決めた道
三日目の朝は、驚くほど静かだった。
鐘の音も、廊下の足音も、いつもと変わらない。
世界は、何も急かしてこない。
(……今日だ)
期限が来た。
ただ、それだけのことなのに、胸の奥が妙に澄んでいた。
* * *
小会議室には、灰色の外套の男が一人だけいた。
書類も、記録具もない。
机の上には、あの紙だけが置かれている。
「決まったか」
男は、事務的に聞いた。
レイルは、椅子に座らず、そのまま立ったまま答える。
「はい」
声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「第三の道を選びます」
外へ出る。
学院の外へ。
男は、すぐには反応しなかった。
視線が紙に落ち、指先が一度だけ縁をなぞる。
「理由は」
短い問い。
レイルは、少し考えてから言った。
「管理されるために、ここに来たわけじゃないからです」
嘘ではない。
だが、すべてでもない。
男は、静かに頷いた。
「理解した」
反対も、説得もなかった。
「では、条件を確認する」
* * *
「学院外調査は、記録補助が名目だ」
男は淡々と続ける。
「だが実際には、
君自身が“観測対象”であることは変わらない」
分かっていた。
「移動範囲は限定される。
行動には常に報告が必要だ」
それも、想定内だ。
「危険が確認された場合、
即座に中断する」
レイルは、うなずいた。
「それでもいい」
男は、初めてこちらを見た。
「後悔はしないか」
一瞬、アッシュの顔が浮かんだ。
中庭。
「特別じゃなくていい」という声。
それから、セラの琥珀の瞳。
(……後悔は)
あるかもしれない。
それでも。
「選ばなかった後悔よりは、ましです」
男は、わずかに息を吐いた。
「記録しておく」
* * *
部屋を出ると、廊下の空気が違って感じられた。
何かが変わったわけじゃない。
ただ、戻らないと決めただけだ。
中庭を通りかかると、アッシュの姿があった。
目が合う。
一瞬、何か言いかけて、やめた。
アッシュも、何も言わなかった。
それでよかった。
* * *
夕方、寮の部屋に戻ると、窓際に気配があった。
「……決めたんだ」
セラが、そこにいた。
「うん」
短く答える。
セラは、しばらく黙ってから言った。
「後戻りは、できない」
「知ってる」
それでも、胸の奥の音は、穏やかだった。
さら……
さら……
「外に出れば、
見えるものも、聞こえるものも変わる」
セラは、どこか遠くを見る。
「環も、記憶も、境界も」
レイルは、うなずいた。
「それでも、行く」
セラは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……やっと、同じ場所に立てる」
その言葉は、喜びでも安堵でもなかった。
ただの、事実だった。
* * *
夜、荷物をまとめながら、レイルは思う。
選択肢は与えられていた。
だが、選んだのは自分だ。
守られた場所を離れること。
管理の内側から、外へ出ること。
それは、勇気とは違う。
覚悟とも、少し違う。
ただ、自分の足で立つことだ。
胸の奥で、音が鳴る。
さら……
さら……
それはもう、抑え込まれた音ではなかった。
出発は、明日。
世界は、まだ何も変わっていない。
けれど。
レイルは、もう戻らない道を選んだ。




