あなたのために。
「きつね! あなた、勝手に私の箱に入りましたわね!?」
「うるさいなぁ。入ってないっての。」
そんな声で目が覚めた。
入院生活三日目。
昨日、お母さんは約束通り、クッキーを持ってきてくれた。
おかげで病室は賑やかになった。
…ちょっとうるさいけど、病院のひっそりした空気よりはマシだった。
「では、どうして位置がずれてるんですの!?」
病院に来ても、二人は相変わらず口喧嘩ばかりしている。
ハートが、サイドテーブルの上で、自分が入っていた箱を指差して叫んでいる。
どうしたのか聞くと、箱の位置が午前中と違うのだという。
「触る人なんて、きつねしかいないでしょう!?」
ハートは、きつねが箱を勝手に触ったと思っているらしい。
きつねは、知らないと主張している。
私はさっきまでお昼寝をしてたから、どっちが本
当のことを言っているのか分からなかった。
「だから、触ってないって言ってんだろぉ。今日は昼まで寝てだんだから。」
きつねは、ハートから少し離れた所でゴロゴロしている。
きつねは最近、寝ていることが多くなった。
多分、もうすぐで食べられなくなるんだろう。
彼らは食べられなくなってしまうと、人の姿を失ってしまう。
腐ってしまった食べ物達を捨てるときは、本当に悲しい。
きつねも捨てなくちゃいけない時が来ると思うと、急に寂しくなった。
気がつくと、四時を過ぎていた。
少し肌寒くなって、私は座っていた窓を閉めた。
昼間、私はいつも窓を開けていた。
先生が、室内の空気はこまめに入れ換えてね、と言ったためだ。
本でも読もうかなと思って、サイドテーブルの引き出しに手をかけた。
すると、箱に腰掛けたハートがじっとこちらを見つめている。
そういえば、珍しく二人の声が聞こえない。
見ると、きつねは自分の紙袋の中で眠っていた。
「ゆうさん。そろそろ食べてくださらない?」
ハートが静かな声で、私にそう言った。
「んー、そうだね…。もうすぐ夕食だから、また今度ね…。」
私が目をそらして誤魔化していると、ハートは箱から降りて、私の方へ歩いてきた。
「きつね…、きっともうすぐ食べられなくなっちゃいますわ。」
ドキッとした。
ハートの目は真剣そのものだ。
私が言葉をなくして動かないでいると、ハートはうつむいて呟いた。
「……きつねが先に、ゆうさんに食べられてしまうのは悔しいですけど…。私達は、ゆうさんが食べるためにあるんですのよ…。」
…分かってる。そんなに悲しそうな顔しないでよ…。
「うん……。…そうだね。」
今まで、人の姿だからって食べられないでいた。
でも、目をつぶって口に含んだら、意外と普通にクッキーなのかもしれない。
ハートの必死な顔を見て、一度やってみようと思えた。
「分かった。きつねが消えてしまう前に、きっと食べるよ。」
私はハートの目を見て、しっかりと頷いた。
するとハートはホッとした顔で、「まったく、きつねは世話が焼けますわ」と言って、箱の中に入っていった。
ハートはやさしいな。
あれだけ、どちらが先に食べられるか喧嘩していたのに。
私は初めて、彼女たちの味を想像してみた。
きっと、やさしくて、幸せな味がするに違いない、と思った。