旅立ち
出発は、朝だった。
特別な儀式はない。
見送りも、挨拶もなかった。
まだ薄暗い寮の廊下を歩き、外套を羽織る。
足音がやけに大きく響いた。
(……静かだな)
学院は、眠っているわけではない。
ただ、いつも通り動いているだけだ。
* * *
正門の前に、灰色の外套の男が立っていた。
荷馬車は一台。
人影は他にない。
「準備はいいか」
「はい」
それ以上、言葉は交わさなかった。
門が開く。
きしむ音とともに、視界が広がる。
学院の外の道は、思っていたよりも普通だった。
(……こんなものか)
胸の奥が、静かに鳴る。
さら……
さら……
音は、外へ向かって伸びている。
* * *
馬車に乗り込み、車輪が動き出す。
振り返らなかった。
意識的に、そうした。
見てしまえば、
残してきたものの輪郭が、はっきりしすぎる。
門が、遠ざかる。
石造りの壁も、塔の影も、少しずつ小さくなっていく。
(……もう、戻らない)
その言葉は、確認ではなかった。
事実だった。
* * *
しばらくして、男が口を開いた。
「今回の調査地は、旧環路沿いだ」
地図を広げる。
「放棄された環柱が点在している。危険度は低いが、記録は少ない」
淡々とした説明。
レイルは、黙って聞いた。
「君の役割は、環反応の補助観測と記録」
「分かりました」
それだけで済んだ。
* * *
道が舗装から土に変わる。
建物が減り、風の匂いが変わった。
胸の奥の音が、少しだけはっきりする。
さら……
さら……
(……近い)
何が、とは分からない。
ただ、学院の中とは違う。
* * *
日が高くなった頃、馬車が止まった。
「ここから先は、徒歩だ」
荷を下ろし、道を指す。
遠くに、低い丘と、崩れた石の影が見えた。
(……あれが)
初めて見る、学院の外の遺構。
レイルは、一歩、地面に足を下ろす。
土の感触が、はっきり伝わる。
胸の奥で、音が鳴った。
さら……
さら……
学院の中とは、明らかに違う響きだった。
* * *
男が、歩きながら言った。
「言っておくが、外では誰も守ってくれない」
脅しではない。
確認だった。
「判断は、常に自分で行え」
レイルは、うなずいた。
「分かっています」
その言葉は、前よりも軽くなかった。
* * *
丘を越えたところで、風が変わった。
音が、増える。
さら……
さら……
さら……
重なり合い、広がっていく。
(……聞こえる)
レイルは、立ち止まった。
男も、何も言わずに待つ。
視線の先に、崩れた環柱があった。
苔に覆われ、半分は土に埋もれている。
それでも、確かに“残っている”。
(……これが、外)
学院では抑えられていた感覚が、ここでは拒まれない。
セラの姿は、まだない。
だが、気配は感じた。
(……近い)
レイルは、息を吸い、歩き出す。
ここからが、始まりだ。
守られた場所の外。
管理の輪の外。
世界の、続きへ。




