光る環紋
朝の空気は、昨日より重かった。
理由は分からない。ただ、起きた瞬間から胸の奥が落ち着かない。さらさらという音が、規則正しく鳴っているはずなのに、どこか歪んで聞こえた。
(……今日は、やけに近い)
環紋に触れようとして、やめた。触れたら、何かが起きそうな気がしたからだ。
寮の廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちの視線が気になった。自意識過剰だと分かっている。それでも、胸の奥がざわつく。
(昨日の測定……)
“塔と同調している痕跡”。
アゼル先生の言葉が、何度も浮かんでは消える。
* * *
午前の実技は、環術の基礎応用だった。
「今日は“環の保持”だ。魔力を流すな。回すだけだ」
教師の声を聞きながら、レイルは自分の手元を見る。周囲の生徒たちは緊張した表情で環を維持している。
(回すだけ……)
意識を集中させた瞬間、胸の音が変わった。
さら、ではない。
ひとつ深く、脈打つような感覚。
(……っ)
視界の端で、光が揺れた。
最初は錯覚だと思った。だが次の瞬間、制服の内側が淡く照らされているのが分かった。
(まさか……)
環紋が、光っている。
強くはない。眩しくもない。
それでも、確かに“発光”していた。
「……レイル?」
隣のアッシュが声を潜めた。
「お前……今、光ってなかったか?」
「……気のせいだろ」
即座に返したが、声が少し遅れた。否定の言葉が、頭より先に口から出ただけだ。
胸の奥で、さらさらという音が、わずかに乱れる。
(落ち着け……)
そう思った瞬間、手の中の環がぶれた。
「おい、レイル」
教師の声が飛ぶ。
「集中が切れている。無理をするな」
「……すみません」
頭を下げながら、レイルは呼吸を整えた。深く息を吸うと、環紋の光はゆっくりと引いていく。
だが、完全には消えなかった。
* * *
授業が終わると、胸の奥に妙な疲労が残っていた。体を動かしたわけでもないのに、神経だけが摩耗したような感覚。
(セラ……)
呼びかけても、返事はない。
昨日から、一度も姿を見ていなかった。
中庭を抜け、塔が視界に入った瞬間、胸の音が強まる。
(……やめろ)
アゼル先生の忠告が、遅れてよみがえる。
――単独で、塔に近づくな。
足を止めた。
ほんの数歩先に進めば、もっとはっきり“分かる”気がした。
(……今は、だめだ)
理由は言葉にできない。ただ、今進めば戻れなくなる気がした。
そのときだった。
胸の奥が、ひときわ強く鳴った。
さら、ではない。
低く、確かな脈動。
思わず制服の上から胸を押さえる。
(……光ってる)
誰に見せるわけでもないのに、慌てて周囲を見回した。幸い、人はいない。
環紋の光は、確実に強くなっていた。
(否定できない……)
昨日までは、偶然だと思えた。
気のせいだと、自分に言い聞かせられた。
でも今日は違う。
環紋は、確かに“応えている”。
塔に。
何かに。
(……僕は、何に触れかけてるんだ)
答えは出ない。ただ、胸の奥に重たい予感だけが沈んでいく。
レイルは、塔から視線を逸らし、踵を返した。
それでも、さらさらという音は、しばらく消えてくれなかった。




