを見るのは圧倒的に初めての人が多いんだから、分りやすさ重視だ」
俺の提案に、スイはむぅ、と少しだけ考え込んでいた。
そこまで意見が対立しているわけではないのだが、少し立場が違った。
俺は、メニューの数を厳選して絞るべきだという考え。
反対にスイは、出来る限り広く、多く乗せるべきだという考えだ。
「総としてはそれで良いかもしれないけれど、カウンターに座らない、テーブル席のお客さんとかには、不親切にならない?」
「……それは、そうか」
俺の頭の中には、カウンターを基本にした店が広がっている。
しかし、スイは店全体を見た時の意見を言ってくれていた。
確かに、俺の先程の意見は、俺が直接話をできる人に向けたものであった。
「オヤジさんはなんて言ってるんだ?」
「飲み物のことは任せるって。そろそろ、エールの方もこっちに回すしって」
「任せる、か」
エール……いわゆる発泡酒に関しては、基本的に食堂側の管轄であった。
だが、人も増えて来たし、飲み物全般はこちらに統合してしまうという案は出ていたのだ。
そのための『機械』も、実はイベリスに頼んである。
だが、それはそれでまた違う問題もあるのだが。
「……ポーション屋から、本格的にポーション以外のものを出すことになってしまうな」
「そうだね」
俺は、目線で『それで良いのか?』と尋ねてみる。
スイは気にした様子の無い、淡々とした口調で答えた。
「良いよ。だって総も、本当はポーション以外も、出したかったんでしょ?」
「……それは、否定しないけど。でもさ、スイはポーション屋をやりたいのに」
「大丈夫。総のおかげで、私はすっごく恵まれてるから」
そう言ったとき、スイは無表情から一転、小さな花のような笑みを見せた。
「ここは、誰の役にも立てない寂れたポーション屋だった。それが、総のおかげで変わった。直接人を助けられたし、この前、常連さんが作った『カクテル』で助かった人が居たって聞いた。それだけで嬉しいのに、総はもっとすごいことをしてくれた」
言いながら、スイは目線を並んだボトルの一つに向けた。
それは、紫色の液体の入ったボトルだった。
「あんな権威のある会で、私のポーションを使って、一番いい成績を取ってくれた。総が来てから、私は総に助けられてばっかり。だから、思うんだ」
「……なにを?」
「総が私の願いを叶えてくれているように、私も総の願いを叶えてあげられたら、って」
スイの表情が、すごく透き通って見えた。
俺は、なんとなく彼女のその、透明な感じを否定したくてたまらなかった。
「それを言ったら、俺だってスイに助けられてばっかりだ」
その衝動に任せて俺が言うと、スイは少しだけ面食らった様子だった。
「……そうかな?」
「最初に俺を見つけてくれて、色々と俺の思いつきを手伝ってくれて、時には俺を引っ張ってくれて、支えてくれて。本当に、スイが居なかったら俺は何も出来なかった。俺のほうこそ、いつもスイに願いを叶えてもらってるから、スイの願いを叶えたくて頑張ってたんだ」
それは紛れもない本心だ。
俺が目覚めたのがここじゃなかったら、俺は『四大スピリッツ』に出会っていない。
俺が思いついたことを、魔法で様々に叶えてくれたのも、ほとんどがスイだ。
だから、俺は彼女の力がなければ、こうして好き勝手に動くことはできなかった。
「だから、お互い様ってことでどうだ?」
「お互い様?」
「少なくとも、俺はスイが側に居てくれないと、困るよ」
「──っ!?」
俺の心からの意見に、スイが目を見開いて驚いていた。
そんなに、俺は彼女のなかで、なんでもやってしまう人間に見えていたのだろうか。
バーテンダーらしく、いつも余裕の態度で振る舞うのも、考えものだな。
「……いや、全然違う。私には分かる。何も考えて無い」
「スイ? どうした?」
「ほら、これだもん。心配そうにしてるもん。状態異常耐性付いてるんじゃないの」
「?」
スイはぶつぶつと独り言を呟いて、それから頭を軽く振った。
「なんでもない。それより聞いて」
そして、いつもの無表情に戻って、先程のメニューについての提案をした。
「折衷案。総がイメージするシンプルなメニューをベースにしよう。それとは別にカクテルの詳しいメニューも作っておいて、状況に応じて出すって感じは?」
「ああ、なるほど。興味のありそうな人には、さりげなくそういったメニューを薦めてみるって感じか」
「そう。それなら、私やライでもできるから」
「了解。じゃあ、そうしてみよう」
ひとまず様子見というのも含めて、こうしてメニュー談義は終わった。
と、全ての予定が終わったのならこれで帰るでもいいが、生憎とまだ彼女に付き合う用事があった。
スイは目をキラキラと輝かせて、カウンターの椅子に座り直した。
「それじゃ総。分かってるよね?」
「……今日もやるのか? もう遅いんだし、今回はお休みしてもいいんじゃないか」
体調を気遣って提案したが、スイはすぐに機嫌を崩して、俺を睨む。
「そんなに、明日のフィル君とのデートが楽しみなの?」
「……スイ様。今の私はあなた様だけの忠実なバーテンダーにございます」
「なら分かるよね?」
「かしこまりました」
俺の答えに満足したスイは、ルンルンと鼻歌混じりに俺の動きを待った。
いつの間にかに始まった、なんてことはない行事だ。
休日前は、営業後にスイに新しいカクテルをご馳走することになっているのだ。
それも、彼女の希望により、まだ誰にも出したことのない『カクテル』限定である。
「よく飽きないな、スイも」
「私はこの時間が一番好き」
言ったスイは、先程の冷たい笑顔が溶けるほど、柔らかな笑みを浮かべていた。
「まぁ俺も、美味しそうに飲んでくれるのは、嬉しいけどな」
彼女の表情に、幾分か気を緩める。
当たり前だが、本気で怒っていたわけではないのだ。ないよね?
とにかく今は、たった一人のお客様のために、頭の中で新しい『カクテル』を思い浮かべるのに精一杯なのであった。
※0925 ベルモットの説明を、少し加筆しました。




