19.夜光の記憶 ~追光の輪舞(ルクス・ロンド)~
雨は止み、空は深い藍に染まっていた。
都心から離れた旧市街。
かつて貴族のサロンだった石造りの洋館に、ふたりの影が入る。
「ここが、ファントムの“次の舞台”と見たか」
そう言ったのは、黒のパーカーに身を包んだ青年、アルトだった。
壁のひび、傾いた天窓、空っぽの展示台──誰も使わなくなったはずの建物に、微かな“光の罠”が仕掛けられていた。
「正確には、ここは“稽古場”だよ。ファントムの仕込みは、だいたい前哨戦がある」
そう答えたのは、タブレットを操作しながら奥へ進む、柊シオン。
彼は前回の美術館侵入を解析した結果、この館のセンサーと照明の記録に不審な点を見つけていた。
「この空間、照明の反射率が計算されすぎてる。あの女、“光そのもの”を使うつもりだ」
「照明を?」
アルトが問い返す。
「いや──**絵画の記憶を呼び起こすための“光”**さ。
この館は、戦前に“失われた名画”を収蔵してた。その中に、一枚だけ正確な記録の残っていない絵がある。
おそらく、それがファントムの次の標的だ」
シオンが指を鳴らすと、タブレットに一枚のぼやけた写真が映し出された。
──朧げな少女の横顔と、歪んだ星空。
「“夜光の記憶”……未発表の幻の絵画。画家は不明。
だけど、彼女はこれを“光の再構成”で、あの場に甦らせようとしている」
「盗むんじゃなく、“出現させる”……か」
アルトは天窓から差し込む微光を見上げた。
この建物はもう作品を展示していない。それなのに、誰かが“作品の痕跡”をここに再構成しようとしている。
ファントムはこの館をキャンバスに、過去の幻影を描こうとしているのだ。
シオンが静かに告げた。
「アルト、お前がここに来たのは……ファントムを止めるためか?」
「いや。俺は“彼女の真意”を知りたいだけだ。あの女の舞台に、誰が立ち、誰が照らされるのか──」
言葉を切った瞬間、館内の光が変わった。
微弱なセンサーが作動し、壁に映る光の粒子がひとつに収束していく。
まるで、どこかで見た絵の再現のように。
「始まったな」
アルトが小さく呟く。
ファントムの“光の盗み”が、いま動き出そうとしていた。