第二部 第67話 裏切り者の幻影
封印の書庫に満ちる光が収束し、形を成したのは――ひとりの男だった。
灰色のローブに身を包み、瞳は深紅に燃えている。
その背から広がる影は、いくつもの手のように蠢き、まるで見る者の記憶を絡め取る鎖のようだった。
「……誰だ?」
アルトが問いかけると、男はゆっくりと口を開いた。
「我は名を持たぬ。かつて契約を破り、この宇宙を歪ませた《裏切りの残滓》……。」
その声は低く、だが耳の奥に直接響くように不気味だった。
周囲の石板が共鳴し、アルトとファントムの記憶を勝手に映し出す。
アルトには、幼い日の孤独が。
そして師ファントムとの別れの光景が、鮮明に浮かび上がった。
「やめろ……!」
アルトは奥歯を噛みしめたが、影は嗤うように囁く。
「お前は盗賊にすぎぬ。未来を掴むだと? 過去すら盗めず、傷を抱えたまま生きる小僧が……。」
その刹那、ファントムの前にも幻が立ち現れる。
それは若き日の彼自身。
まだ仮面も纏わず、ただ正義を信じて剣を取っていた頃の姿だった。
「ファントム……。お前は裏切った。理想を諦め、影に堕ちた。なぜだ?」
若き自分の声が、嘲るように響く。
ファントムの肩がわずかに揺れる。
アルトは思わず振り返った。
あの無敵の師の瞳に、一瞬の迷いが宿っていた。
「……幻影は俺たちを試している。」
アルトは胸の《ルナの涙》を握りしめ、声を張った。
「でもな、俺は過去に縛られるつもりはない! 過去は――盗み取って、未来に繋げる!」
結晶が応えるように、青白い光を放つ。
アルトの影が伸び、幻影を裂く刃の形を取った。
ファントムは静かに笑った。
「やれやれ……弟子に励まされるとはな。」
彼もまたマントを翻し、幻の「若き自分」と対峙する。
「確かに俺は堕ちた。だが、それが俺だ。影すらも抱えて進む。それを許せるのが……本当の怪盗だ。」
二人の声が重なり、光と影がぶつかり合う。
裏切り者の幻影が唸り声をあげ、幾千もの記憶の断片を武器に変えて襲いかかってきた。
だがアルトは怯まない。
《ルナの涙》の光が、その全てを切り裂き、未来へと道を開こうとしていた――。