影の兵士
俺の名は必要ない。
なぜなら、ここに記すのは俺自身の物語ではないからだ。
――これは、“彼”の記録だ。
泥にまみれた兵舎。飢えと恐怖に支配された最前線。
毎朝、誰かが死体袋に押し込まれ、誰かが無名の墓穴に投げ込まれる。
俺たちは番号で呼ばれ、使い捨ての駒として消費される。
そんな地獄の只中で、ひときわ異質な輝きを放つ存在がいた。
奴は貴族の血を引き、幼い頃から戦士の栄光を与えられた――
プライド高きエリート戦士。
整った顔立ち、整然とした鎧、背筋の伸びた立ち姿。
俺たち泥に沈む兵士には到底真似できぬ威容。
だが、その瞳に宿るのは慈悲ではない。
常に冷笑し、我らを見下し、己の誇りを守ることにしか興味がない。
「無様だな。這いつくばることしかできぬ下僕どもめ」
奴の声が響くたび、心の奥に怒りと憎悪が募る。
だが同時に、誰もが逆らえない。
圧倒的な力と、血筋と、立場が――俺たちを押し潰していた。
そんな時だった。
俺たちの目の前に、もう一人の戦士が現れたのは。
泥にまみれ、笑みは狡猾で、言葉は毒に満ちている。
欺き、騙し、裏切りを平然とやってのける。
だが、なぜだろう。俺たちは、いつの間にかその背を追っていた。
奴の名を俺たちは知らない。
だが、後に皆こう呼ぶようになる――
英雄 と。