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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第五章 オリジン オブ シビリゼイションのために
63/64

オリジン オブ シビリゼイション#14 アカシックレコード:地球紀アトランティス人編(スフィンクスと生命力を崇拝した最後の亜人種族)

#63


水の単一化であるモノポールは約二〇万年前の氷河期完成の際に果たされる。

氷河期の完成という水の単一化とは地球のスノーボールアース化のことであり、その過程において多くのアトランティス時空の立役者であった初期人種の多くは、その過酷な冷的環境を通じたその血統を様々に分岐させながら、その源流にあたる種族が何であったのかの記憶を自らの肉体からのメッセージである生命の意志を辿ることができなくなる。

そういった水の質の生命的な変化を境に過去の種族は次々と滅んでいった。

アッカディアの種族は氷河化による寒冷の脅威を環状巨石による生命エネルギーの抽出によって都市ごと防衛する手段を講じ、逃れることで生存を勝ち取った原アッカド人は絶滅するどころか深刻な氷河期が過ぎた後の一時代の覇権を最初に握ることとなる。

巨石文明のテクノロジーを駆使して難局を乗り切り、その豊かに栄えた法治国家的な物質文明ではあったがその覇権は極々短い数百年にも満たない期間であった。


蒙古人と呼ばれる新しいアトランティス時空の亜人種に滅ぼされる。


原アッカド人たちの統一国家は第七亜人種であるモンゴル種族によって解体されることとなるが、彼らはこの後に待ち受けている月軌道をも包み込むような洪水である時空転移を経てなおその魂を地球紀に残すに至る。

彼らの魂は現在のカナダのノバスコシアの子孫として転生することによって、原モンゴル人たちの因果から逃れるようにして北アメリカから北極圏にかけての土地を活動の拠点とすることを良しとし、ヨーロッパにおいてはバイキングの祖先であったルモアハルス人の末裔やレムリアやヒュペルボレイオス時代から転生してきた魂との関係性を深めることで、現代にも語り継がれる北欧伝説に数えられているサーガの世界を生きた登場人物たちとしてポストアトランティス時空である世界にもその存在の名残を轟かせることとなる。

しかし、その伝説的な痕跡と名声は残念ながら彼ら原アッカド人たちの無念ともいうべき魂の残穢がアトランティス時空の終末に至る最後の一〇万年間の断末魔とでも言うべき生き様であったと言わざるを得ない。


なぜなら、彼らアッカディア種族の過ぎた思考が十九世紀の人類魂だからである。


大地の生命力を物質的に還元することに成功した都市国家のイメージは元素を解析し、圧縮的に再結合させることによる自然科学的なエネルギー抽出法での近代産業革命までとアトランティス時空とを結びつける古代文明の名残と呼ぶに相応しい魂の回路を私たち現代人の意識に提供するに至っている。

ルネサンスにあっても緩やかだった人類の物質的科学思考が十八世紀のニュートンの万有引力を境に月の向こうを巡る宇宙観が次々と望遠鏡の観測結果によって塗り替えられていくにつれて、人類の魂が顧みることのできる世界の中から生命の概念が抜き取られていった。

そのことによって、私たち人間の魂である意識は神々と精霊の働きは人間の人体内でのみでしか活動を認識する事ができないところにまで押し込められていくこととなっていったのには、アトランティス時空から運ばれてきているカルマによる相応の因果があるということだ。

その生命を覆う怨念にも等しい魂の因果の根源がアトランティス時空の最後の亜人種族である原モンゴル人への悔恨によって現時空への転生を余儀なくされている、という私たちの時空からは隠されている歴史があるのだ。


原モンゴル人とはシベリアのタタール平原に興きた原ツラン人の末裔である。


第四亜人種族にあたる原ツラン人たちは約八〇万年前の大洪水によってその多くを淘汰されることとなったが、アッカディア種族の魂が後のノバスコシアに転生されたように彼らの魂もまたポセイドン島の秘儀参入者たちへの怨念のもとに転生してきたアトランティス産の魂であった。

だが、彼らモンゴル種族の魂の因子に逃げの二文字はなかった。

ポセイドン島が生命エネルギーの根源としてアトランティス時空の命の潮流を管理しているターミナル的な存在であるとしたら、アトランティス時空の最後の亜人種であるモンゴル種族は秘儀参入者たちの管理する世界のシステムを滅ぼすために現れたガン細胞のような知的生命体として彼らはアジアの東端からその人口規模を急激に増やしていった。

彼らは後のポストアトランティス時空の人類の肉体のベースとなる。

その意味はそのままの意味であり、アトランティス時空における第四の黄色人種であるモンゴル種族の肉体は原ツラン人からの直接の血統であることを超えて、地球上の住民の大部分がこのモンゴル種族を大元として現時空で活動する私たち人類は五色人として分岐を果たしている。


○五色人

白人(ヨーロッパ系)

黒人(アフリカ系・ポリネシアンなど)

黄人(中国・朝鮮・東南アジア・モンゴル・チベットなど)

青人(東欧・ロシア・アイヌ・イヌイットなど)

赤人(米先住民族・インド・エジプト・アボリジニなど)


これら特徴的な各人種が全てアトランティスのモンゴル種族からの派生なのだ。

彼ら五色人はアトランティス時空最期の亜人種として大激増した種族の意志が時空変異を経た後の人間の受肉体のベースとなるにあたって、それぞれの魂が持つ呪いに応じた呪肉体としての色が付着していくことでその源流となっているアトランティスのモンゴル種族との区別がもうすでにどこにあるのかもわからないくらいに人類は統一的な種族として原時空に存在している。

よって、私たちの時空上で生じている人種的な違いが実に空虚なことであることを言わざるを得ないわけだが、時空変異が途中で介入していることを知らない現代人にそのことの無知を咎めることはもちろん筋違いなのを承知の上で伝えられる事がある。

五色人を人種とするかしないかのいずれにせよ、世界中の人間が海と国家と肌の色に加えて言語の違いなどの壁に隔てられながらも話し合いで交友する事ができ、問題を解決することのできる状態にあることが統一的な人間であることの唯一無二の証拠であるとだけ指摘しておこう。

バナナにはキャベンディッシュという一種しかしないのと同じだ。

かつては存在したグロスミッチェル及びそれ以前のバナナの種は全時空で存在していたアトランティス人のように絶滅の淘汰を経てバナナという種は現代において統一されているとも言える。

繰り返すが現代における人間という種は一種しか存在しないヒト科に属している。

現代の私たちが人間と呼べる人間以外の猿人であるアウストラロピテクスやクロマニョン人などの原人はアトランティス時空での人類選別のターニングポイントにおいて完全に予選落ちすることで、直系にあたる新人類ホモ・サピエンスとの結びつきを見つけることが出来ないミッシングリンクとして私たちは自分たちのルーツ知ることのできない袋小路にいる。

ちなみに現代科学が観測しているホモ・サピエンスは約三〇万年前を起源としていて、私たちは新人類というカテゴリーに属している。

では、三〇万年以前の猿人的な人類に近い骨格を有した化石存在たちがアトランティスの人間であったのかといえばそれももちろん違う。

アトランティス時空の人種とは、その人種間のコミュニケーションがほとんど不可能なほどに不可能で、互いを同じ人間として認識することも難しいくらいに違う生き物として彼らの感覚では識別されていた。


それもそのはずで彼らの肉体は決して今の人間とは程遠いものだった。


アトランティスには原ツラン人から始まる第一から第四の黄色人種が魂の自我の目覚めと共にその人種を各個連ねられてきたわけだが、それぞれの魂が属していた太陽系惑星内部での活動履歴に応じた権能が各種族ごとの生命力となっていく過程の末に段々と現在の人間に近い姿へと近づいていった。

特にアトランティス時空が創世段階だった頃の海人種の肉体は水棲的な特徴を色濃く残していたことから液体に近い柔軟性は部分という概念を持たなかったことあり、その人体形状はイメージのままに変体することが可能だったくらいに柔らかく、当時の水々しい自然環境の影響との親和性を強く有していた。

その後、陸上に現れたアトランティス時空の亜人種族であるルモアハルス人をはじめとしたトラヴァトリ人からトラテケン人にツラン人のエーテル体は水棲ではなくそれぞれに四つの動物タイプに属していた。

ある民族は獅子であり、とある民族は牛であり、またある民族は鷲であり、そして最後の利己的な欲望に忠実だったツラン人は人間としてのエーテル体がアトランティス時空の前中期に活動していた生命力として肉体を支配していた。

種族間で様々なハイブリッドが存在したことになるわけだが、特にツラン人のエーテル体はその動物体(昼)と人間性(夜)が昼と夜とで頭の容姿が入れ替わるという自然作用が特異体質として現れていた。


そのことから彼らはスフィンクスとして伝えられていくこととなる。


現在のスフィンクスは墳墓であるピラミッドの守護するシンボルとして建造されたとしているが、ピラミッドは王家の墓としては作られてはいない。

元々あったピラミッドをファラオの権威の象徴として利用していただけである。

同じようにスフィンクスはエジプト各地の神殿の巨像や壁画にあるようにアトランティス時空のエーテル体を模した昼間は動物の姿をしていた人間を崇拝しての思い出であり、エジプトのカイロに予め存在していたピラミッドを権威とした当時のファラオのプロパガンダである。

ただ彼らの偶像は空想ではなくエーテルを認識していたことの確かな痕跡である。

アトランティスの各種族のエーテル体と物質体の融合は現代と比べるとはるかに不完全だった。

このエーテル体の中心点が物質体の中心点とずれている関係上、彼らは自分のことを「私」という一人称を用いる概念を持つことなく、絶えず彼らは自分のことを「その他大勢に属する」三人称を主体とする昼間の活動を自然としていたことから“自分”という所有の概念を彼らが持つことがなかった。

このズレによってアトランティス時空前期の動物的エーテルを優位とした人種族は私たちが当たり前に有している魂の自我を神経として知覚することが叶わなかった。

その代わり彼らは神経を介さないリンパの作用である生命からの記憶を知覚することで、自分という概念を持つことなく生命秩序が提供する絶対的再生にその意識を委ねる以外の葛藤を持つ必要がなかった。


その名残りを思考に有したアトランティス後期の人種族も知覚していた。


ゆえに、アトランティス前半の時空で活動していた四大黄色人種以前の人種であった彼らは、自らのエーテル体及び自然の言語が知らせてくる古く大昔から繰り返される伝統的な快不快の警戒感覚の衝動に従うだけの動物本能を司る中心のズレた動物的なエーテル体に支配されていた。

実際に、私たちのよく知る馬の額からエーテル体の角の突起を視た人の認識の共有が可能だった頃の存在のことを私たちユニコーンという幻を語るわけだが、幻獣の多くはエーテル界での姿の目撃で、その手のエーテル認識という記憶領域の支配権をアトランティス時空にてコントロールしていたのが秘儀参入者たち惑星神託者なのである。

現時空のエジプトの壁画にあるジャッカルのアヌビス神やハヤブサのホルス神、トキのトート神、ネコのバステト神、ワニのセベク神、ヒツジのクヌム神といった動物の被り物をした、というより彼らのエーテル体を模した人間より巨大な存在が生きる神として崇拝されていた痕跡が描かれているのは、その支配権を行使していた秘儀参入者たちのエーテル体を見上げていた現時空の証人であるエジプト人たちの世界観なのだ。

実際、かの時代にエーテル存在としての半神半人の神々の像を現時空の第3文化期にあたるエジプトの秘儀参入者たちはアッカディア種族を支配していた惑星神託者を見ていた。

また、スフィンクスも同様である。

過去の半神半人の真似事を自ら祭祀と称して、偶像崇拝を行う邪教徒たちを支配するための象徴として、ピラミッドの目的とは全く別の用途を以って、スフィンクスはピラミッドに背を向けて牛の胴体、獅子の手足、鷲の翼、そして人間の顔とはポストアトランティスの時空に転生している我々の現代人の背後にある集合的な魂の象徴であると同時に地上の人間そのものとして建造されることとなる。


建造させたのはほぼ私たちと同じ人間然としたモンゴル種族である。


原モンゴル人もまたアッカディアの種族同様に思考を生命力とした人種である。

加えて、彼らはサイキックでもあった。

いわゆる彼らの意志は念動力とも言える超常的な感覚をニュートラルとしていた極めて魔術的な能力に恵まれた才能を各自それぞれの自我による思考の恣意で対象を操ることのできた。

それはかつてアトランティス人初期に与えられていた生命操作ではなかった。

しかし、その根源は魂の火の力であった。

レムリアを崩壊させた地球自体の熱を表面化させることのできる原初の火を含んでの自然的な作用を扱うことのできるものも中には存在した。

彼らはその念動力が彼らの祖先である原ツラン人の思い出から見出されているという信仰がそのまま原モンゴル人たちの念動力の強度に比例していた。

ゆえに、アジアを中心に世界中のあらゆる大陸に拡散されたモンゴル種族はいわばツラン種族の象徴であるスフィンクスを崇拝するかのような追憶の精神が、まるで地の根で地球上の植物全てが生命力で繋がっているのに近いような形で共有され、その意志は盲目的にかつての多くのアトランティス人が有していた生命力を操作する力への信仰こそが彼らの宗教となっていく。


またそういった意志で追憶の人間像としてのスフィンクスは創られた。


スフィンクスを祀った宗教では生命力そのものがモンゴル種族の神だった。

その生命力を操った過去の偉大な存在たちの精神体を偶像化したものがモンゴル種族の崇拝の対象としたスフィンクスだったのだ。

また同時に彼らに予め与えられていた思考力が生命支配の力を弱体化させていることもまたモンゴル種族の追憶の思い出に情報として添えられていることもまた共有されていたことからよく知っていた。

彼らにとって古いものほど賢明であり、一番古いものこそが掛け値なしに良いものであり、どんな思考も及ぶことのない圧倒的過去である素朴オブ素朴な生命力に満ち溢れていたかつてのルモアハルス人などは、彼らにとっては伝説的な偉人でありアイドルだった。

またそういった古いものへの信仰が忌々しき魂の思考力から自らを守るものであると確信していた。

彼ら原モンゴル人たちは自分たちの魂の作用である思考力が生命力への抵抗となっていることへのストレスを自らの念動力の研鑽に励むことで克服を目指すような教育と文化が彼らのコミュニティだった。

彼らの精神である思考力を反映した念動力はモンゴル種族の活動の自由を提供した。

スノーボールアースの時代は過ぎ去ったとはいえ、厳しい氷河期は依然として持続し、アジア大陸は内部から乾燥の規模を拡張するにつれて砂漠という領域がどんどん広がっていくようにして、大地は草も生えない荒れ果てた環境をアトランティス時空最期の種族である原モンゴル人たちに突きつけていた。


モンゴル種族はそんな過酷な環境を遊牧的に留まることなく活動していた。


彼らの念動力は彼らの開拓精神を強靭なものとしていた。

モンゴル種族が有していた思考力は力の流れを連想し、分析できることだった。

力の流れを連想し、それを知覚に変えて再現する技術のことが現代の武芸や武術といったスポーツの源流となり、彼らは自らの身体を鍛錬することで生命と共にあることを信仰としていた。

アッカディア種族は(生命力)概念(意味)を結びつけている思考力を駆使し、対象を分析した。

セム種族は生命の力そのものを知覚し、神々の声を思考して分析した。

原セム人たちは神の声を聴くことのできる思考力で神の導きに従うことを開拓の精神としてアトランティス時空の厳しい氷河期を超越しようとしていた。

原アッカド人たちは物質の原理を追求する化学を極めた末に生命力を引き出すためのテクノロジーである占星術と錬金術を自らの人種の存亡をかけて成功させることで氷河期の克服に挑んだ。

そして、原モンゴル人たちは自分たちに宿っている生命力の流れを洞察することで思考力ではなく生命力を念動力として活用できている、と勘違いしながらもその信仰は確かに彼らの活動力となってその意志は肉体の活性化を伴いながら強い開拓力となって過酷な氷河期をどの人種よりも生き生きと生き延びた。


彼らモンゴル種族にとっての生きることとは信仰だった。


また同時に信仰の要である生命の神に仇なす思考する存在との闘争でもあった。

強力なこの力を有した遊牧の民である原モンゴル人たちは次第に狩場を北方アジアから溢れるように勢力を地球上の大陸全ての範囲へと拡大させていくようになる。

北は現在のベーリング海を超えてアメリカに入っていくとで当然闘争となり、そのことを経て彼らが北アメリカインディアンの中でいくつかの部族を形成するようになったことが現時空におけるアメリカ原住民たちへと人種化していくこととなる。

南では中華の土地はもちろんのことマレー半島からオーストラリアにまで彼らの足は伸び、そこではレムリアの原住民と交戦した後に混ざり合うこととなることで原モンゴル人たちと傍系血族となっていくことで現時空と結びつく。

また西ではハンガリー人に彼らモンゴル種族の傍系血族としての痕跡を見ることができ、それはアッカディア種族との最も激しい戦いへの幕開けを皮切りに、世界中のパワースポットに居城を構えるアッカド人たちはモンゴル種族の神である生命力の搾取であると認定されて以来仇敵となり、彼らの支配下にあった現代の地中海及びヨーロッパのロシア、バルト海、北ドイツ、スカンジナビアに至るまで壮絶な戦闘を繰り返されることでアッカディア種族の統一国家は解体され、原モンゴル人との混血が進むことによってアーリア人としての肉体的な血統が現代へと引き継がれていく。


最後に、東の最果てである日本列島は一〇万年前には存在しなかった。


現代科学の指摘にあるように、当時の海面は低く、地球の多くは浅い海の多くは凍結し、乾燥していたことから大陸と現在の島々は地続きであったため、他に類を見ないような日本列島という島々はアトランティスの広大な大陸の一部の凹凸でしかなかった。

それでも、モンゴル種族の拠点でもあったシベリアから始まった東アジアのあの瓦屋根と土塀と碁盤の目をした独特の街づくりの文化は原モンゴル人たちとアジアに居を構えていたアッカディア種族の文化とが融合して育まれたある種の宗教的勝利を顕現させた建築構造だった。

現代の仏閣から派生した中華由来の居住建築の以前には現モンゴル人が崇拝していた生命への宗教性が現代にまで継承された肉体にその名残りとして反映されたものを氷河期を終えた世界に甦らせたものにあたる。

エジプトの巨石文明もまた原モンゴル人が崇拝していた生命力の痕跡の残された石の波動そのものは悪ではなかったことから破壊行為に及ぶことはなく、そのままに近い形で現代の砂漠の各所に残されることとなった文明なのである。


ただし、ヨーロッパの石を用いた物質文明は違った。


アッカディア種族たちが築いてきた環状巨石群を囲うようにして厳しい氷河期での生活営むための生命圏を確保していた彼らの石造りの文明は徹底的に破壊することを厭わなかった。

彼らの物質を変化させることに優れた思考力によって地球の生命力を枯渇へと向かわせていることへの不敬はモンゴル種族の信仰の神への不義であり、決して認めることのできない許されざることであった。

よって、原モンゴル人たちにとってのヨーロッパから東にかけて、アッカディア種族の息のかかった居住地域の壊滅のための戦闘はジハードと呼ばれる神の名を自分たちの正義のために利用した聖戦という現代にも響き渡る悪しき正義の有り様の由来となって現れることとなる。

その姿勢と慣習はまさに原ツラン人たちが黒魔術を駆使して、アトランティスの母なる大地からの恩寵に反した生命の秘儀を不敬に自己利益のための略奪に用いたその贖罪が八〇万年前の氷河となって地球を覆い始めることとなったのだ。

ツラン種族の意志は人類のアストラル組織に腐朽実質が混ざっていた。

そして、その種族の魂の色を強く付着させたモンゴル種族はその淘汰への免疫として生命に反発するかのような思考力と共に念動力を継承することをその魂の回路である神経と血は再び地球の生命から逸脱する運命を宿命として宿した遺恨だったのだ。


早い話が彼らモンゴル種族に与えられていた念動力とは内気功である。


自らの生命力を魂の力で無理矢理引き出すことのできる気功の一種だ。

その力はある意味人間という自然体に与えられた生命力を源としているのではあるが、彼らが夢見て憧れた自然環境を自在に操作し、自らの肉体をも自然環境の力で強化するなどの無尽蔵の魔法力とは全くの別物であることを彼らはよく知っていた。

かつてのアトランティス人たちが駆使していた生命力とは外気功の類だ。

外気功とは、自分自身の力ではなく、自分自身を生かすことで通っている外なる力である精霊と会話をし、その力を借りることで自らの肉体の生存とその記憶の再生を自然の生態系の助けとして扱う、無死無欲によってのみ許された生命の力によってアトランティスの時空の天地創造のために許された権能だった。

もちろん、その提供は機を見て地球紀の人類が神へと至るための配慮でもあった。


その進化の管理を何千万年にも渡って見守っていたのが皇帝マヌなのだ。

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