第一話:転生と破産と、紅茶の値段~"損失回避"~(後編)
王都へ戻る馬車の中、リィナは何度も俺を見た。
疑うように、苛立つように、そして――ほんの少しだけ、期待するように。
王都セランティア。レヴィン商会の本店跡は、閑散としていた。
かつては各地から商人が訪れた栄華の象徴も、今では傷んだ看板と積まれた未売の紅茶樽があるばかり。
「……この在庫、もうどこにも置いてもらえないのよ」
「そうだろうな。高級品って評判だったぶん、“売れ残った”と知れた時点で印象は最悪だ」
「じゃあ、どうするつもり? 値段を下げて安売りでもする? それで赤字を減らす?」
「――逆だよ」
俺はにやりと笑い、指を一本立てた。
「値段は上げる。そして、“もうすぐなくなる”と騒ぐ」
「……は?」
「この紅茶を買わないと損をする。――そう思わせれば、誰だって財布を開く。
なぜなら、人は“得をすること”より“損を避けること”に本能的に反応するんだ。これを『損失回避』って言う」
俺は、店先に看板を出した。
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【告知】
王都セランティア・レヴィン商会、最終販売。
『幻のブレンド紅茶・父娘の遺作』――残り27樽。
※この在庫を売り切った後、レシピは封印予定。二度と手に入りません。
「最後の一杯を、今あなたに。」
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さらに裏工作で、城下の喫茶店に“古参客”を装った男たちを送り込む。
「おい、聞いたか? あのレヴィン商会の紅茶がもう出回らなくなるってよ」
「何だって!? 一度飲みたかったのに……! どこにある? どこで買える!?」
市場心理を操作するのは、まさにマーケティング戦の初歩中の初歩。
だが、この世界には“心”を操る商法が体系化されていないらしい。つまり――やりたい放題だ。
「きゃあっ、押さないでください!」
「俺に三樽売ってくれ!」
「あと何樽残ってる!? 早くしろ、今すぐ金を出す!」
開店直後、店の前には長蛇の列。買い占め騒動寸前。
「最後の機会」「買えなければ損」という言葉が、群衆の焦りをあおっていた。
「な、なにこれ……? 何が起きてるの……!?」
困惑するリィナの横で、俺は帳簿を確認する。
「――完売、だな。たった一日で」
「嘘……たった一日で、こんなに……」
リィナは震える手で、受け取った金貨を見つめていた。
「在庫が“売れ残ってた”から、みんな見向きもしなかった。
でも“もう手に入らなくなる”ってわかった途端に、命がけで奪い合う。
……人間の心理って、そういうものなんだよ」
俺はそう言って、馬鹿みたいに笑った。
「蓮……本当に、あなたが……やったの?」
「俺はただ、君の“誇り”を伝えただけだよ」
沈んでいた眼差しに、少しだけ光が戻る。
その横顔に、俺は静かに言葉を投げた。
「次は、君の商会を立て直す番だ。俺の力を使って」
リィナは唇をかみしめた後、ふっと笑った。
「……なんだか、騎士様みたいね。私を救ってくれるなんて」
「違うさ。俺は――」
「騎士じゃない。コンサルタントだ」
こうして、落ちぶれた商会と、異世界転生したコンサルタントの、再起の物語が始まった。
次なる一手は――
価格を操作する心理魔法、“アンカリング”の発動だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。第1話では「損失回避」という行動経済学の理論を取り上げました。人は利益を得ることよりも、損失を避けることに強く反応する傾向があります。この心理を利用して、主人公は紅茶の在庫を効果的に販売しました。次回は「アンカリング」という概念を用いて、さらなる商会の再建に挑みます。引き続きお楽しみください。