選択肢
呼び出しは、昼でも放課後でもなかった。
夕刻。
寮の鐘が鳴る直前、廊下を歩いていると、背後から名を呼ばれた。
「レイル・エッジハート」
振り向くと、灰色の外套の男が立っていた。
距離は近い。だが、踏み込んではこない。
「今、少し時間はあるか」
断れる調子ではなかった。
拒否する理由も、思いつかなかった。
* * *
通されたのは、いつもの小会議室ではない。
窓があり、灯りは柔らかく、椅子も二つだけ。
“話をするための部屋”だった。
「緊張しなくていい」
男は向かいに座り、手を組む。
「今日は、確認でも記録でもない」
胸の奥が、静かに鳴る。
「……では、何ですか」
「提案だ」
即答だった。
* * *
「ここ数日、君の状態は安定している」
男は、事実だけを並べるように言う。
「暴走はない。
周囲への影響も確認されていない」
(……確認、か)
「だが——」
そこで、わずかに間を置いた。
「境界への感度が上がっている」
胸の音が、はっきり鳴った。
さら……
さら……
(……知ってる)
言い返そうとして、やめた。
「これは評価ではない。
良い、悪いの話でもない」
男は続ける。
「ただ、管理の仕方を変える必要が出てきた」
(……管理)
その言葉に、逃げ場が削られる。
「そこで、提案だ」
男は、机の上に一枚の紙を置いた。
契約書ではない。
指示書でもない。
ただ、選択肢だった。
* * *
「第一案」
男が言う。
「これまで通り、学院に残る。
観測は継続。
行動制限は最小限だが、応用演習への参加は見送られる」
25話の出来事が、静かに重なる。
(……待て、の延長)
「第二案」
指が、紙の下段を示す。
「特別区画への移動。
指導と観測を一体化する。
表向きは“研究補助”だ」
(……隔離)
言葉にはしなかった。
「第三案」
男は、少しだけ声を落とす。
「学院外調査への同行。
環柱や旧遺構の記録補助だ」
胸の奥が、強く鳴った。
さら……
さら……
(……外)
塔の方角が、脳裏をよぎる。
* * *
「選択は、君に委ねる」
男は、はっきりと言った。
「どれを選んでも、
不利益が出ないよう配慮する」
(……本当に?)
疑問は飲み込んだ。
「期限は?」
「三日」
短い。
「それまで、
現状のままでいてほしい」
“何もしないでいろ”という意味だ。
* * *
部屋を出ると、廊下の空気が冷たく感じられた。
逃げ場はある。
だが、どの道にも、代償がある。
(……提案、か)
脅されてはいない。
縛られてもいない。
それでも。
(……もう、戻る道はない)
寮へ戻る途中、足が止まった。
胸の奥で、音が鳴る。
さら……
さら……
それは、どれを選べと命じる音ではない。
選ばなければならない
と告げる音だった。
レイルは、紙の感触を思い出す。
三つの道。
どれも、完全な安全ではない。
(……選ぶ、か)
初めて、その言葉を
現実として噛みしめた。




