断捨離
断捨離
ステージⅠ。
______西暦二〇三六年の日本。民放テレビ局、STV(シーサイドTV)番組企画編成部会議室に集まった十人の顔ぶれは、どうして招集されたのかを知らされていない者ばかりだった。
「緊急だと言うが?」
「さぁ。また企画部の迫田だろ? 大した事はないさ」
そんな馬鹿にしたような言葉と、笑顔を浮かべながら会議室に入って行くのだった。
『今日の議題は、政府すら把握していない世界中で起きている怪現象だ。腰を抜かすほどの大事件に発展するにも関わらず、上層部は果たして理解してくれるだろうか』
情報をここまで、独自に集めた企画部主任係長、迫田学は、纏めた十人分の紙資料を、部下の宮本洋子に配布させると、迫田自身は大画面ディスプレイのスイッチを入れた。
自分でも、ふるふると指先が震えているのが分かった。
もう一人の部下の後藤守は、厚い電動遮光カーテンを閉めた。
この二人は、迫田の信頼出来る部下で、今日の議題が与えるインパクトに緊張を隠せないでいた。
非常灯のような淡い白熱電灯数個が点灯した時、既に迫田、宮本、後藤の三人の手の平には、薄っすらと汗が滲んでいた。
「ペーパーレスのご時世に、わざわざ紙媒体とは珍しい事だが、迫田君、これには何か理由があるのかね?」
編成部長の米沢加茂は、その理由を顔を顰めながら訊かずにはいられなかった。
相変わらずポマードの付け過ぎで、少ない毛がギラギラして、気分がいいものではない。他の九人にしても、同じようなバーコード頭が並んでいて、私は早く世代交代して欲しいと思っていた。
これくらいの年齢になると、頭が頑固になって保守的。新しい情報には、怪訝な顔をするだけなのだ。その癖、成果が出れば自分の指導、判断が正しかったと吹聴するのが当たり前の世界。
「これから私が話す内容は、とても重大な案件なのです。情報漏洩してパニックを防ぐ為の処置とご理解ください」
「なに?」
頭が硬くても、米沢部長は特ダネの匂いを嗅ぎ取っのか、黒眼鏡の位置をずらし、資料の表紙に目を落とした。
______地球人類存亡についての考察_____
タイトルには赤で、でかでかと印刷してある。
「ほう、大層な議題だが......それなら、我が社のドキュメンタリーとして独占放送出来るような、超特ダネとして扱える内容なんだろうな?」
威圧する態度から、つまらん内容だったら即、退場しようと思っている目だ。
『気の短い部長には、話しても無理かもしれない』
迫田は真剣な眼差しを、集まった各部門の責任者に向けたが、やはり大きな不安が過る。
実はこれから私が話す事は、部下の宮本と後藤ですら、半信半疑だったのだ。
『最初から信じては貰えないだろうが、これは人類存亡の危機なのだ。気を引き締めろ、俺!』
私は手にした資料を捲って話し始めた。
「地球人口は現在、九十億を突破しました。女性の平均寿命も九十歳を超えて......」
「なんだ人口問題と食料か。そんなもの今更だろうが」
迫田、宮本、後藤の三人以外は、やれやれと言った顔で、ガタガタと音を立てて腰が浮き始めた。
「迫田主任!」
宮本と後藤が、やはりこうなったと言う顔で俺を見た。
「ちょっと待ってください」
「そんな話は世界中が関心を持っている。さぞ特ダネかと期待したが迫田君、もういいだろう」
米沢部長が、つまらなそうな顔で立ち上がった。
「我が社の大スクープかと期待したが、全く興覚めだったな。これでは君の配置転換も、考慮に入れる事になるだろう」
他の責任者九人も、資料に目も通さずに立ち上がろうとするのだ。
責任者の一人が携帯を手にした。部署に会議が終わったと連絡をするのだろう。
うん?
「故障か? 繋がらないぞ」
他の八人も携帯を取り出し、連絡を取ろうとしたが、結果は同じだった。
私の背筋に、冷たい電流が走り抜けた。
「皆さん、もう始まってしまったのです!今は打つ手がありません!」
「何がだ!」
「これは通信会社のトラブルだ」
迫田、いい加減にしろと言う怒気が含まれていた。
______ところが事態は携帯が使えないだけでは無かった。インターネットも同様で、この時点で日本ばかりでなく、世界中が大混乱状態に陥った瞬間だった。
携帯もネットも、現代社会において無くてはならないアイテムになっている。全ての情報がICチップやSSDに記録され、紙媒体など過去の遺物となっている時代なのだから。
迫田は思った。
『始まってしまった以上、こいつらに話しても無駄だ。政府に直接話した方がいい』
迫田は配った資料を回収し、宮本、後藤を連れてアポなしで政府の......いや自衛隊の方がいいか。
「主任、どこへ?」
宮本洋子が長い髪を振り乱し、後藤守も眼鏡が落ちそうになるのを指で押さえながら走って来た。
「地下の社用車だ。市ヶ谷自衛隊基地に行く。ついて来い」
自社の車のナビも使えなかった。車やバス、電車は動いてはいるが、やはりダイヤが混乱しているようで、通勤者や学生がしきりに携帯を操作していた。
会社に連絡を取りたくても、現代は公衆電話など撤去されて久しい。
ステージⅡ。
市ヶ谷自衛隊の基地に到着しても、そこは混乱の中にあった。
しかし、この異常事態の原因を知っていると言えば、何とかゲートを潜る事が出来た。
国家存亡の危機と言えば、STV局の肩書で許可を得る事が出来たのだが、それには時間がかかった。ゲートから門番が走って許可を取りに行ったからだ。
______私の説明の骨子は次の通りだ。
まず熊、イノシシ、鹿、猿が、食料を求めて民家に出没するようになり、人間を襲うようになった事。
「そんな話は十年前から問題になっている。珍しい話ではない」
柳田基地司令もまた、今回の事件の真相について、我が社の上層部のような硬い反応を見せたのだ。
蜂、カラス、鳶、しかも採卵用のニワトリ、ブロイラー、飼い犬、猫までが凶暴になっています。
「確かに最近、その手の事件が多発している。携帯とネットが使えなくなったのはサイバーテロだ。動物の凶暴化とは関係ない」
「ウィルスではないのか?」
同席した陸自の高官? 私には階級が分からないが、そいつはそう言い切った。
柳田基地司令とその他の同席した者も、同意見だった。
「私はこれらの事件が、更に拡大進行して人類を滅亡に追い込むという結論に達しました。各国と連携して対策を練るべきだと意見具申します」
いかにもテレビ局らしいと思ったのだろう。
『それで番組を作って、視聴率を稼ぐつもりか?』
柳田指令はそう判断した。
「世間が不安定になると、怪しげな予言者が出て来る。君はマスコミの人間だろう。もう十分だ、ディスミス」
ここまでだと言う意味だ。
「迫田主任......」
宮本も後藤も、私にかける言葉を失って項垂れた。
そこで私の話は打ち切られてしまったのだ。
現在の状況は衛星通信、インターネット、携帯、GPSは使えず、情報発信出来る媒体は何故かTV、ラジオだけになった。
GPSが使えない、無線も使えない状況では航空機は飛べない。
船舶でも同じ状況だと言うのに、楽観視している人間がなんと多い事か。
「何としても、私が掴んだ情報を......。通信手段はTVとラジオだけだ。やるなら小さなラジオ局を探して」
迫田以下三人は、何としても情報を伝えるべく、活動を開始した。もはや自社のSTVなど相手にならないのだ。
こんな事態に陥っても、意外なメリットがあった。
それはこれまで続いていた紛争が、一時的とはいえ止んだのだ。
停戦協定が交わされた訳ではない。世界がそれほど混乱の極致に達していたからだ。
ミサイルを撃ち込もうにも、レーダーや電子機器が使えない。ドローン攻撃も出来なければ、戦争が旧時代式に変わるが、無線が使えない状況では、命令すら出せないのだ。
それに加えて、猛威を振るったサイバー攻撃とネット犯罪が、完全に無くなったのだ。
衣食住に関しては、人類は何とか生存出来ていた。生活は極端に不便になったが、情報に関してテレビとラジオだけが使えたのは有難い事で、昭和初期の時代なら、それが当たり前の日常だった。そして誰もがもう少しで、回復するだろうと甘く考えているのだ。
その状況が一か月余り続き、人類から争いが途絶えた______しかしそうはならなかった。
情報がない状況下で、暴力と略奪が頻繁に起きるようになった。
それは発展途上国よりも、大国で顕著になっていった。
ネット詐欺で金を巻き上げる事が出来なくなった組織と個人が、強行手段に出るようになったのだ。無線がない為、警察の出動と救急連絡も出来なくなっていた。
世界中が更に混乱の坩堝に陥っていた。
いくらメリットがあったとしても、実際はデメリットの方が遥かに大きい。
ステージⅢ。
次に起きたのは、気象だった。
時期が収穫の秋を終えていたのが、まだ幸いだった。
太陽が厚い雲に遮られて、日中でも暗い日が延々と続き、そのまま年を越した。
それでも一時的な事で、春には農作業が出来ると考えていた。
二〇三七年四月。春の訪れを告げる桜が咲かなかった。
いくら種を撒こうが、発芽はしても枯れてしまった。
「これが第三段階に移った証拠だ」
気象学者は相変わらず、特異な例だと言い、私の警告に耳をかさなかった。
極端な日照不足による食料生産は、昨年を大きく下回り、スーパーの販売価格は三倍から四倍に跳ね上がった。
会社員は給料が出ない上に、物価高騰の煽りで生活が出来なくなり、年金生活者が最初の犠牲者になっていった。
ライフラインである電力、水、空気はあるが、日照がなくなっては、健康に影響が出るのだ。
経済が混迷しても、政府は何の打開策も出せずにいた。
流転
やっと事態を重く見た政府から招集がかかった。
時既に遅いのだが、私は宮本と後藤を連れて官房長官と会う事になった。
あの米沢加茂編成部長が、カメラを持ち込めと言ったが、許可も取れず対策もない状況では、放送しても意味がないのだ。
案の定、官房長官との会談は、何の成果も無かった。
私はこのままでは、人類が滅ぶと言う説明を繰り返すだけで、私にも打開策などないのだから。
「しかしステージⅣに移行するのは間違いないのです」私はそう言い残しただけで、治まらない怒りを抱えたまま官房長官室を出た。
スタンドアローンで機能する地震計が、特異な波形を記録した。気象庁の専門家は、これが地下核実験で起きる波形と一致すると言った。
こんな状況で、地下核実験を強行する国など、北朝鮮しかなかった。恐らく電子機器を介さない、機械的な方法で行ったのだろう。
その瞬間、核をエネルギーにする機関が、世界で停止したのだ。原子力空母、潜水艦、そして原発もだ。
私の予測通り、生活には欠かせない電力が不足するようになってしまった。ライフラインである頼りの原発が突然、停止してしまったのだ。
残るのは火力、水力、風力発電のみになった。ソーラー発電は、太陽が隠れている以上、もうあてにはならない。
それに中東からタンカーで、原油を輸入する事も出来ない。
備蓄原油が底をつけば、現代社会で生き残る事は困難になる。
車、電車、バス、化石燃料を必要とする機械は、全てが沈黙する事になる。
人類は更なる試練を迎えていた。
そしてライフラインは、水と空気だけになった。
もう通勤、通学する人間など誰もいなくなった。
そんな状況になっても、省電力なラジオ放送は生き残っていた。
私が世話になった小さなAM放送局だ。出力がたった10W。不足する電力を、車のジェネレーターを改造し、人力で交代で発電を続けているのだ。
私はそこで、今起きている状況と、これから起きるであろう推測を流し続けた。
デマが飛び交っている中で、私の発信する情報は、次第に支持されるようになった。
私はこれから何が起きるのかを考えた。最初は携帯とインターネットだった。簡単に修復するだろうと世間は楽観視していた。
それが次第に人間社会の衣食住に、大きな影響を与える事になっていった。
「それらが意味する事は......」
迫田がいくら考えても、結論は最初に考えた事と変わりがない。
ステージⅣ
「そうか、断捨離だったんだ! いらない物を少しずつ捨てているんだ」
「主任、いったい誰がです?」
宮本と後藤には理解が及んでいない。朦朧として疲れ果てた顔が、そう言っていた。
私を含めて、この小さなラジオ局に集まっているのは、少数の有志だけだ。誰の目にも、生命の輝きなど微塵もなかった。
食事も僅かで風呂にも入っていない。普通の人間なら、水だけを飲んで空腹を我慢しながら、ただ寝るだけだ。やがて餓死するしか道がない。人間は飢餓状態になると理性を失う生き物だ。予想通り略奪と暴力が始まった。もう手が付けられない。
更に衛星状態は最悪で、細菌による死者も激増の一途だ。
外に出れば、死体がごろごろと横たわっていた。
「これが......狙いなんだよ」
「ですから 誰の?」
迫田は気力のない顔で、自嘲気味に笑った。
「考えてもみろ。資源を食い尽くし、更に地下核実験。共存共栄の道を捨てた人類だ」
「ですから 誰なんです? その 犯人は 」
後藤は最後まで食い下がった。しかしもうどうにでもなれと言う目だった。
宮本と後藤が訊かされていたのは、人類が滅亡する過程だけで、何がそうさせるのかを知れされていないのだ。
それは迫田自身も、今まで信が持てなかったからだ。
それが、最後の最後で気づかされた。
「......不要な人類を......断捨離しているんだ」
私は後藤の問に答えるつもりはなかった。言ってももう、どうしようもないからだ。
「自分を傷つける存在など、排除するのは当たり前か」
もう宮本も後藤も、私を問い詰める事が出来なかった。
空腹による衰弱が激しく、遂に気を失ったのだ。私もそうなるだろう。食料などもう、どこにも無いのだから。
「あの世で、説明をしてやるよ」
私は薄れゆく視界の中で、壁に背を預けて静かに目を閉じた。
何も聴こえないし、自分が息をしているのかさえ分からなかった。
『人間がいなくなったら、世界は平和になるのだろうか』




