通り過ぎない台風
台風の接近を知らせるニュースは、昔から変わらない口調で繰り返される。
なのに、それを耳にするたびに、胸の奥がわずかにざわつく。
長い間、私にとって台風はどこか現実味の薄いものだった。
千人以上の犠牲者が出た台風の話を知ってはいても、
それは自分が生まれるより前の出来事で、歴史の中に収まる出来事に過ぎなかった。
十年ほど前までの私は、台風といえば交通の乱れや強い雨風を思い浮かべる程度だった。
不便ではあるが、やがて過ぎていくもの。
どこか軽く見ていたのだと思う。
その感覚が変わったのは、長雨の報道を繰り返し見るようになってからだ。
雨は一晩で終わるものではなく、何日も続くものへと姿を変えていた。
降りやまない時間の中で、土地が静かに弱っていく。
画面の向こうで崩れ落ちる斜面の映像が、降り続く雨そのものに重さを与えるようになった。
台風の前の空気は、いつも落ち着かない。
青とも灰色ともつかない空の色。
思い出したように強まる風。
電線のかすかな唸り。
ベランダに置いたポトスを室内に移す。
たったそれだけの動きなのに、内と外の境界が急に薄く感じられる。
外では何かが確実に近づいてきていて、その気配だけが先に生活へ入り込んでくる。
店頭から水や食料が消えていく光景も、今では単なる習慣ではなく、現実の準備として目に映る。
やがて降り出した雨は、簡単にはやまない。
以前のように「朝になれば終わる」とは思えなくなった。
時間とともに蓄積される雨が、地面の内側へとしみ込み、
目に見えないところで均衡を崩していく。
その先にあるのが、土砂崩れや浸水なのだと知ってしまったからだ。
家の中で風の音を聞いていると、自然の力は瞬間的な激しさだけではないのだとわかる。
変化はゆっくりと進み、気づいたときには取り返しがつかないところまで届いている。
近年の豪雨は、そんな時間の持つ力を突きつけてくる。
台風が過ぎた後、街は一見いつも通りに戻る。
だが、濡れた地面や折れた枝に目をやると、確かに何かが通り過ぎた痕跡が残っている。
その断片は、ニュースで知る各地の被害とつながり、ひとつの現実として輪郭を持つ。
かつて遠い出来事に思えた災害は、形を変えながら今も続いている。
あの変わらないアナウンスを背中で聞きながら、今年もまた、静かに窓の鍵を確かめる。
今年もまた、季節は巡り、台風はやってくる。
そのたびに胸の奥がざわつく。
それは恐怖だけではない。
自然の大きさを知ってしまった私たちが、この時代を生きている証なのだと思う。
通り過ぎていく風の音の向こうで、これを読んでくださったあなたの日常も、
どうか平穏でありますように。




