22. 虚空の花園 ― 第2話記憶の回廊
虚空の花の幻影の仕組みは、ただの香気ではなかった。オルゴールが音波を媒体にし、記憶を共鳴させる装置であることをアルトは見抜く。問題は、その装置の出所だった。
夜明け前、アルトはリリックという情報屋の協力を得て、財団イシュタルの地下にある美術アーカイブへと潜入する。そこには没収された美術品や、歴史から消された研究の記録が保管されていた。
「このアーカイブ、ただの保存庫じゃない。」
リリックが示したのは、記憶操作兵器の開発データだった。虚空の花とオルゴールは、その試作品にすぎない。
「やっぱりな。これは芸術の皮を被った兵器だ。」
その夜、アルトは再び〈ラ・ブランシュ〉と接触する。彼女の正体は、失踪した科学者・神代ミレイの姉。財団に潜入し、妹の消息を追っていた。
「妹は、あの花を作っていた。だけど…それは兵器として利用された。」
彼女の言葉に、アルトの決意は固まる。目的は、虚空の花の原種《始原の虚空》。それがあるのは、イシュタル財団が秘密裏に管理する「時計塔の温室」だった。
アルトと〈ラ・ブランシュ〉は、廃棄された地下鉄の線路跡を辿り、時計塔の地下区画へと向かった。リリックが提供した地図には、記されていない通路がいくつも存在していた。
「財団がここまで厳重に隠しているってことは──」
「始原の虚空は、ただの植物じゃないってことね。」
重く錆びた鉄扉の先、二人が辿り着いたのは、かつて科学者たちが出入りしていたという旧研究室跡だった。
そこには、粉々に砕かれた記録装置と、焼かれた資料の山。だが、唯一焼失を免れた一冊の記録ノートが、ひっそりと金属棚の隙間に残されていた。
アルトは手袋越しにページをめくる。
──実験記録 No.042:始原の虚空(Void Primula)
「虚空の花は、感情と記憶の共振反応を引き起こす。
発する香気に含まれる微細な振動子は、オルゴールの音波と共鳴し、対象の記憶を“選択的に再生・拡張”させる作用を持つ。」
「つまり……記憶を“見せる”だけじゃない。“記憶そのものを増幅し、植え付ける”ってわけか。」
〈ラ・ブランシュ〉が冷たく呟いた。
「財団は、人の“過去”を作り変える装置を造ってたのよ。あの子の研究を歪めて。」
アルトは記録の最後のページに指を滑らせた。そこには、手書きのメモが残されていた。
『原種は成長し続けている。温室の中央部、コード“Lucis Prima”。制御装置は未完成。急げ。』
「コードネーム……“光の始まり”? 皮肉だな。」
時計塔の地下で静かに芽吹く、《始原の虚空》。
それは、記憶を癒すために創られた花が、永遠に“偽り”と“真実”を巡る戦場へと変貌する鍵だった。
アルトは記録ノートを懐にしまい、〈ラ・ブランシュ〉と顔を見合わせた。
「準備はいいか?」
「ええ、もう迷わない。」
そして二人は、再び地上へ向かう階段を昇っていった。
その先にあるのは、時計塔の頂きに佇む“温室”──記憶の源泉。
そこには、かつて姉妹が描いた理想と、失われた未来が眠っている。




