最初の壁、父
「で、言いてえことはそれだけか? 小僧」
その男は、ひたすらに不機嫌そうな顔をしたまま、額をピクピクとさせていた。
俺は内心で結構ビビリながら、それでもはっきりと言う。
「はい。あなたのお店でどんな飲み物を出してるのかは知りませんが、僕が作った『カクテル』の方が美味しい自信があります。ですから、ここで飲み物を作らせてください」
場所は先程とまったく変わらぬ店内。
違うのは、今この場には、俺とスイ以外に熊のようにがたいのいい中年男が追加されていることだ。
名前はフレン・ヴェルムット。
ここにいるスイの父親であり、同時に食堂『イージーズ』の店主でもある。
そして俺は、その店主相手に交渉しているところなのだ。
そちらで食事を提供する時間、この『スイのポーション屋』で飲み物を作らせてくれと。
オヤジさんは、俺の目をギロリと睨む。
まるで得体の知れない男に、自分の愛娘が誑かされて怒り心頭とでも言いたげだ。
……あれ。それで間違いなく合ってるな。
よく考えたら、見知らぬ男と娘が二人きりの状況を目撃して、しかもその娘が男に『この人のためにお店の内容を変えたい』とか言い出してるんだし。
俺の想像を肯定するかのように、オヤジさんはガンとテーブルを叩いて怒鳴った。
「寝言は寝ていえこのクソ男がぁ! 生まれてきたことを後悔させてやるぞ!」
そのあまりの剣幕に俺は背筋を正す。
だが引き下がりはしない。
バーで働いていたときに、お客さんに怒られるなど数え切れないくらいあった。
働いて一週間で、酔っぱらった客に『殺すぞ』とキレられたのは決して忘れない。
それに比べれば、相手が理性的なぶん、会話の余地は大いにあるはずだ。
「言っていることが信じられないのも分かります。ですから一度だけ、飲んで──」
「うるせえ! さっさと消えろ! さっさと消えねえと痛い目合わせてやるからな!」
だがしかし、娘の危機に瀕した父親は話を聞いてはくれないのだった。
オヤジさんは、ふんっと鼻を鳴らし、仕込みのためと言って厨房へと消えていった。
後に残された俺は、その姿が見えなくなったところでようやく肩を降ろす。
「……交渉決裂か」
「だから言ったでしょ。お父さん、頑固だって」
俺がため息を吐くと、その様子を傍観していたスイも合わせた。
何をするにしてもこの場所は外せないのだ。
俺は当然として、スイも恐らく新たに店を開くような金は持っていない。
しかし『バー』をやっていくには、店が必要なのだ。
さらに言えば、ポーション酔いというものが酒酔いと同様のものだとすれば、客層は必然的に夜に酒を飲みにくる大人たちとなる。
それを考えればこの食堂は絶好のポイント。
『カクテル』の名を知らしめるためには、外せない案件なのである。
だが、結果は先程の通りだ。
「なんであんな風に認めてくれないんだ?」
俺は想像以上の強硬な反発に頭を捻った。
すんなりと通らない可能性は確かに考えていた。だが、あそこまで一方的に話を聞いてもらえないとは思っていなかった。
その言葉を聞いたスイが、その答えを述べた。
「……それはね。お父さんが、そもそも『ポーション屋』を大嫌いだからだと思う」
「ポーション屋が大嫌い?」
その思わせぶりな台詞に、俺はつい尋ね返していた。
だが、スイは少し言葉を詰まらせる。
そして俯きがちに、言った。
「……ごめん。あまり、関係ないから、今は良いかな?」
「分かった」
内容は分からなくとも、それが何か彼女達にとって重要なことは分かった。
初対面の俺にホイホイ話せないことも多いだろう。余計な詮索はしない。
「じゃ、気を取り直して。どうにかしないとな」
意図して少し元気な声を出し、これからのことを考える。
現状、どうにかしてオヤジさんに認めて貰わないと話にならない。
そして、認めて貰うには『カクテル』を飲んでもらう必要がある。
美味しい『カクテル』を。
交渉は失敗だったが、それも仕方ないかもしれない。
何故ならば、カクテルをより美味くするため、この場には決定的に足りてないものがあるのだから。
良く考えれば。それを準備してからの方が、話を進めやすいはずなのだ。
「なぁ、スイ。ちょっと聞きたいんだけど。『冷蔵庫』とか『冷凍庫』……いや、そもそも氷ってどっかで買えるのかな?」
「氷を、買いたい?」
俺の言葉に、スイはまたしても不可思議そうに目をパチクリとさせる。
だが、これは『バー』としては死活問題だ。
そもそも『カクテル』は、圧倒的に『コールドドリンク』が多い。
冷たいのがカクテルであり、カクテルならば冷えているのが当たり前みたいな状況だ。
「さっきの【スクリュードライバー】もそうなんだけど。『カクテル』は基本、冷えてたほうが美味しいんだ。それは色んな飲み物でもそうだろう?」
「ああ、なるほど」
スイは俺の言葉に頷いてくれた。
どうやらこの世界であっても、その程度の認識はある。当たり前か。
「だから『冷蔵庫』と『冷凍庫』ね。聞いたことがある。機械ね」
「あるのか!」
「……あるには、あるけれど……高い」
「……高い?」
「高い。すごく高い」
答えるスイの顔は、あまり前向きには見えなかった。
曰く、機械というものはその性能もさることながら、値段が張るらしい。
そもそもが魔術とは異なる思想の道具であるし、作っている者も少ないので仕方ないことらしい。少なくとも買おうと思って、すぐに買えるものではないという。
俺はそこまで聞いて少し思ったことを尋ねる。
「それじゃ、食材の保存とかはどうしてるんだ? 冷やすときとか」
「氷で冷やす。どうしてもってときは凍結の魔法とか、腐敗防止の魔法とか。後は普通に保存食ね」
「なるほど。そうなるか」
魔法文化となると、俺が今まで機械に頼っていたことが、魔法でこなせていてもおかしくはないのか。
だがそうなると難しいこともある。必要なときに魔法で凍らせられる世界で、物を凍らせる機械が普及しているとは到底思えない。その本質は保存だとしてもだ。
氷で冷やすということで当面はなんとかしても、早々に解決しないといけない。
「分かった。ひとまずは氷の確保だな。この店でも取引はあるのか? 俺が前に働いてた店なら、週に何度か氷を買っていたんだけど」
「そうね。お父さんも保存に使う分なんかは何日かおきに買ってるはず。今日も確か、配達があったと思う」
それは良い事を聞いた。
氷が手に入るというなら、簡単な材料で作るカクテルは『シェイク』でも問題ないということだ。
カクテルの無いこの世界だ。
俺のカクテルを不味いだなんて、絶対に言わせない。
「じゃあ、後はどうにかしてオヤジさんに、カクテルを飲んで貰わないとな」
結局最大の壁はそこになるのだ。
先程の態度を思う。彼が『ポーション屋』を嫌いだというのは仕方ない。
だが、それを理由に飲まずに否定されてはこちらも打つ手がない。
「それなら、大丈夫。私に考えがあるから」
俺がうーんと唸っていると、スイがすっと手を挙げた。
「本当か?」
スイはこくりと頷いたあとに、じっと俺を見つめてきた。
そして静かな声で、俺に思いを託す。
「信じてるからね。絶対にお父さんを納得させるって」
その瞳は、言葉とは裏腹に不安に揺れていた。
だから俺は、彼女を安心させるようにはっきりとうなずいて見せた。
「任せろ。一口飲めば、絶対に認めさせてみせるから」
俺が答えると、スイは安心したように安らいだ笑みを見せた。
「そのかわり、オヤジさんの味の好みとか教えてくれるか? なるべくなら安全に行きたいからな」
「……ちょっと、かっこ悪い」
少しだけじとっと俺を見た後に、スイも今度は面白そうに笑った。
勝負は、オヤジさんが顔を見せる『氷屋』の到着時になるだろう。
ブックマークや評価などしてくださった方々、大変ありがとうございます。
少しでも先を楽しみにしていただけているのなら、感激です。
これからも精一杯頑張ります。
※0805 誤字修正しました。