25.深淵の意志― 第2話深淵より来たるもの
遺跡の最深部。巨大な石扉がそびえていた。扉にはオブシディアンと同じ紋様が彫られ、中央にはくぼみがある。
アルトが封印箱から取り出した宝石をはめ込むと、扉は静かに震え始めた。
「戻れないかもしれないわよ?」
セシリアが問う。アルトは頷いた。
「けど、進まなきゃならない。」
扉が開くと、そこは“空白”だった。空間がねじれ、音も光もない虚無が広がっていた。だがその中心に、人影が立っていた。
「……やはり来たか、アルト。」
ファントムだった。
「ここはかつて、王たちが“禁忌”を封じた場所。だが、完全には封じられなかった。」
彼の背後には、黒い結晶体のような塊が浮かんでいる。それは“意志”を持つように脈動していた。
「これが“深淵の意志”──あらゆる知識と力の集合体。だが、使い方を誤れば、世界を飲み込む。」
ファントムはその力を完全に封じるか、それとも支配するかの岐路に立っていた。
「お前は……何を望む?」
アルトは問うた。ファントムは目を伏せ、そして言う。
「選んでくれ。俺ではなく、お前が。」
アルトは宝石に手をかけ、ゆっくりと“深淵の意志”に歩み寄った。
——その選択が、全てを変えると知りながら。
空間が静寂に沈む。黒い結晶の塊が、脈動と共に淡い紫光を放つたびに、空間そのものが微かに震えた。アルトはゆっくりと、慎重にその中心へと歩を進めていた。
「アルト……」
セシリアの声が、背後から小さく届く。だが彼は振り返らない。宝石——オブシディアンが、指先で熱を帯び始めていた。
「“深淵の意志”は、ただの知識や力の塊ではない。それは、意志を持った『問い』だ。」
ファントムの言葉が、闇に響いた。
「問い?」
「そうだ。“お前は世界を変えたいか”。“犠牲を払ってでも真実を知る覚悟があるか”。選択を迫る存在だ。……そして、その問いに飲まれた者は、もう戻ってこられない。」
それはかつて、ファントム自身が選び、そして拒んだ道だったのかもしれない。
アルトの足が止まった。彼の眼差しは、迷いと決意の狭間で揺れていた。だが——
「俺は怪盗だ。世界を盗むことはできなくても、真実を一片だけ奪い、誰かに手渡すことならできる。」
そう言って、オブシディアンを結晶へと押し当てる。
瞬間、空間が反転した。
周囲に走る閃光。記憶の断片が暴風のように吹き荒れ、過去と未来が交差する。アルトの脳裏には、かつての仲間、過ぎ去った日々、そしてこれから訪れるかもしれない未来の影が流れ込んでくる。
「うああああああッ……!」
そのとき、セシリアが叫んだ。
「アルト、戻ってきて!」
彼女の手が、アルトの背中を掴んだ。それは、現実と虚構を繋ぎとめる唯一の錨だった。
黒い結晶が軋み、ひび割れ始める。
「まさか……答えを与えるんじゃなくて、“問い”そのものを盗む気か?」
ファントムが呆れたように笑う。
結晶が砕け、深淵は一瞬、光に包まれた。
——そして、空間は崩壊を始めた。
「脱出するぞ!」
ファントムが叫び、セシリアとアルトを連れて走り出す。虚無の回廊が崩れゆく中、3人は扉を越え、再び遺跡の地上へと戻った。
息を切らして座り込むセシリアに、アルトは一言、呟いた。
「深淵の問いは、誰にも答えさせない。俺が盗んだからな。」
ファントムはしばらく沈黙し——そしてふっと笑った。
「らしいな、アルト。」
だが、その直後。遺跡の空に、黒い翼のような影が差した。
「……来たな」
ヴェイルだった。彼は高台に立ち、仮面越しに言葉を放つ。
「君は、“問い”を盗んだ。だが、それだけでは終わらない。“答え”を欲する者たちが、次々と現れるだろう。」
そう言い残し、ヴェイルの姿は再び煙の中へと消えていった。
アルトは空を見上げ、そっと呟く。
「問いの次は……答え、か。」




