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通り過ぎない台風

掲載日:2026/06/03

台風の接近を知らせるニュースは、昔から変わらない口調で繰り返される。


なのに、それを耳にするたびに、胸の奥がわずかにざわつく。


長い間、私にとって台風はどこか現実味の薄いものだった。


千人以上の犠牲者が出た台風の話を知ってはいても、

それは自分が生まれるより前の出来事で、歴史の中に収まる出来事に過ぎなかった。


十年ほど前までの私は、台風といえば交通の乱れや強い雨風を思い浮かべる程度だった。


不便ではあるが、やがて過ぎていくもの。


どこか軽く見ていたのだと思う。


その感覚が変わったのは、長雨の報道を繰り返し見るようになってからだ。


雨は一晩で終わるものではなく、何日も続くものへと姿を変えていた。


降りやまない時間の中で、土地が静かに弱っていく。


画面の向こうで崩れ落ちる斜面の映像が、降り続く雨そのものに重さを与えるようになった。


台風の前の空気は、いつも落ち着かない。


青とも灰色ともつかない空の色。


思い出したように強まる風。


電線のかすかな唸り。


ベランダに置いたポトスを室内に移す。


たったそれだけの動きなのに、内と外の境界が急に薄く感じられる。


外では何かが確実に近づいてきていて、その気配だけが先に生活へ入り込んでくる。


店頭から水や食料が消えていく光景も、今では単なる習慣ではなく、現実の準備として目に映る。


やがて降り出した雨は、簡単にはやまない。


以前のように「朝になれば終わる」とは思えなくなった。


時間とともに蓄積される雨が、地面の内側へとしみ込み、

目に見えないところで均衡を崩していく。


その先にあるのが、土砂崩れや浸水なのだと知ってしまったからだ。


家の中で風の音を聞いていると、自然の力は瞬間的な激しさだけではないのだとわかる。


変化はゆっくりと進み、気づいたときには取り返しがつかないところまで届いている。


近年の豪雨は、そんな時間の持つ力を突きつけてくる。


台風が過ぎた後、街は一見いつも通りに戻る。


だが、濡れた地面や折れた枝に目をやると、確かに何かが通り過ぎた痕跡が残っている。


その断片は、ニュースで知る各地の被害とつながり、ひとつの現実として輪郭を持つ。


かつて遠い出来事に思えた災害は、形を変えながら今も続いている。


あの変わらないアナウンスを背中で聞きながら、今年もまた、静かに窓の鍵を確かめる。


今年もまた、季節は巡り、台風はやってくる。


そのたびに胸の奥がざわつく。

それは恐怖だけではない。

自然の大きさを知ってしまった私たちが、この時代を生きている証なのだと思う。




通り過ぎていく風の音の向こうで、これを読んでくださったあなたの日常も、

どうか平穏でありますように。

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