第二部 第59話 均衡の継承者
光の奔流から抜け出した瞬間、アルトとファントムは再び現実の大地に立っていた。
そこはかつて財団イシュタルの研究施設があった廃墟。だが、今や建物は崩れ、瓦礫の隙間からは黒い霧がじわじわと広がっていた。
「……帰ってきたか。」
ファントムが低く息をつく。
アルトの胸元には、淡い青白い光が脈打つように宿っていた。
ルナの涙は消えたのではない。
その本質がアルトの心と一体化し、彼の内側で“契約”として生きているのだ。
「アルト……お前の中に、星々の記録が眠っているのだな。」
ファントムの言葉に、アルトはうなずいた。
「すべてを見せられた。過去の戦争も、人類が何度も均衡を壊してきたことも……。
でも俺は、その重みごと背負うと決めた。逃げるわけにはいかない。」
そのとき、廃墟の奥から低い唸り声が響いた。
霧の中から現れたのは、人の形を保ちながらも輪郭が崩れた“黒い影”だった。
その眼孔の奥には虚ろな光が宿っている。
「……あいつら、まだ生き残ってやがったか。」
ファントムが身構える。
アルトは影を見つめ、胸の奥で共鳴する声を聞いた。
――“それは契約を拒んだ者たち。記録に適合できず、存在の形を失った影だ。”
「契約を拒んだ……?」
アルトは思わずつぶやく。
ファントムの目が鋭く光った。
「つまり……“選ばれなかった怪盗”の成れの果てってわけか。」
黒い影が一斉に動き出す。
数は十を超え、瓦礫の上から、地面の裂け目から、波のように押し寄せてくる。
「アルト!」
ファントムの叫びと同時に、アルトの体から光が迸った。
青白い軌跡が宙に走り、影たちの動きを止める。
その瞬間、アルトの脳裏に数多の記録が閃光のように走った――剣を振るう英雄、祈りを捧げる巫女、あるいは絶望の中で希望を盗み出した者たちの姿。
「……これは俺だけの力じゃない。過去に抗った者たちの意志そのものだ!」
次の瞬間、光が弧を描き、黒い影を切り裂いていった。
影は苦悶の叫びを上げ、やがて光の粒子となって夜空へ溶けていく。
静寂が戻ったあと、アルトは息を整えた。
ファントムが腕を組み、じっと彼を見ている。
「力に呑まれるなよ、アルト。
その契約は祝福でもあるが……呪いにもなる。」
アルトは小さく笑った。
「分かってるさ。俺は怪盗だ。
どんな呪いでも、盗み取って未来に隠してみせる。」
その言葉に、ファントムは初めて口の端をわずかに上げた。
だが、その刹那――空が裂け、雷鳴のような声が響いた。
――“継承者よ。均衡は未だ崩壊の淵にある。次の審判が迫っている。”
アルトとファントムは顔を見合わせ、緊張を共有する。
新たな戦いが、すでに始まっているのだ。