拒まれた手
塔の内側は、思ったよりも静かだった。
足を踏み入れた瞬間、音が消えた。風も、遠くの街の気配も、すべて置き去りにされたみたいに。
(……戻るなら、今だ)
そう思ったはずなのに、足は止まらない。
床は冷たく、わずかに脈動している。石のはずなのに、生き物の内側を歩いているような感覚があった。
さら……
さら……
音は、もう胸の奥では鳴っていなかった。足元から、塔そのものから響いている。
(……同じ音だ)
胸の環紋が、じわりと熱を持つ。
第一層の中央。何もないはずの空間に、淡い光が滲んでいた。霧のようで、境界のようで、触れれば形を失いそうな光。
(……これが)
理由は分からない。ただ、ここだと分かった。
レイルは、ゆっくりと手を伸ばした。
指先が光に触れた、その瞬間。
――弾かれた。
「っ……!」
衝撃というほど強くはない。それなのに、全身が拒絶された感覚があった。身体の奥を、冷たい何かがなぞっていく。
(……拒まれた?)
よろめき、床に手をつく。
胸の環紋が、初めて“痛み”を伴って脈打った。
さら、ではない。
ばらばらに砕けるような、不協和音。
(……違う……)
何が違うのか分からない。ただ、ここに来る順番が間違っている。そんな感覚だけが、はっきり残った。
そのとき、塔の奥で低い振動が走った。
怒りでも警告でもない。
もっと機械的で、冷たい反応。
(……まだだ)
誰かの声ではない。
でも、そう告げられた気がした。
胸の奥が、急に冷える。
(……セラ)
名前を呼びかけた瞬間、視界の端が揺れた。
白銀の光。
ほんの一瞬だけ。
「……来ちゃったのね」
声は、ひどく弱かった。
振り返ると、そこにセラがいた。いや、“いた”というより、かろうじて形を保っているだけだった。
「セラ……!」
駆け寄ろうとして、止まる。
彼女の輪郭は、今までで一番不安定だった。触れれば崩れてしまいそうで、距離を詰めることすら怖い。
「だめ……触らないで」
セラは、苦しそうに首を振った。
「ここは……まだ、あなたの場所じゃない」
(……知ってたのか)
そう問いかけたかった。けれど、言葉が出ない。
「あなたは、呼ばれてる。でも……選ばれてない」
その言葉は、刃のように胸に落ちた。
(選ばれて……ない)
塔は呼んだ。
環紋は応えた。
それでも、拒まれた。
「順番が、違うの」
セラは、胸を押さえる。
「本当は……ここに来る前に、
あなたが知らなきゃいけないことがあった」
輪郭が、さらに揺らぐ。
「でも……間に合わなかった」
(……何が)
聞く前に、セラの声が震えた。
「ごめん……。
私が、もっと早く……」
言葉が途切れ、セラの姿が薄れていく。
「セラ!」
叫ぶと、胸の環紋が強く脈打った。
その瞬間、塔の光が一斉に引いた。
境界が閉じる。
音が、遠ざかる。
(……終わった)
床の脈動が止まり、塔は沈黙した。
レイルは、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。
拒絶された感覚だけが、身体に残っている。
逃げるべきだったのか。
来るべきだったのか。
答えは、まだない。
ただ一つ分かるのは、
もう“知らなかった頃”には戻れないということだけだった。




