第7話「現実」
それから二日後、錐音は毎日のように顔を出した。
最初は夜だけだったが、昼間も来てほしいといわれたので、毎日のように来ていた。
その頃は既に錐音は心を開き、いつものように話していた。
「葵、また来たわ。今日は新しい本を持って来たのよ」
「ほんと? やった、もう前読んでた本読み終えちゃったから、退屈してたの。ありがとう」
笑顔で本を受け取る。
「喜んでくれて嬉しいわ。それで、大事な話って何? 昨日言ってたけど」
そう聞くと、葵は笑顔を失くし受け取った本を自分の横に置いた。
そして、遠い目を見ながら話した。
「ねぇ、錐音は私がいなくなったら、どう思う?」
突然の問いに、錐音は驚く。
「えっ、どうしたの、急に」
「いいから答えて。私がいなくなってずっと会えなかったら、どう思う?」
とても空気が重い。
葵のさっきまでの表情が嘘のように、曇っていた。
どうしてそんなに暗い表情をしているのか。
錐音には分からなかった。
「どうって、とても悲しいわ。今までこんなに話したことなかったから、誰かと話すのがこんなにも楽しいって思ったことなかった。それに葵と出会えてたくさん思い出ができたし、あの日のことは忘れられないわ。葵は私にいろいろな気持ちや誰かと会話する素晴らしさを教えてくれた。だから、私はずっと葵の傍にいたいと思ってるの。お願いだから、ずっと会えないって言わないで」
少し恥ずかしい気もするが、これが錐音の気持ちだ。
本当の気持ち。
これを葵はどう受け止めてくれるのか。
葵は少し微笑みながら。
「やっぱり錐音は優しいね。その気持ちすごく嬉しい。でもね、現実っていうのはそう上手くいかないの。儚いセミのように人もその時が来る。とても残酷なものね。私はセミのように、どうすることもできずに散ってしまうから」
その時、錐音は葵の言葉が分からずにいた。
錐音はセミを知らない。だから、その意味が理解できたのは、あの日だった。
あの日、錐音は夜中に来ていた。
いつものように奥のベッドに行き、顔を見せる。
けど、葵は今までのようにベッドの上で上半身を起こしていなく、横になっていた。
具合でも悪いのか、そう思った。
「こんばんは。もしかして具合でも悪いのかしら?」
そう言っても、葵は返事をしてこない。
もしかして寝ているのか、そう思い、肩を触った。
すると体が反応したのが分かった。
「……あ、錐音…来たんだ」
「ええ、もちろん来たわ。どうかしたの?」
寝ている葵はとても辛そうな苦しそうな表情をしている。
そんなに具合が悪いのか。
看護師を呼んだ方がいいのかもしれない。
「……錐…音、はぁはぁ……わ、私がこの世からいな……く、なったら…はぁ…そこの、棚…の、ひ、引出を開けてみて……きっと、全てが分かるから…」
「引出ね、分かったわ。それより看護師を呼んだ方が…」
そう言った後、葵は苦しそうにもがき、私を見て涙目になりながら命を引き取った。
とても一瞬のものだったので、理解ができなかった。
だが、しばらくして、錐音は理解した。
もう葵はこの世にはいない、あの日のように笑ってくれないと。瞼を閉じてる葵から少量の涙が零れ落ちた。恐らく命を引き取る少し前まで溜めていた涙であろう。とても美しく残酷なものだった。
錐音もその後、頬に大量の涙が流れた。
とても悲しく、虚しく、残酷で胸が苦しい。
もうこの前まで笑っていた葵とは会えない。
話すことも、笑うことも、喜んでくれることもない。
そして、もう触れることもできない。
これは夢だって思いたいけど、現実のようで、頬から流れていく涙が止まらず熱い。
そして、葵の動かなくなった手を触ってみても、反応してくれない。
どこから見ても現実で、受け入れたくない光景だった。
深夜、錐音は涙が枯れるまで泣いた。
数時間後。
涙が枯れ終わり、落ち着いてきたので、錐音は葵の言葉を思い出した。
確か、棚の引出を見るようにといわれた。
ベッドの横には小さい棚があり、引出がある。
錐音はその引出に手をかけ開けてることにした。
するとその棚の中には、一通の手紙が入っていた。手紙には、浜川錐音様へ、と書かれてある。
そっと手紙を開け、読んでみた。
――浜川錐音様へ――
突然の手紙ごめんね。
錐音がこの手紙を見ているということは、恐らく、私はこの世にいないと思う。
とても急なお別れ、驚いたと思うけど、これが現実。
私はこのようになることをずっと前から知ってた。
どうしてあなたに教えなかったのか、それは、いつまでも楽しい姿の錐音を最後の時まで思い出に残したかったから。錐音に私がいなくなることを伝えれば、きっと錐音は、私を助けようと必死になっていた。そして、笑顔をあまり見せなくなり、助けようと考える日が多くなっていたかと思う。
実は数日前、錐音に私がいなくなることを話したんだけど、あなたはその時理解していなかったね。でも、理解してなくてよかったと私思ったんだ。
とても残酷だよね、本当は教えた方がいいのかもって思ってたんだけど、それができなかった。
私ってひどいよね、錐音に口で伝えられずに、こうして手紙で伝えてるんだから。
錐音は私の大切な人だから、きちんと口で伝えたかった。
でも、今こうして伝えられて良かったって思ってるよ。
私の今までの気持ちが伝えられてすごく嬉しいんだ。
読んでくれてありがとう、錐音。
あ、そういえば、私がこの世を去った原因を教えてなかったね。
実はガンなんだ。どうやらどの世界に診てもらっても治すことができない、難しいガンだった。
今まで何とかして薬を飲んで命を繋いでいたんだけど、この時が来ちゃったんだ。
ごめんね。
私、錐音と会えてすごく嬉しかったよ。たくさん思い出もできて、思い残すことはない。
今までありがとう。
錐音、空の上で見守ってるから、私の分まで幸せになって。
それが私の願い。
いつまでもお元気で、さようなら。
――藤影葵――
手紙を読み終え、錐音は心が感謝の気持ちと後悔、そして、悲しい気持ちが混ざり合い言葉では言いあわらせない複雑な気分となった。
だけど、葵の気持ちはちゃんと錐音に伝わった。
その気持ちを心に受け止め、錐音は病院を出た。