第二部 第78話 影を盗む者たち
黒い軍勢は無尽蔵のように溢れ出し、塔の崩壊した空間を埋め尽くしていく。
影は人の姿をとり、笑い声や泣き声を重ねながらアルトとファントムを包囲した。
「――数が多すぎるな」
ファントムの声は冷静だったが、その目にはわずかな疲労の色があった。
アルトは逆に口の端を上げる。
「師匠、数の問題じゃない。これは“俺たち自身の影”だ。倒すんじゃない、盗み切るんだ」
彼は影の一体に飛び込み、すれ違いざまナイフを閃かせた。
影は切り裂かれた瞬間、記憶の断片となって霧散する。
アルトの頭の中に、他人の記憶のような映像が流れ込む――
幼い日の後悔、叶わなかった夢、失ったものの重み。
「……なるほどな。お前ら、俺の後悔を食って膨らんでるのか」
アルトは吐き捨てるように言い、次々と影を切り裂いていく。
一方のファントムも、冷徹な気配で動いていた。
マントを翻し、鋭い軌跡で影を吸い込むように斬り取っていく。
その度に、彼の眼にはかつて捨て去った“未来の自分”の映像がよぎる。
英雄として称えられる自分。
組織に囚われ、怪盗にならずに終わった自分。
影の数だけ、別の人生がそこにあった。
「……くだらんな」
ファントムは低く呟き、さらに深く影を切り裂く。
「選ばなかった未来など、盗む価値すらない」
だが、影は減らない。
切り裂かれ、吸い込まれてもなお、次々と増殖する。
その中心――空に走る亀裂から、ひときわ巨大な影が降り立った。
それは形を変えながら、やがて二人に似た輪郭をとった。
「……アルト」
「……ファントム」
互いの影が、互いを模して立ちはだかる。
まるで鏡の中から飛び出したもう一人の怪盗のように。
アルトは小さく笑った。
「自分のコピーと踊れってか……上等だ」
ファントムもまた口角を上げる。
「悪くない。――ならば盗んでみせよう、“自分自身”を」
影と怪盗。
同じ顔、同じ技。
世界の均衡を賭けた“もう一人との戦い”が幕を開けた。