31.断絶の輪郭~2.遺されたものたち~
――10年前。
都市近郊にあった研究機関《プロメテウス開発局》、地下実験棟。
ガラス越しに見つめ合う、ふたりの子供がいた。
ひとりは黒髪の少年――アルト・ヴァレンタイン。
もうひとりは、淡い銀髪に灰青色の瞳を持つ少女。名は、リュシア。
「ねえ、アルト。もし全部忘れても……わたしのこと、覚えててくれる?」
「忘れるわけないだろ。俺は、リュシアの“盗賊”になるって決めたんだ」
ふたりは互いに、外の世界を知らなかった。
ただ、“記憶を試す道具”として育てられていた。
だがある日、転機が訪れる。
「《コード000》実験体、統合試験を開始します」
研究者の声。
リュシアは、複数の他者の記憶を脳内に埋め込まれる“統合実験”の核心にいた。
本来、人間の神経は他人の記憶と干渉すると拒絶反応を起こす。
だがリュシアは例外だった――**「感情を記憶として蓄積できる」**という稀有な脳波特性を持っていた。
「すべての記憶はリュシアを媒介にひとつに統合される」
「これが完成すれば、人間の“選択”を操作できるようになる」
アルトは、その現場を目撃してしまった。
リュシアが無数の記憶に苦しみ、人格が崩壊していく光景を。
「やめろ! リュシアが壊れる!」
「彼女は道具じゃない……俺の、大切な――」
しかしその時、アルトは選ばされる。
「彼女を救いたいなら、“君の記憶”を差し出せ」
「彼女の痛みを消す代わりに、君はすべてを忘れて生きる」
そして、彼は選んだ。
「リュシアを救ってくれ。俺の記憶なんて、全部持っていけ」
アルトは彼女を守るため、**自らの“存在にまつわる記憶”**をすべて封印した。
その結果――
リュシアは昏睡状態となり、カプセルの中に封じられた。
そしてアルトは、“彼女の記憶を忘れた盗賊”として再構成され、外の世界に放たれた。
現在・廃教会
「リュシア……」
アルトはファントムに語った。
今、少しずつ“思い出しつつある”自分の原点を。
ファントムは静かに目を伏せる。
「コード000……それは、記憶統合体の最初の成功例。
“感情ごと記憶を抱え込み、他者の記憶すら保存できる器”」
「まるで……記憶の神殿だな。すべての痛みを集めて、自分だけが抱えている……」
「でもそれは同時に、“感情を奪われる危険性”でもある。……だから彼女は、壊れていったのよ」
「壊したのは……俺だ」
アルトの拳が震える。
彼女を守るために忘れた記憶は、逆にリュシアの“存在”を消した。
それが――断絶の輪郭。
「なら、取り戻す。俺が“盗んだ”のは記憶じゃない。……リュシア自身だ」
アルトは立ち上がる。
「ファントム、力を貸してくれ。リュシアを救うために……“ルナの涙”を使う」
ファントムは黙って頷いた。
「次の標的は、ネメシスの心臓部。リュシアが眠る《記憶統合室》よ。そこを破れば、彼女を取り戻せる可能性がある」
アルトは短く笑った。
「いいぞ。かつて俺が救えなかった“少女”を……今度は、怪盗として奪い返す」
深夜。
人工衛星すら干渉できない、絶対遮断区域。
標高2700メートル。黒鋼の山肌を切り裂くように口を開く地下中枢の隔離ゲート。
そこは、カーディナルの“記憶支配システム”の心臓部――《記憶統合室》への唯一の入口だった。
「これより先は、本当に戻れないかもしれない」
ファントムが小さく呟く。彼女の声は震えていなかった。ただ、異様な静けさを湛えていた。
アルトは、懐から“ルナの涙”を取り出した。
青白く光るそれは、今も微かに脳波と共鳴していた。
「戻らねえよ。俺たちは、前に進むだけだ」
■ ―侵入開始
二人は闇の中へと歩を進める。
すぐにセキュリティは反応した。無人砲台、自律型レーザードローン、強化警備兵――
だがすべて、記憶に刻まれていた動きだった。
ファントムが、静かに呟く。
「記憶改竄に協力していた頃、私はこの施設の防衛システムを書いた。だから……“記憶”している」
その言葉通り、彼女は正確なステップでレーザー網を避け、
アルトはその直感で未来を読むように敵の死角に回り込む。
「お前、まるで……未来を知ってるみたいだな」
「いいえ。未来じゃない。これは全部、“過去”よ。私がここで、何をしていたか……その“後悔の結晶”みたいなもの」
やがて、彼らは《記憶統合室》の扉に辿り着く。
冷却されたチタン製の分厚い扉。その中央には、“ルナの涙”と酷似した青い結晶が埋め込まれていた。
「これは……?」
「キー・コアよ。コード000を封印するために造られた装置。……彼女の“感情”が暴走しないように、記憶の波長を常に抑制している」
アルトは拳を握る。
「壊すしかないな」
「違う。私たちの“共鳴”で、開けるの。ルナの涙に触れて」
二人は同時に結晶へ触れた。
その瞬間――《記憶統合室》の扉が静かに開く。
■ ―《記憶統合室》
そこは神殿のような空間だった。
中央に浮かぶ巨大な水晶カプセル。その中に――銀髪の少女が眠っている。
まるで時間の止まった夢の中に取り残されたかのように、静かに、穏やかに。
「……リュシア」
アルトの胸が締め付けられた。
やっと辿り着いた。
取り戻すべき“記憶”ではなく、“彼女自身”が、ここにいた。
だがその瞬間、背後に冷たい声が響く。
「来たか。愚かなる“盗人”たちよ」
振り向くと、そこに立っていたのは――カーディナル現代表、クラヴィス・エインズワース。
その隣には、修復された番人が静かに立っていた。
「この子を連れて行く……それだけだ。あとは何も要らねえ」
アルトが睨みつけるように言うと、クラヴィスは静かに笑った。
「君たちは勘違いをしている。
“記憶”とは、奪われた時点で“選択”の自由を失う。
君が彼女を“取り戻した”と思っても、それは別の“選択”を奪う行為に過ぎない」
「……言葉遊びをしてんじゃねえよ。これは、俺の“選択”だ」
「ならば試してみるといい。“ルナの涙”が起動すれば、君の記憶も、彼女の記憶も――すべての感情が、暴走する」
クラヴィスが指を鳴らすと、エクリプスが前に出た。
「アルト、下がって。私が……彼女と“繋がる”!」
ファントムが再び記憶装置を接続する。
すると、エクリプスの真紅の瞳が、一瞬だけ――揺らいだ。
「……ノクス。あなたは……“哀しみ”を覚えている」
「あの日、あなたが私を見捨てたことも。……でも、救おうとしたことも」
ファントムは目を見開いた。
「……記憶が……戻ってる……?」
「エクリプス、あなた……感情を、記録してたの?」
「私は……“あなたになりたかった”。人間のように、記憶を悲しめる存在に」
クラヴィスが苛立ちの声を上げる。
「戯言だ!貴様はただの番人だ。人間ではない!」
だが、次の瞬間。
エクリプスはクラヴィスの方に向き直り――
「さようなら、《開発責任者》。あなたは、私の“記憶”には必要ない」
そして自らの中枢を破壊した。
閃光。爆音。
施設は崩壊を始める。
■ ―脱出
アルトはリュシアのカプセルを抱え、ファントムと共に瓦礫の中を走った。
記憶の爆発は、彼らの“過去”すら巻き込もうとしていた。
だが彼らは、逃げ切った。
その手には、“誰かを救うために奪い返した”記憶の欠片――
そして、確かなぬくもりがあった。




