20.夜光の記憶 ― 第3話「記憶の消失点(ヴァニッシング・ポイント)」
まるで呼吸するかのように、洋館の内部が光に染まっていく。
かつて展示された“幻の絵画”の輪郭が、壁一面に浮かび上がる。
――空のない星空、微笑みかける少女、指先に留まる一筋の光。
それは、誰の記憶にも存在しないはずのイメージだった。
けれどその光景を見た瞬間、アルトの目がわずかに揺れた。
「……見覚えがあるのか?」
隣に立つ柊シオンが問う。
アルトは答えず、歩み寄って壁に映る絵の中央――少女の顔に手を伸ばした。
「これは……俺の母が描いていた未完成の絵だ。
ただ、火事で全部焼けて、俺の記憶にも、原稿にも、残ってなかったはずなのに……!」
「記憶を盗んだのか。いや、違う。
これは、アルトの記憶を“再構成”して見せてる。ファントムは……お前を“照らした”んだ」
そのとき、上階の天井が音を立てた。
ゆっくりと、シルエットが現れる。黒いコート、風になびく長髪。
ファントムが舞台へと姿を現した。
「いい演技だったわ、アルト。感情が滲み出ていた。……これで、作品は完成ね」
「なぜだ……どうして俺の過去を?」
アルトが睨むように問うと、ファントムは微笑んだ。
「“盗む”という行為は、ただ奪うんじゃない。
それは、“誰かが忘れてしまったものを、照らし直す行為”でもある。
あなたが忘れた“光”を、私はただ、引き戻したのよ」
「それを、誰の許可で──!」
「記憶はあなたのもの。でも、絵は……彼女の“最後の作品”だったのよ。
“世界に見せたい”という意志は、あなたの中にずっと残っていた」
ファントムの声には怒気も皮肉もなかった。ただ静かに、真実だけを告げていた。
シオンが端末を掲げる。
「この空間に仕込まれた光構成データ、すべて解除できる。ここで終わりにできるぞ」
だが、アルトはその手を止めた。
「……いや、これは、終わりじゃない。
俺がこの作品を完成させる。ファントムが“盗んだ”のは記憶じゃない。
俺が逃げ続けてた過去だ」
アルトは、壁に映る少女の笑顔を見つめた。
記憶の中で止まっていた時間が、ようやく動き出した。
ファントムはゆっくりと踵を返す。
「じゃあ、これでようやく幕引きね。
……次は、あなたの舞台よ、アルト」
音もなく彼女が消えると、館内の光は静かに消えていった。
“夜光の記憶”はもう盗まれたのではない。還されたのだ。
シオンがつぶやいた。
「彼女にとっての“盗み”とは、失われた物語の回収だったか……
……少し、やり口が好きになれそうだ」
アルトは無言で頷いた。
ファントムが示した光は、確かにひとつの記憶を照らしたのだから。
──そして、次の舞台はすでに準備されている。
それを知っているのは、シオンもアルトも、そして彼女もまた同じだった。




