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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第五章 オリジン オブ シビリゼイションのために
61/64

オリジン オブ シビリゼイション#13 アカシックレコード:地球紀アトランティス人編(地上に撒かれた思考の種と厄災)

#61


第5亜人種であるセム族の役目は“思考の種”を撒くことだった。

その成果は八〇万年から約二〇万年前までの六〇万年をかけて果たされる。

アトランティス時空の大多数であったアトランティス帝国の人間たちは突然変異種であるセム種族の持つ絶対記憶を思考することのできる決して洗脳されることのない権能によって覆される、というより置き去りにされたとした方が正しい。

置き去りにされた、とは私たちの胎内状態を想像するとわかりやすい。

私たち人間が母親の胎内いるときの変遷は、それはあたかも魚から陸へと上がった爬虫類を経て哺乳類となってきたかのような動物的な進化の縮図を通過して人間へと到達してきたかのような見解がある。

そのことは東大の発生学者三木成夫氏の『胎児の世界』に詳しい。

しかし、私たち人間はかつて一度たりとも“地球で”動物だったことはないのだ。

私たち人間は地球創生紀以前より地球座標上のエーテル生命体としてその魂を人間になるべくしてあらかじめ用意し、今もなお人間自我の寵愛を受けた動物以上の高次元の存在であり続けている。

ではなぜ、胎内時の人間が動物を経てきたとしか思えないような実態を有して存在しているのか、それはかつての地球以前の宇宙である月紀において動物的な要素の多くの部分を克服してきた前次元のトンネルの中で地球での前次元的な人間の在り方(成れの果て=環境)を事前に確認していることの反映なのである。


俗に言う、生前に死ぬまでの全てに了承している最中の一〇ヶ月(実際は霊魂だから違う)のことだ。


私たちは月紀の動物人間だった頃の動的活動のための魂を卒業し、魂の世界を超越したことの過程のために一〇ヶ月もの長きにわたって母親の胎内にて自我人間としての一生に魂を捧げる準備をして、地球に生まれ落ちてくるのだ。

逆に言うと、動物たちの早い出産の意味とは人間のように一人では生きられない弱く儚い存在として生まれ変わることの遠回りに耐えきれず、自然と親和した圧倒的に突出した力の一点に完結した動物的衝動への欲望から一〇ヶ月未満の早期の転生に(はや)った月紀に支配的だった動物人間たちの末路が地球の野生動物たちなのである。


私たちは自分たちの過去を置き去りにした経験を元に成長を積み上げている。


時間的に過ぎ去った過去や個の経験の範疇だけではなく、人間の肉体を構造化してきた宇宙的プロセスの在り方の基盤そのものの多くが地球での人間自我の生存と進化のために犠牲的とまで言える、次元を超越した階層が地球化していることの事実を認識していることを知れば、この地球に存在している生命と環境をより深い畏敬の念と尊さで敬うことが可能になる。

なぜなら、私たちの身体もまた私たち自身が過去の遺恨としての人間的な形態をこの地球に置き去りにしてきたものの集合体だからである。


例えば、鉱物あるいは鉱石及び化石燃料等の元は植物だったものである。


人間の肉体は鉱物である。

肉体そのものは全て物質であり生きてさえいない。

しかし、私たちが人間の肉体を以って生きていると主張することができるのは、元気や病気の由来となっている「気」に類する生命体が生物の体の活動を可能にしているからなのはもう周知のことだろう。

ここで確認しておきたいのは肉体があって生命があるのではないということだ。

生命があるから肉体は生命活動をすることができるという、この紙一重の序列は私たち人間の思考する魂の分水嶺となることから重要な視座となる。

そのことから、地球は鉱物的な無機物をベースに天体状態を形態化させている、という見立ては大きな間違いであると見霊者は言えなければならない。

私たちが物質であると認識している全てのものの起源はエーテルという生命体の根源から生命ではないものへと降下し、硬化したものであることは対象を認識する上で大切な前提となる。


このことは誕生から死までの成長と老化のプロセスをありのまま見ればいい。


硬いものは柔らかいものを起源としているのである。

私たち生物の軟骨は硬い骨から生成されたのではなく、まず柔らかな軟骨が始まりにあって、それが着々と硬質化していくことで硬い骨格へと組織化されていったことを様々な生命の歴史と照らし合わせると一目瞭然であるはずだ。

赤ちゃんはほとんど水だし、老人はほとんどカラカラなのはそういうことだ。

生命力による生命体のあり方が私たちの生存状態を決めている。

一般には生物ではない単なる物質(遺伝情報を介する元素)から生命(アミノ酸)が生まれたとされているが、違う。

実際には生命のないものが生物(生命体)から生じてきたのである。

現代のテクノロジーによる人工物が良い例だ。

また、現代科学が生命や自然環境の一部を創造することができないのも同じだ。

ただ生命の定義を拡張することができれば機械も家具も建物も分子構造を持っていることから、全て自然素材が化学的に姿を変えたことで人間の生活の一部になっている、と考えることができればそれはもうすでにモノではなく生命活動の土台となっている環境だということができる。

例えば、絵画を色で染める時にただ単に塗るのと、その風景をイメージした塗り方と描き方をするのとでは、その筆を単なる物質として扱っているのかと精神の通った自分のモノとして使役しているのかの、環境への働きかけという意味づけを行っている魂の精神性に大きな違いとしてその瞬間の意義が肉体を通して刻印されていくこととなる。

その精神性についてをもっと大きく、最もマクロな結論を示すとするならば、私たち見上げている夜空の宇宙空間とはある生命体の頭の中であり、地球は宇宙という誰かの頭の中を消化するための種子を腹の中で育てている、などともすることができる。

実際、私たちの目に見えている視神経による風景は原子構造ではあるが、電子そのものを見ることはできないように、原子もまた私たちの目では見ることができない。

あるのは原子構造のような働きをしている構造だけで、その構造は原子構造をフィルム触媒にした投影という幻想である生命霊たちが作り出している元素霊の影に過ぎない。

私たち人間の魂は生命が与えてくれているもの影をリアルだと信じて、集合的な共通認識ができる類の世界に自分をその環境の全て存在させていることで毎朝の現実を展開しているだけなのだが、自分の意識が影によるものであることに気づいていない多くの人間の魂は自分を世界の一部に過ぎないと矮小化している。


要は目に見えるモノ全ては生命由来であるということを知らないということだ。


だから石灰質の殻や石炭などは生物が分泌・凝固したものなのも規定の通りだ。

海岸の砂浜や土や石ころで埋め尽くされている地面の全ては化石化した植物だったものがエーテルの形態性質を退化させた存在たちが地球紀にて地球の地盤の役割を果たしている。

水晶や宝石とされる高圧力で生成される鉱石も同じだ。

ルビーやサファイヤ、エメラルド等はそれぞれ黄道一二星座を銀河の力を背後にしたエーテル体が地球のマグマと融合的に結晶化することで地球という天体の地盤に植物が生命することのできる“元植物の意志”として存在している。

化石化した生物の骨等の痕跡も元は植物だったエーテル存在が現状から進化することを選ばなかった形態状態の集合体として一つの天体となって地球の生命の礎となっていることの記憶的な反映で、植物が共有しているエーテル組織である液体とは記憶体のことである。


つまり、地球は植物という生命が硬質化したエーテルが天体をしている姿なのだ。


腐敗し死滅するものが生けるものから分離したことで地球に帰っていく。

だから、石も大地の生きた有機物が硬化したものなのである。

そのことから硬質化した地球基盤の由来と本質は新たな植物が成長するための下地でもあり、その植物を一方的に食す動物たちのためのエネルギーともなり、その動物たちを食べる人間はこの地球の食物連鎖の頂点に君臨している生命体であるとすることができるわけだが、この摂理を元にすると今日の人間が進化の歩みに取り残されるものを自らの内にまだ持っていることがわかるだろう。

肉体構造は鉱物とその性質と要素を共有し、成長構造は植物のエーテル作用を共有し、欲望による衝動は動物たちの持つ魂的作用であり、「私」という主体は魂を肉体とする人格の神霊と共有されている神的要素なのである。


これら複合的要素の全てが「克服」のための二文字のために人間が在るのだ。


生物は下等な種から高等な種へと進化してきた、とダーウィンは言った。

これもまた逆なのである。

もしも、兄弟でも、友人でも、メディアの人間がいたとしよう。

どの世界にも優れた人間と鈍く劣った人間との格差が存在している。

高等な人間の兄と下等な人間の弟がいたとして、上質な兄が下劣な弟の血を引く子孫であると言っているの同じ延長線上の論理を述べているのがダーウィンの進化論なのである。

私たち地球紀の人間が目にしている存在の全ては祖先の高等な種が下等な種へと堕ちてきた退化の結晶体として現れたものなのだ。

最もわかりやすい例えが人間は猿から進化したのかの仮説と反証への答えである。

人間は猿から進化したのではなく、猿から退化した、が正解なのである。

猿は元々地球紀以前の月紀に人間の魂を与えられていた優れた動物人間だった。

月紀の動物人間はその優れた魂の権能への固執から、新たな進化のための変化を拒んだことにより、地球紀の新たな領界である自我人間への歩みを視野に入れることなく進んできた存在なのです。

そのことの類が進化の過程で“置き去り”にしてきたことの意味だ。

かつて人間であったことの断片が私たちの足元に存在しているのである。

そして、そのことは決して私たち人間を傲慢にするための事実的要素ではない。

その意味をキリストはヨハネの福音書十三章にてこのように述べている。


「主であり、師である私があなた方の足を洗ったのだから、

 あなた方も互いに足を洗い合わなければならない」


この聖句は動物が人間と共通の祖先を持ちながら退化してしまったことでその関係が完結しているのではなく、現在の地球で人間が人間であることは彼ら動物以下の人間よりも劣る存在たちが、環境の不可欠な要素としての役割を果たしてくれているおかげであることへの謙虚さを示す象徴を述べているのだ。

人間と動物は共通の起源をもっている。

動物は人間との共通の先祖から退化したものであり、一方人間はその先祖から出発して今において高等な進化の度合いを示しているに過ぎない。

宇宙の進化が中途であるように、人間の天地創造もまた未だ途上なのである。


だから、私たちは自分の足元を歩く存在たちの足を洗わなければならないのだ。


したがって真に人間存在の基礎の知る者は知に至っていない人間にして人間ではない者に対して深い謙虚さを示すことを決して忘れない。

ただ事実としてある種の人間たちが別の人間たちの上昇のために、下降しなければならないのは深刻な悲劇であると言わざるを得ない。

人間と動物の進化の歩みにおいて、下等なものは高等なものに由来している。

小さなものから大きなものへと成っていったのではなく、大きなものから小さなものへ、多くのものから少しのモノへの流れの中に自然の摂理を見出すことのできた魂のみが、次の次元への道標でもある高度に前進した人間的知覚の恩恵の下での活動が可能となる。


アトランティス時空では第五亜人種のセム種族だけがその恩恵と恩寵に値した。


アトランティス時空の人々の進化は大きく三つに分類することができる。

⒈秘儀参入者:神的叡智を教示し、神的行為を遂行する、神霊と会話ができる

⒉大多数の民衆:思考力が乏しく、自然の生命力を操れる、絶対記憶の持ち主

⒊進化した人々:自然制御と生命力による絶対記憶を放棄した思考する少種族


原セム人たちは進化した人々に相当したことから現代の人間の意識モデルとなる。

アトランティスの第二の黄色人種である彼らの白い肉体にフィットした思考体が既存の種族とは異なる生存戦略を示したことの意識が少しずつ時空の認識を書き換えていく。

一方で、それ以前の種族は大多数の民衆として進化に取り残されることで滅びる。

秘儀参入者たちは太陽系の様々な惑星を由来とした人間を超越した魂であったことから、時空転移の影響とはそもそも無関係であったことからその存在が死や滅亡という因果からは無縁であったが、各種族を引率した成果とその責任をカルマとして地上への顕現の権を譲渡獲得の手続きを行うことでアトランティスの時空は大規模な氷河期を迎えることとなる。


約二〇万年前のことだ。


地球に転生していた秘儀参入者たちがアトランティス時空の人間たちに提供してきた権能の多くが、今後の宇宙進化に関与することがないことの決定を受けると、彼らはポセイドン島を去っていった。

そのことからそれまで優れた権勢によって提供されてきた超越的な文明の支配者たちは秘儀参入者たちによる秩序から離れることによって、彼らに与えられてきた力の扱い方を誤るようになる。

絶対記憶によって人形のように管理されてきた一般のアトランティス人たちがその秩序から離れることの意味は、それまで当たり前に従ってきた自動記憶による導きを失い、自分という概念による衝動が彼らの行動の原理となっていった。

その変化が思考の種の芽吹きだった。


それは同時に皇帝マヌの求めていた人類救済のためのトリガーでもあった。


皇帝マヌはノアの一族をはじめとした原セム人たちを地球地下の亜空間へと逃すための誘導を行ったのちに、ポセイドン島に残った秘儀参入者たちによる気象変動のための儀式を行った。

その儀式はもともと定期的に訪れてくる氷河期を中和するために施されていた。

また気象とは地球の磁場を通じた精霊たちによる感応作用の結果にあたる。

私たちが磁場と呼んでいるものは地球上では雲であり、風雨であり、雷鳴といった自然現象に変換された太陽からの波に乗って現れた自我からの光なのである。

その光に生命からの記憶を動かすための熱が時間として認識されるための動きと力が込められることで、私たちのよく知る太陽がアトランティスの空に浮かぶようになる。


天体としての太陽である。


それまでの空は青でも黒でもなく、太陽の光を反射することで黄色い光を夜空を衛星としての月あかりのような色をした黄色にオレンジがかったかのような空がアトランティス人たちの生命力となってそれぞれの記憶を再生させていた。

その再生の記憶は北欧神話のニブルヘイムの『霧の国』の伝説に等しい。

神樹ユグドラシルの下で生きるロキにアトラスやオーディーン、ユミルといった多くの巨人が活躍する北欧神話の伝説的な逸話や説話は全てアトランティス大陸の人間たちがまだ自我に目覚めておらず、秘儀参入者という神々の使いが創り出す生命の色をした空の下の操り人形として生命活動をしていた頃の物語だ。

海人族やルモアハルス種族以前の神々が地上を創成していたのだ。

神々の天地創造が人間以外の過去に人間だった存在たちによって地上が扱われていた時代である約六五〇〇万年以上も前の世界をアトランティスの時空に生きた各種族たちは引き継いだ。


そして、その長い生命の空を塗り替えるに至ったのが偽りの太陽である。


偽りの太陽とは現在の私たちの視神経が反射させている魂の光のことだ。

私たちが太陽として宇宙に浮かんでいると信じている光の光源はアトランティス時空の後期に差し掛かる約20万年前に確認されるようになる。

その光は生物が放つオーラをかき消し、対象の快不快の色彩を挙動の内側に閉じ込め、自分の肉体を通して以外では世界を満たしている生命力を感じることのできない知覚を思考とする意識が適者生存体系として時空に選ばれていく。

この段階で選ばれなかったのはツラン人を始めとする絶対記憶によるコントロールから外れた動物のように自分の感情を満たすためだけに生命力を濫用する種族たちだった。

彼らは共感と反感を倫理とすることで、不快な存在を感じるままに攻撃するような原始的な衝動の赴くままに、自然環境を使った争いを繰り返す魂を隠そうともしない種族へと堕落していった。

それでも高度なテクノロジーの恩恵を受けていた記憶による知性がその衝動に用いられることでその攻撃力は超科学的な兵器にも相当する威力と脅威をそれぞれの個体が有していた。

彼らは空間の持つ生命力に悪しき欲望で働きかけることによって破壊的な意志をその時代の時空に拡散し続ける。

その意志は天候を揺るがし、空気を切り裂き、水を毒に変えるなどの多岐にわたって世界を破滅しかねない生命力の濫用を箍の外れた機械のように暴走をセム族をはじめとした神々の恩寵を享受する存在に向けて放射し続けた。

その中でも最も脅威となったのが植物を枯らす毒性だけでなく、その土壌である土をも殺す死の灰をアトランティスのあらゆる大陸で撒き散らすことを行なったのが、彼らの存続の是非の決定だとなった。

彼らは星の力に基づいて植物の灰を火山に蒔き、その死の記憶を含有したエーテル物質を噴火と共に全時空に拡散する儀式を数年間に渡って祈祷することで、世界の破滅を願う意志を明らかにし続けた。

いわゆる、アトランティス前期から覇権であり続けた彼らの魂はある意味で月の人間の魂の地球での適応を目指した試作段階だったのだが、セム種族の出現によって彼らの試作的な魂に適合した人種体は月の神々の守護する霊的な加護から外れてしまった人間存在として数えられることとなる。


彼らはそのことへの報復であり反逆でありを生存本能に替えて抗った。


その因果として現象化された厄災が大規模な氷河期だった。

それまでの氷河期は秘儀参入者たちの匙加減で調整されていたのだが、この二〇万年前に起こった大規模な氷河期はいわゆるスノーボールアースとして知られる、地球全体が凍結するに及んだ低温と吹雪にアトランティスの時空は一時的に閉ざされる。

その規模は6億年前の先カンブリア時代以来のスケールだった。

先カンブリア時代とはレムリア時空の初期のまだ海もなく液体状の地球にようやく固い地盤が形成され始めていた原初の時代であり、無脊椎動物がほとんどで植物や動物はまだエーテル状の領域で転生すらしていない人間の霊魂だけが地球で働いていた頃のことだ。

実際、レムリア以前のヒュペルボレイオス紀の人類の魂はあまりに荒廃し過ぎた地球環境に滅亡しかけたことからレムリア時空より以前に他惑星への転生のきっかけを与える程度に魂としての活動が難しかった時代があった。


それ以来の困難な厄災がアトランティスの中後期の境にあった。


その寒冷化が地球の水の性質を重くし、凝縮化させることで現在の海をはじめとした大気を形成するための礎となるべく、アトランティスの世界は氷の世界として一時的に閉ざされる。

そして、その地球凍結化の所業は時空の支配者による意志によるもので、一度地球の生命力を眠らせないことには神々の思考の根を育む土壌にはなり得ないことからの配慮にあたり、その配慮の中にはアトランティスの古い人種の淘汰をも兼ねられていた。

また、この配慮的な凍結処置は冬の植物の仕様と同じである。

太陽の日差しが弱くなる冬に草木は枯れるも、その根と種子は生命力に満ちた土壌の下で春と夏に芽吹くための英気を地球外の惑星と黄道十二星座である宇宙全体から濃縮された花までの果実となるエーテル組織を得ている、そして芽吹く、というのが土の中で眠っている植物の在り方なのだ。

しいては植物が土の中で全宇宙から獲得している生命力が地球の活力に成り代わっているまであるのだ。

原セム人たちの特能となっていた思考する力とはこの生命力のことだった。

この生命力とは自然宇宙を創造した神々の思考と通じた力のことだ。

いかにして宇宙を見て知って感じて生きたかの認識がその生命の力である記憶に刻印された思考の投影の分析に応じて再生されていくこととなる。


その思考の種に芽吹いた霊魂の重さが最期の審判の原則となっていく。

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