56.第二部 第6話 ― 均衡を崩す影 ―
記録の回廊に鳴り響いたのは、空間そのものを軋ませるような轟音だった。
扉の奥から滲み出す黒い霧が凝縮し、やがて巨大な人影を形作る。輪郭は曖昧で、ただ無数の瞳と牙だけがぎらつき、見る者の精神を削り取るようだった。
「……これが、均衡を崩す影。」
ファントムが呟く。その声には、かつて一度この存在に触れた者だけが持つ、深い恐怖がにじんでいた。
影は叫び声とともに腕を振り下ろす。星空のような床がひび割れ、衝撃波がアルトたちを襲った。セシリアが咄嗟に結界を展開し、三人は辛うじて立っていられた。
「これ……力そのものが記録を食ってる?」
セシリアの声は震えていた。
実際、影が動くたびに水晶柱が砕け散り、その中に保存されていた古代の記憶が消えていく。
アルトは腰の短剣を抜き、影を睨む。
「記録を壊して、未来の選択肢を奪おうってのか……」
その時、ルナの涙が彼の胸元で光を放った。
青い輝きが影に照射され、ほんの一瞬だけ、その輪郭が人の形をとった。
そこに見えたのは――アルト自身の顔。
「っ……!?」
セシリアが息を呑む。ファントムは目を細めた。
「やはりか。……あれは、可能性の影。“もし選択を誤ったお前”の未来だ。」
影は低く嗤った。
——盗人が未来を盗む? 笑わせるな。お前は必ず奪う側ではなく、奪われる側になる。
アルトの胸に、かつての迷いが蘇る。仲間を犠牲にしてきた記憶、ファントムとの別れ。
だが、彼は首を振った。
「……違う。俺は過去を切り捨てない。全部抱えて、それでも前に進む。未来を盗んで、誰にも渡さない。」
ルナの涙がさらに強く輝き、青白い刃のような光がアルトの短剣を包み込む。
黒い影が咆哮し、全てを覆い尽くす闇を放った。
その瞬間、ファントムがマントを翻し、アルトの背を守るように立つ。
「行け、アルト。選ぶのはお前だ。」
セシリアも杖を掲げ、光の道を作り出す。
「影の中心を斬れば、記録は守れる!」
アルトは頷き、光の刃を握りしめて駆け出した。
影と自身の未来が重なり合う一点に向かって――。
——「俺の答えは、盗んでみせることだ!」
青と黒の光が衝突し、記録の回廊が白く塗りつぶされていった。




