第1章 タクシー
●タクシー
その女に再び会ったのはタクシーの中だった。
女を初めて見たその朝はぐっすり眠った。
翌日、私は再び勤務についていた。
三回通し勤務をして休むというのが勤務のローテーションだった。
今日は三回目の勤務で明日の明けからあさってが休みだった。
私の住むボロマンションは大阪郊外にあるので顔見知りを市内で乗せる事はまず無かった。
夕方、キタでサラーリマン風の二人連れを乗せてミナミへ向かった。
今日は金曜日、それも今日は大概の会社が給料日のはずだ。
これからミナミの風俗店でも行くのだろう。
卑猥な話で盛り上がっている。
「運転手さん、安くてきれいな娘いる店知らない?」と聞いてくる。
「すんません、あんまりそっちの方は詳しくなくて」私は答えた。酒は飲まない私には答えようがない。二人は黙ってしまった。沈黙が車内が包んだ。が、それもつかのま二人は再び話し始めた。営業用としてそういう方面も調べときやぁなあと私は思っていた。
私は車を御堂筋の道頓堀橋南詰の側道に止めた。二人は通称ひっかけ橋の方へ・・・タイガースが優勝した時には大騒ぎになる通りに向かっていった。
私は後部ドアーを閉めアクセルを踏み込もうとした時、左後ろに人影を感じた。
営業用カンというやつだ。
私はブレーキを踏み左後ろを振り返った。
女が今にもドアーガラスを叩こうとしていた。
その表情に困惑した表情と哀願の表情が浮かんでいた。
タクシーはたくさん止まっている。それも一時間や二時間客待ちしているタクシーはざらだ。
客もそれをよく承知していて短距離の客は気を使って流しのタクシーを拾う。
私はそれに当たったという訳だ。
ワンメーターの客だなと私は思った。
嫌がる運転手もいるが私は迷惑だとは思わない。客は客だ。
それに拒否して会社に通報されても難儀だ。
乗車拒否は解雇案件なのだ。私には後がない。
その女の傍らには少女が立っていた。
十四、五歳のその年相応の幼さと妙に色っぽい目や唇を持った少女だった。
極端に短いスカートから細い足が伸びているがふっくらした所がなくキレイというより妙に哀れさを感じるものだった。
「いいですか?」女が尋ねた。
「どうぞ」私は営業用の笑みを浮かべた。
女はホットしたように少女の手をつかみ引っ張り込むように乗り込んできた。
「堺までお願いします」
意外だった。堺なら五、六千円はある。
「高速でいいですか?」私は尋ねた。
はい、と答えて行き先を言った。
堺市内というより堺市の南のはずれ、新興住宅地のある所だった。
私のボロマンションに近い。
私は車を発進させた。
御堂筋を下り千日前通りを右折し阪神高速汐見橋入り口に向かった。
二人は黙ったままだった。
少女は下を向いたまま携帯電話をいじっているし、女は疲れた表情で前を見つめたままだった。
あの女だった。
昨日見た女だ。私を欲情させたあの女だ。
今日は少し派手なドレスだった。
これからあの店に向かうのだろう。
派手なドレスを着た女に何故か欲情を感じなかった。
悲しみを感じただけだった。なぜだか分からぬ。
「真理ちゃん、食事用意してあるから食べてね、お父さんはもう店に行っているから」と女は言った。
真理ちゃんと言われた少女は相変わらず携帯電話をいじったままだった。
そのお父さんというのが店のマスターらしい。
この女の多分旦那なのだろう。
そのマスターとはお目に掛かった事はなかった。
車は阪神高速に入った。
「真理ちゃん、これ部屋に放り出してあったから綺麗にしておいたわよ」
私はバックミラーで後ろを見た。
ネックレスだった。シンプルなデザインな小ぶりなイヤリングに見えた。
女はそれを少女の耳に付けようとした。
その手を少女は払いのけた。
ネックレスは窓ガラスに当たりフロアマットに落ちた。
女は下を向き探している様だった。
私はルームライトを付けた。
「すいません」と言って女は探し続け、少女は知らぬ振りをして窓外を眺めていた。
「お客さん、止めた時に私も探しますよ」と私は言った。
「すいません」と女は再び言った。
ふっとため息をついて女は座り直した。
少女に向き直ると女は言った。
「お母さんが真理ちゃんに置いていったのよ。大事にしなきや。」
「美沙子さんには関係ないことじゃない」
女の名は美沙子というらしい。いい名だ。私は思った。好きな名だ。
「ともかくお父さんに心配させないで」女は強く言った。
「心配する訳ないじゃない」ほとんど聞き取れない声で言った。
美沙子という女は後妻か・・・私はそう思ったがタクシーの運転手の習性として「聞きながら聞かず」に徹する事にした。
車は堺インターを過ぎバイパスを通って国道に出た。
美沙子という女は家の住所を言い、少女を降ろしたら待ってて欲しいと言った。
少女を降ろして店へ行くのだろう。夕方からいい稼ぎだ。
私はアクセルを踏み込み闇の中へ走りだした。