第7話「虚空に刻まれる誓い」
祠を揺るがす光と闇の衝突が収束すると、場を支配していた轟音は嘘のように消えた。
ただ、耳に残るのは自分たちの心臓の鼓動――それと、ルナの涙が脈動するような微かな響き。
「……終わった?」
セシリアが震える声でつぶやいた。
だが、すぐに空間全体に走ったのは亀裂だった。
まるで世界そのものが薄いガラスでできているかのように、亀裂が走り、そこから冷たい闇が滲み出していく。
「いや……まだだ。」
ヴェイルが苦い声で言った。
「虚空の王は退いたが……契約の代償が、動き出している。」
アルトの手の甲に刻まれた「契約の刻印」が青白く光り、熱を帯びていく。
同時に、アルトの頭の奥がざわめき、視界がぐらりと揺れた。
「う……っ!」
膝をついたアルトの脳裏に、奇妙な光景が流れ込む。
見知らぬ街、見知らぬ人々の笑顔。
だが、それらは確かに「自分の記憶」のように思えてしまう。
「これは……俺の……記憶じゃない……!」
セシリアが駆け寄り、必死に支える。
「アルト! 大丈夫!? 何が見えてるの?」
「……過去……俺じゃない誰かの……」
アルトの声は震えていた。
ヴェイルも刻印を押さえながら顔をしかめる。
「……なるほどな。代償ってのは……俺たちの記憶と魂を、この結晶に『刻み直す』ってことか。」
アルトの胸に不安が広がった。
「つまり……少しずつ、俺たち自身が消えて……別の存在に上書きされるってことか?」
セシリアの顔が蒼白になる。
「そんな……!」
クロノスの幻影が再び現れ、低く告げる。
『契約は常に、犠牲を伴う。
だが、失ったものは決して無駄にはならぬ。
記憶は結晶を通して繋がり、未来の誰かを導く。
それが星々の誓いだ。』
アルトは歯を食いしばった。
「勝手に未来のためとか言うな! 俺は……俺の大切な今を守りたいんだ!」
だが、その叫びの最中にも、アルトの胸に浮かぶのは「セシリアと過ごしたある日の記憶」がふっと霞んでいく感覚だった。
手を伸ばしても、掴もうとするたびに遠ざかる。
セシリアはその姿を見て、強く彼の手を握った。
「……だったら、私が覚えてる。
あなたが忘れてしまっても、私が全部覚えてるから。
だから……絶対に消えたりしないで!」
アルトは震える視線でセシリアを見つめた。
その瞳に、自分が守りたいものすべてが映っている。
「……ああ。消えない。
例え記憶が消えても……この想いだけは、盗ませたりしない。」
その瞬間、刻印が強く輝き、祠に再び青い光が満ちた。
星喰らいの王の残滓が苦悶に揺らぎ、闇を引き裂くように退いていく。
だが同時に、クロノスの幻影が重々しく言葉を残した。
『これでお前たちは、宇宙の均衡を背負う者となった。
次に待つのは――契約を試す「審判の回廊」だ。』
光が消えたあと、残されたのは荒れ果てた祠と、刻印に痛みを抱える三人。
それでもアルトの目は、揺らぎながらも決意を宿していた。
「……まだ、盗み終わっちゃいない。
今度は――俺自身の未来を盗んでやる。」
夜明けの光が差し込む中、三人はゆっくりと歩き出した。
その歩みの先には、まだ見ぬ「審判」が待ち受けている――。