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愛人を認めてほしい? 構いませんわ――ただし契約は双方に適用されます

作者: 月白ふゆ
掲載日:2026/08/29

「僕には、愛する女性がいる」


婚礼を3か月後に控えたある日。


オルディス王子は、婚約者であるエルミーネ・ヴァルケン公爵令嬢に、ずいぶんと思い切ったことを告げた。


向かい合う応接卓には、まだ口をつけていない紅茶が2つある。


「それで?」

「……驚かないのか?」

「驚いておりますわ」


少なくとも、婚礼衣装の最終確認より先に聞く話ではない。


だが、驚くことと取り乱すことは別だった。


オルディスは少し安堵したように息を吐く。


「彼女とは学院にいた頃からの付き合いなんだ。君との婚姻が王家と公爵家のために必要なことは分かっている。だから結婚そのものを拒むつもりはない。ただ、結婚後も彼女との関係は続けたい」

「つまり、愛人を認めてほしい、と?」

「……そういうことになる」


オルディスは身を乗り出した。


「もちろん、王子妃としての君の立場は守る。子が必要なら、その責務も果たす。彼女を君より上に置くつもりもない。ただ、愛している女性を捨てることだけはできないんだ」

「そうですの」


エルミーネは紅茶を一口飲み、あっさりと言った。


「構いませんわ」


「……本当か?」

「ええ」

「ありがとう、エルミーネ!」

「ただし、契約書にいたしましょう」


オルディスの笑顔が止まった。


「契約書?」

「ええ。婚姻後の生活に関する取り決めですもの。口約束では、後々認識の食い違いが生じますわ」

「分かった。そうしよう」

「では、公爵家の契約官に草案を作らせます」

「君が彼女との関係を認めてくれるなら、それでいい」


エルミーネは、その言葉には答えなかった。


数日後。


完成した契約書を前に、オルディスは上機嫌だった。


内容は明快である。


婚姻当事者双方は、婚姻外の者と恋愛関係を持つ自由を有する。


双方は、相手方が婚姻外の者から求愛されること、交友を持つこと、あるいは恋愛相手を選択することについて、不当に妨害、排除、非難してはならない。


また、婚外恋愛の相手との関係解消を強制してはならない。


違反した場合、違反を受けた側は婚姻の即時解消を請求できる。


オルディスは最後まで目を通し、満足そうに頷いた。


「これでいい」

「『婚姻当事者双方』ですわよ?」

「もちろんだ」

「わたくしにも、同じ権利がございます」

「公平な契約なのだから当然だろう」


迷いなく返され、エルミーネは小さく頷いた。


18年間、公爵令嬢として品行方正に育てられてきた女である。婚約者以外の男性と2人きりで出歩いたことすらない。


どうやらオルディスは、同じ自由を認めたところで、エルミーネが自分と同じように使うはずがないと考えているらしい。


契約を作成した若い男が、証人欄へ署名した。


レナート・クロイツ。


クロイツ侯爵家の嫡男である。


同家は代々ヴァルケン公爵家と関係が深く、領政でも外交でも頼りにされてきた家だった。レナート自身もいずれ侯爵家を継ぐ。


今はその前に実務を学ぶため、王国認定の契約官として働いていた。


「双方、内容に異議ございませんね」

「ない」

「ございません」


2人の返答を確認し、レナートは契約書を閉じた。


「では、これをもって契約成立といたします」


そして、婚礼の日。


王都の大神殿には大勢の貴族が集まっていた。


王子と公爵令嬢の婚姻である。


華やかな衣装。花で飾られた回廊。王家と公爵家の重臣たち。


その中には当然のように、オルディスの愛する女性、セシェラ伯爵令嬢の姿もあった。


婚姻契約によって公認された、王子の愛人である。


オルディスは彼女が参列していることを隠そうともしない。エルミーネも何も言わなかった。


婚姻登録簿へ署名し、神殿の婚姻官が印を押す。


これで法的にも2人は夫婦となった。


その直後だった。


「エルミーネ。その男は誰だ?」


オルディスが眉をひそめた。


エルミーネの隣には、今日のために礼装をまとったレナートが立っている。


「レナート・クロイツですわ」

「名前を聞いているんじゃない。なぜそいつがお前の隣にいる?」

「愛人ですから」


沈黙。


大神殿の広間が、しんと静まり返った。


「……何?」

「わたくしの愛人ですわ」

「聞いていないぞ!」

「申告義務については、契約書にございませんでしたもの」

「そういう問題ではない!」


オルディスの顔が見る見る赤くなる。


「いつからだ!」

「何がでしょう」

「いつからこいつと関係を持っている!」

「関係?」

「とぼけるな。愛人なのだろう!」

「ええ。愛している人ですもの」


オルディスが止まった。


「……何だって?」


「わたくしを愛している人。愛人ですわ」


「そんな言葉遊びがあるか!」

「ですが、嘘は申し上げておりません」


オルディスは今度こそレナートを睨みつけた。


「貴様。本当にエルミーネを愛しているのか」

「はい。以前より、お慕いしております」


周囲がざわめいた。


オルディスはすぐには怒鳴らなかった。


一度息を整え、エルミーネを見る。


「……待て。契約で認めたのは婚外恋愛だ。お前たちは恋人ではないのだろう?」

「ええ」

「なら、まだ契約上の問題はない。そいつがお前を勝手に想っているだけなら、私が口を出す筋合いでもない」

「その通りですわ」


オルディスは小さく息を吐いた。


そこへレナートが、いつもの実務的な調子で言う。


「では今後も、ヴァルケン公爵家との契約業務で伺わせていただきます」

「それは駄目だ」


即答だった。


エルミーネが首を傾げる。


「なぜですの?」

「こいつがお前を愛していると分かった以上、2人を頻繁に会わせるわけにはいかない」

「ですが、公務ですわ」

「公務なら仕方がない。だが、私的に会うことは認めない」

「それも契約にございますわ」


一拍。


オルディスの表情が固まった。


「相手方が婚姻外の者と交友を持つことを、不当に妨害してはならない。殿下もお読みになりましたでしょう?」

「……覚えている」

「では?」


オルディスは黙った。


理屈では分かっているのだろう。


それでも、目の前には自分の妻を愛していると公言した男がいる。


「とにかく、私は認めない! クロイツ侯爵家だろうが何だろうが関係ない。今後、エルミーネに近づくな!」


その瞬間。


レナートが胸元から小さな手帳を取り出した。


「確認いたしました」


「……何をだ?」


声が変わっていた。


先ほどまでエルミーネへの想いを認めていた男ではない。


王国認定契約官の声だった。


「婚姻契約第6条第2項。婚姻当事者は、相手方が婚姻外の者から求愛されること、交友を持つこと、ならびに恋愛相手を選択する自由を妨害してはならない。殿下はただいま、エルミーネ様に恋情を抱く私を彼女から排除し、今後接触しないよう明確に要求されました」


「待て」

「契約違反の意思表示として記録いたします」

「だが、お前たちは恋人ではないのだろう!」


「ええ」


エルミーネが答えた。


「ですから、わたくしはまだ何もしておりませんわ」


オルディスが黙る。


「誰かを愛することも、恋人を持つことも、契約で認められた権利を行使することすらしておりません」


エルミーネは婚姻契約書を開き、該当箇所へ指を置いた。


「殿下は、わたくしが権利を行使する前から、その権利を認めないと宣言なさいました」


「騙したな」

「何を?」

「最初からこれが目的だったんだろう!」


エルミーネは眉を上げた。


「いいえ。わたくしは何度も確認いたしましたわ」


指先が契約書の一文を示す。


婚姻当事者双方。


「殿下も『当然だ』と仰いましたでしょう?」


オルディスは何も言えなかった。


エルミーネは契約書を閉じる。


「では、契約第9条に基づきます。婚姻契約違反による、婚姻の即時解消を請求いたします」


婚姻官がレナートを見る。


「違反の確認は?」

「王国認定契約官として確認しております」

「証人は?」


周囲には、王族も公爵も侯爵も、嫌というほどいた。


婚姻官は頷く。


「受理いたします」


「待ってくれ! 今日結婚したばかりだぞ!」


「ええ」


エルミーネは微笑んだ。


「早めに分かって、よろしゅうございましたわね」


その日の午前。


エルミーネ・ヴァルケンは王子妃になり、その日の正午前には王子妃ではなくなった。


婚姻解消から数日。


レナートとは何度か短い手紙を交わした。


契約書でも、公爵家の仕事でもない。


最近読んだ本のこと。王都に新しくできた菓子店のこと。そんな、これまでならわざわざ手紙にすることもなかった話ばかりだった。


そして、その日届いた封書には、王都でいま最も話題になっている歌唱劇への招待が入っていた。


エルミーネは最後まで読む。


「行きますわ」

「お嬢様。まだ日付をご確認になっておりません」

「……来週の5日目ですわね」

「その日は午後にお茶会がございます」

「動かします」


即答だった。


侍女は少しだけ口元を緩める。


「かしこまりました」


当日。


開演は夕刻だというのに、エルミーネは昼を過ぎる前から衣装を選んでいた。


「こちらと、こちらでは、どちらがよろしいかしら」

「先ほどは青と仰っておりましたが」

「ええ。でもこちらも悪くないでしょう?」

「お嬢様。楽しみでいらっしゃるのですね」


エルミーネの手が止まった。


ほんの少しだけ頬を染め、咳払いする。


「話題の歌唱劇ですもの」

「左様でございますか」

「ええ」

「クロイツ侯爵家のご嫡男とご一緒だからではなく?」


エルミーネは鏡の前で耳飾りを直した。


「……それも、多少はございますけれど」


婚姻契約が解消されたあの日。


レナートは、改めて彼女に告げた。


これまでは婚約者のいるあなたに何かを求めるつもりはなかった。けれど今なら、あなたを愛していると正式に申し上げてもよろしいでしょうか、と。


エルミーネは答えた。


ようやくこれで、前向きにお話を伺えますわね、と。


恋愛とは、契約書に署名したから始まるものではないらしい。


だからまずは、他愛のない手紙を交わし、一緒に歌唱劇を観に行くところから。


「お嬢様。馬車が参るまで、まだ1時間半ございます」

「分かっていますわ」

「では、もう玄関へ向かわれますの?」


エルミーネは一瞬黙った。


それから何事もなかったように扇を開く。


「……少しくらい早くても、よろしくてよ」


その足取りは、婚礼の日よりずっと軽かった。

いつもの制度、契約。


やっぱり出ますねぇ。


恋愛を書いているはずなのに、気づくと契約書を作っております。


今回はそこから、ちゃんと恋愛にも戻ってきました。

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王家と公爵家の恥さらし婚。 伯爵令嬢なら日陰者にしなくたって普通に結婚してあげればいいのよ。公爵家の令嬢まで手に入れようなんてワガママをなぜ王家や公爵家は黙っていたのか。
国王やエルミーネの父親が騒がないあたり、こうなる事は了承済みだったのかな? 王家と公爵家両方の醜聞とも言えるようなスピード離婚後にエルミーナが家から追い出される事も無く自由に出来てる事から、父親も許可…
王子と王家の信用がストップ安。
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