一陣の風
拙い文章、そして投稿後の度重なる改変、申し訳ありません。
こんな作品ではありますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
大草原を眼下に望む小高い丘の上、漆黒の毛並みが美しい麗馬に跨り、両手を丸めて作った双眼鏡で今まさに衝突せんとする両勢力を傍観する一人の優男。
「方や100を超える帝国の精鋭騎士、方や装備も儘ならない30足らずの領民兵。この戦、誰がどう見ても後者に勝ち目は無し……と」
本来女性が使うそれであろう空色のリボンを用い頭の後ろで一本に束ねた茶混じりの長い金髪と、深緑色の長外套が時折吹く強い風になびいている。
「行こう、ジェニー」
丸めていた手を崩し変わって麗馬の手綱を強く手繰り寄せると、麗馬は前足を高らかに上げ大きく嘶いた。
それに呼応するように背後にそびえる雄大なセレニア連山から吹き降ろしの冷たい風がビュウッと鳴き草原地帯を今日一番に激しく揺らす。
次の瞬間、複数からなる馬の嘶きと金属同士の衝撃音、そして怒号といって余りある両軍の兵達が放つ威圧的な雄たけびが大草原に轟響した。
「我らが領主様の御宝を愚かしくも強奪した大罪、貴様ら愚民の命を以ってしても償いきれぬと知れ!!」
一方の軍勢は一様に、磨きぬかれた銀の全身鎧に銀の大盾、鋭く鍛え上げられた特注の騎士剣で統一され、前後数人が木槍の先に掲げる“交わる紅銀の二匹竜”の旗印が疾駆する騎馬の上で大きく風にたなびいている。
「うるせえ! だいたいこの財宝はもともと俺たちが汗水垂らして得た金だろうが!」
もう一方の軍勢、とはいえ人数にして20数名。装備といっても、ある者は朽ちかけた革製の胸当て一枚、またある者は鉄鍋の蓋と見紛うほどに粗末な盾、得物も得物で使い古された木槍や刃こぼれが目立つ鉄剣、仕舞には農具のようなものまで垣間見える。
まさに犬狼に狩られんとする野兎の構図だ。
それでも、そんな野兎の立場にあっても誰一人としてその表情に諦めの色は一切無い。
その中でも一際奮起する中年と呼ぶにはいくらか早い巨漢が一人。
煤汚れたバンダナを額から上できつく結び、無精髭を風に揺らしながら雄雄しく鉄剣を振るう。
「血も涙も無ぇお前らの“領主様”のおかげで俺達ゃ明日食う飯すら困ってんだ!!」
「ふん! 知ったことか、年貢を納められん者は例外なく国家反逆とみなし処刑する!」
馬上で互いの得物を激しくぶつけて競り合う両者。
巨漢は剣の技術など一切関係なく腕力のみで対峙する銀の手甲から騎士剣を青空へ弾き出すと、決して上等とは言えない鉄剣で間髪入れず甲冑の腹部目掛けてガツンと横薙ぎの一撃を加えた。
腹を押さえて落馬する甲冑を横目で流し、巨漢は周囲を見回し戦況を確認する。
明らかに劣勢、犬狼の凄まじい猛攻に防戦一方の野兎の将は現状を打破する術を必死で模索しようとするが鉄と鉄がぶつかり奏でる不協和音が思考を遮る。
ふと巨漢は背負っていた布袋を一瞬見やった。
土埃を被ったお世辞にも綺麗とは呼べない布袋の中からは、その外身を裏切るように光り輝くものが僅かに姿をのぞかせている。
キィン!!
その刹那、不意を付かれた巨漢の得物は騎士剣に弾かれ宙を舞い、対峙する銀の甲冑の振り上げたそれが陽光を帯びてギラリと輝く。
冷たいものが額から頬へと伝わると、巨漢は険しかった瞳をスッと閉ざした。
(ファシア、すまねえ)
と、その時だった――
一陣の猛烈な旋風が目の前を通り過ぎ、銀の甲冑を凪ぎ払ったのだ。
巨漢は手綱を引き寄せ、突然の出来事に暴れる馬をなんとかいなすと地に伏す甲冑を見る。
甲冑にはそれが銀製と忘れる程の深い斬痕が刻まれていた。
「なんだ!? 一体何が……」
巨漢は訳もわからず通り過ぎた旋風の軌跡を目で追った。
「少、年……!?」
舞い上がった粉塵と草花のベールの先にあったのは美しい黒馬とそれに跨がる青年と呼ぶには幼さが残る一人の若者の姿だった。
若者は巨漢の方に一度目をやると再び黒馬の手綱を引き寄せると草原を所狭しと疾駆し、甲冑に反撃の暇を与える事なく次々と凪ぎ払っていく。
――その姿はまさに、青空の元吹き荒れる春の嵐のように――
「ウソだろ、おい……」
一刻後、目の前の広がる光景に思わず溢す巨漢。
突如現れた一人の若者と一頭の黒馬によって犬狼と野兎の立場は瞬く間に逆転。
未だ草原の中で馬上の残っている甲冑の数は片手で数えられるまでになり、若草のベッドに一様に眠る残りの大多数の甲冑を他所に、解放された騎馬逹は草を食んだり気ままに走り回っている。
「くそ、なんなんだあの外套の男は!あんなのがいるなんて聞いてないぞ!!これは悪夢だ……そうに違いな――」
言いかけて、一人の甲冑は背後の存在に気付いて声を詰まらせた。
背後には既に麗馬の姿。
「ひいい!! で、出た……」
「お前らはその綺麗な剣でいったいどれ程の民を、罪のない人達の命を奪った?」
若者は冷たく鋭い眼差しで問う。
「し、知るか!! わ、我らは領主様の、延いては皇帝陛下のために剣を振るっているのだ、帝国に仇なす愚民どもは存在事態が罪なのだっ!」
その騎士剣を外套の男の前でブンブンと無闇に振り回す甲冑、その様子に言葉ほどの余裕は無いようだった。
「愚かだな」
一言呟いて若者は右腕を天にかざした。
まるで周囲の大気そのものが若者に呼び起こされるかのように、かざした腕には輝く翡翠色が螺旋を描いて集結する。
「は、はひいいい!!」
先程までの威勢はどこへやら、情けない悲鳴を上げながら銀の甲冑逹は慌てて騎馬の手綱を強く引き上げる。
すると荒い扱いの乗手に憤慨の意を示さんばかりに嘶き暴れ狂う騎馬。
言葉にならない言葉を残して、草原に残された数名の甲冑は暴れ狂う馬に必死でしがみついて一目散に草原の彼方へと退散していく。
そんな光景をどこか悲壮感を含ませて眺める若者。
振り上げた腕に纏っていたそれは既に消滅していた。
「こりゃあ、夢か……?」
未だ呆気に取られる巨漢。まるで嵐が去ったあとのような静けさが草原を包み込む。と、
「ダイスの旦那ぁ!!」
草原の向こうから巨漢を呼び馬を走らせてくる野兎の仲間逹。
「おう! 無事かお前ら!!」
「はい、なんとか……しかし、あの黒馬は一体」
草原の一角にぽつんと一人、黒馬の上に佇む若者の存在を遠目で見やる。
すると次の瞬間、ふらっと揺らいだ若者は黒馬から草原へと崩れ落ちた。
「おい!! あんた!!!」
慌てて馬を走らせ駆け寄る巨漢逹。
「あんた!! 大丈夫か、しっかりしろ!!」
巨漢の問いかけにも若者は目を覚ます様子はない。
「大丈夫だ、息はある。気を失っているだけらしい……」
「この兄ちゃん、どうするんですかい旦那?」
仲間の問いに巨漢は怒鳴る。
「バカ野郎! こんな草原のど真ん中に置き去りにしたら凍えて死んじまう、それにこの兄ちゃんは事情はどうあれオレ逹の命の恩人だ」
そう言うと巨漢は若者をゆっくり抱き上げ自らの馬に乗せた。
「村へ帰るぞ野郎共!! 俺逹の戦いはこれから始まるんだ!!」
草原に横たわる銀の甲冑逹を横目に見ながら、既に山の向こうに沈みかける夕陽に向かって、野兎の一群は馬を歩ませる。
涼やかな風に草花が静かになびいていた。
まるで人間逹が起こした喧騒とこの殺伐とした時代を悲しむように――