オリジン オブ シビリゼイション#7 アカシックレコード:地球紀アトランティス人編(アトランティスの帝国に干渉していた現代人の魂)
#55
約100万年前の大西洋上のアトランティス大陸には帝国国家が存在していた。
それ以前には少数の独立した小国家ができ始めていた各種族間で絶え間なく争い、その争いは彼らの生存本能である水と空気を操る生命力を解放した闘いであり、剣と魔法によるファンタジックにして壮絶な戦争が祖先から受け継ぐ絶対記憶にそぐわない種族と他民族同士で行われ続けた。
アトランティス人たちのその発想とアイディアは私たち現代人の異世界ファンタジー物語が由来となっているのと同時に、私たちの現実世界の創作物として普及している漫画、アニメ、ゲーム、ライトノベルに見られるフィクションは全てアトランティス時空を経験した魂の図書館を引き出しにしている。
或いはその魂の図書館を知る霊の憑依を自分の認識に投影させたものだ。
娯楽だけでなく、各時代における全ての文化的な創造とは、何万年も眠っていたアトランティスの絶対記憶が裏返ったものであり、そのアトランティス時空で太古の現実は私たち現代人の逸脱した魂の循環によるものであることの事実を知ることで腑に落ちる認識もあるかもしれない。
とりわけ熾烈を極めた事実が当時の各大陸に君臨した巨人たちとの闘争だった。
彼らはレムリア時代に人間性を捨てた存在たちの末裔である。
レムリア時空からアトランティス時空にまで巨人として生き残り続けてきた彼らは人間であった頃のことを忘れ、原初の火の力を取り上げられた一方で巨躯を生かした膂力に加えて、地球の生命体である土から創られた根源たるアダムの力に通じていたことから大地を操作する念動力を意志とした闘争本能を有していた。
それに対してアトランティス周辺の大陸にまで侵略の野心を誇りとしていたトラヴァトリ人たちは生命力をある程度コントロールすることができるとはいえ、ルモアハルス人たちのような言霊で物を操作したり、植物の成長を促したり、空気の精霊を使役して風を起こして移動するなどの強力な魔力への意志は失われていた。
その代わり、彼らはある叡智を司る偉大な存在に従っていた。
その偉大なる存在はどのアトランティス人よりも深い記憶を持ち、神にも等しい意志と概念に精通していて、その記憶は明らかに人間を超越した高級な存在による導きを指示の下働くことによって、失われた超能力を誰でも扱うことのできるドラえもんのポケットから出てくるような魔法のアイテムをデバイスとして生活に役立たせると同時に、戦争の兵器として利用していた。
水をレーザーのように圧縮する銃や空気の振動で物質を破壊する音波兵器、そして海をも超える低空飛行可能なドライブデバイス等を野心的なトラヴァトリ人たちは自らと自民族の英雄伝説の記憶を紡いでいくために、アトランティス大陸周辺の大陸にまで足を伸ばしていった。
トラヴァトリ人たちは自らの幻想を実現する兵器を片手に巨人たちの本能的な魔術的な意志を淘汰しつつ、南米大陸の南端までその植民の領域を広げていくだけでこと足らず、大西洋の東側であるアフリカ大陸の先住民である黒の部族をも淘汰していった。
巨人の痕跡は現代の世界各地に存在し、その多くは現時空の巨人伝承である。
その伝承と痕跡は全て神話にも出てくる巨人タイタンの由来でもある人間と交わった堕天使ネフェリムのそれそのもののがアトランティスの時空で人間の文明と交戦していた時代の名残りが伝わったものだ。
また中世の伝説の中で語られる南米南端のパタゴニアの巨人パタゴンの言及は当時のヨーロッパ人よりも大きいという程度で巨人の類ではなかったとされているが、彼らの身長が2メーター半を超えていたことは事実で、その事実は当時のアトランティスの巨人の魂が霊化してゾウやキリンではなく人間となることのできた末裔なのである。
それと中米コスタリカに点在している球形巨石はかつての巨人が自らの意志で敵を貫き、破壊する目的を持って照射した弾丸の痕跡で、大地と共鳴した巨人が実際には存在しない真球をデザインしようとした意志の力の作用反作用の結果生じた副産物であり、巨人たちはアトランティス人との闘争の過程で無限の圧力を地球の生命力から引き出すことで対抗していた、という話だ。
それでも優れたデバイスを有したアトランティス人たちは巨人を圧倒した。
その優れたテクノロジーで勝ち取った記憶がアトランティスの各人間種族の共通の思い出となるようにリードしていたのが現代では秘儀参入者と呼ばれている太陽系の惑星神託者たちだった。
彼らは皆太陽へと到達することのできなかった神々の使いとして地上にいた。
いわゆる太陽からの堕落者である。
だがしかし、概念として神々に抗うことを誓った代償に彼らは永遠の魂を約束され、神界の下層であるアストラル界と地上の概念とを自在に行き来する神人の一種として太陽からの逸脱者としての惑星神託者たちは崇められた。
そして、太陽系の惑星神託者である神々の使いとは私たち現代人のことでもある。
厳密には、現代以降の文明コミュニティーの中で化学や物理学の数的な機械テクノロジーに精通した人間の死後最初に訪れるエーテル体が、肉体から剥がれる過程で経験することとなる最期の走馬灯の中で、私たちの魂は時空間のルールを無視した活動を行うことができる。
いわゆる、死の直後には自分が死んだことを知るための記憶に触れる魂の猶予であるモラトリアムが存在し、その経過を瞬間移動やテレパシーを駆使して自分以外の誰かに憑依できたりするアストラル存在としての活動が可能となる。
これは誰にでも起こる。
特別なことではない。
私たちが夜眠るごとに見る夢の有る無しと同じくらいありふれてはいるが、その現象がどの記憶に転移するのかは、その人間の魂が想起する気がかりや性格や思い残しによって、千差万別にエーテル界を彷徨うアストラル存在として死の門を潜る準備をしている。
その準備の過程で私たち自由霊は魂に回帰するに値するあらゆる誘惑に遭う。
どの神との一体化を望むかの自由が私たちの地上での精神性に応じて、魂には最後の審判を前にして自由霊の権能を駆使することで自らの神性を明かすこととなる。
その際にまだ霊化の整っていない魂は神ではなく、あらゆる時空間の自我の弱い疲弊した魂に干渉し、その死に際の魂との条件等が噛み合えば地上の人間の魂に憑依するだけでなく、そのまま生まれ変わることも場合によっては可能であることの意味がタイムリープというパラレルワールドのことなのである。
個別な魂が存在するという幻想がパラレルワールドを想起させるのだ。
魂を個別化させているのは肉体であり、肉体を創造しているのは霊であることから、魂そのものは一つの宇宙理念が様々な多様化した姿を動かす諸力を形態に示している膨大なエネルギーとして観測されているユニバースという記憶のことだ。
この幻想的な記憶そのものであるユニバースが私たちの魂を霊化させないための悪神たちの誘惑の叡智である。
宇宙は個の数だけ無限に存在しているかもしれない予感を余儀なくさせる様々な仮説の多くへと導く知性のことを誘惑の叡智と言っている。
確かに個の宇宙は誘惑の叡智の知性として物質の記憶に刻印されている。
その創造力を扱っている悪神は魂の働きを通じて私たちの主体である霊人としての個を魂の世界こそが自分たちの居場所であると勘違いさせるための誘惑が天地創造のはるか以前からずっと仕掛けられている永遠のサーガなのだ。
その魂が癒着している生命体が身体から離れる死という肉体の霊化が全ての終わりではないことを明かす霊界へのプロセスに対する悪あがきが走馬灯の中で先行するのだ。
なぜなら、肉体が生命体を維持できなくなった際に見る走馬灯は魂が肉体に見る最期の夢だからだ。
ゆえに、魂と生命体を癒着させている悪神は人間の感情体である魂こそが自分の霊的自我の主体だという勘違いを継続させる意志の合意を“生きた概念”とする。
その合意を得ることのできる死の門の過程にて、死の幻想を回避させる逸脱的な誘惑を膨大な宇宙の記憶を持ってして今際の際においても施し続けているのである。
例えば、その誘惑の叡智は普段の私たちの眠りの前の暗示でも働く。
眠る前に何日も何日もその日一日に何があったのかを時間を遡行しながら振り返ることを繰り返して、繰り返して、繰り返して、やがてその振り返った日々を月々に、そして年々にまで遡るための記憶の扉を開くことができたならば、私たちは自分の人生をやり直すことのできる世界で目覚めることができる。
私たちはもう一度若かった人生の分岐点に立つ所からやり直しの現実を体験できるのだ。
それも何度でも・・・
ただし、何度も新しい人生を同じ現実で繰り返すこととなる。
ゆえに、その都合の良い人生への永遠の意志は現実のように見える夢に近い現実だから醒めない悪夢とも終わらない現実にもなりうる、ある種の永遠の命をループする魂の世界を彷徨わなければならない扉の中に入ってしまったことを意味している。
なぜなら、その扉の先にある夢とは魂が生命体から夜毎遊離したり、朝が来るたび融合したりした際に垣間見ることのできている世界観のことを私たちは眠りの中でぼんやりと抱いていたイメージのことを“夢”と呼ぶ代物だからである。
それらは現実のような夢であり、現実のような夢としてアトランティスで拡散された叡智は現代人から未来にかけての人間の魂の死後働きかける誘惑の叡智に染まったアーリマンの神託への信仰の過去への遡行によって、現実化したある種のファンタジーが実現した地球への想いが約100万年前から80万年前の地球の主役であるアトランティス人の魂に神々の使いとして定着したのである。
それが太陽系の惑星神託者として信仰されたアトランティスの秘儀参入者である。
彼らはいわば神である霊そのものになるのを拒んだ人間の魂のことなのである。
その誘導を指揮しているのが悪神となった私たち現代人の魂にあたる。
例えばルシファーはレムリアの時代から半超越者として魂的人間の脳神経に受肉し、直立歩行や生殖活動と共に魂が生命状態を思考する神経をアダムとして始まった人間の血液を導く司祭となって、天地創造の間もない荒廃し切った地上の人間を救済すべく一部の人間に現代にも劣らない叡智を投げかけて、文明的な建築のための使役したことがあった。
レムリアの人間は魂の世界の中で微睡みながら人間的な活動を認識していたことから、地上での活動の意志の発現は現代の動物たち同様に自分で見ているというより、対象への働きかけに反応しているだけに過ぎずその対処方法及び振る舞いは魂の世界で予め与えられていた原初の火による表現が些か地上環境を変えてしまうほどに過激だった・・・
それだけレムリアの人間の魂は地球と結びつきが強かったということだ。
ゆえに、レムリアの時空を超越し、霊化したアダム的なレムリア人たちの魂は新たな地球の地層となることでアトランティス人たちの生態系のデザイナーとなり、その体内を地球として選んだアトランティスの人種を生かす世界そのものへとなっていく。
そんな無垢にも等しかった地上に存在していたレムリアの人間たちは、晩年において微かに記憶の萌芽を垣間見るも、地上の対象に自分という自我を見立てて区別し、自ら考えるための思考的知性はまだほとんど発達していなかったのだ。
それはアトランティスのトラヴァトリ種族においてもそれほど変わらなかった。
彼らの傍にはアーリマンを信仰する多くの秘儀参入者たちがいた。
トラヴァトリ人たちの名誉欲という野心はアーリマンの干渉による外部的な思考の働きかけにただ従ったことによって行われていた、ということだ。
彼らは自分よりも遥かに優れた深い記憶の持ち主を崇拝する信仰を自分だと信じざるを得ない絶対的な記憶を共有するコミュニティーでの関係性が彼らの人生の指針そのものだった。
だから、絶対的な記憶の奥底から込み上げてくるアーリマンの野心は絶対的な正義であり、その正義に地上を制圧する力が伴っているのだからその意志の働きかけに抗う術をトラヴァトリ人たちは持たなかった。
火の力を取り上げられてから久しいアトランティスの人間の魂には絶対記憶の特能が備わっていて、その祖先崇拝への意志とその祖先から継承される叡智の力は地球の生命力に関与していたものだった。
その地球の生命力には月紀の人間がアーリマンに干渉された名残が消えない記憶として刻印されているのをルシファーは人間の魂を解き放つのに利用し、レムリアの晩年にその記憶の一端を人間に提供することで文明的叡智の神であるアーリマンが干渉できる可能性をつないでいたのだ。
その文明的叡智の物質化に寄与する青写真にアーリマンは関与していた。
アーリマンの関与とは記憶にまつわる魂の寄生している生命体への干渉のことだ。
アーリマンとは魂が依代にしている生命体にまで干渉することで、人間の魂が神経を通じて知覚している血液と細胞の記憶を霊的な諸力ではなく、外的な物質だけを知覚する器官へと作り替えた悪魔の神の一柱にあたり、地上の幾何学化を目的とした悪神である。
実際、すでに私たちの想起する地球と宇宙が絶対的な幾何学として私たちの認識には記憶のイメージとして焼き付いているのはこのアーリマンの干渉によるものだ。
人間の記憶を改竄した諸悪の根源とも言えるこの悪神アーリマンは幾何学の世界の住人であり、その幾何学の叡智を人間の生命体にルシファーの魂を通じて侵食させていくことで、人間は言語を扱うようになり、やがて数学を見出すようになったのは幾何学生命体が私たちの魂の思考となって日々の打算へと由来している。
そして、その幾何学からの緻密な打算で星空に星座を描くようになったことから農業が発展し、それによって安定した生活から様々な絵画や叙事詩といった芸術感覚を営むようになり、その芸術的で学問的な叡智によって建築、都市構造の文明に時代に応じた形を成すようになる。
アーリマンの意志である“生きた概念”に時空間の影響は関係がないのだ。
あるとしたら自由霊である人間の自由意志の魂がどの時代の遺伝を辿っているのかの系譜に応じた、神霊の“生きた意志”による生命力の度合いと悪神の“生きた概念”である、魂から生命力への干渉密度の関係性のカルマのどの部分を人間霊自身が自分自身で刈り取る必要性を感じているかの文化的な違いがあるだけで、“生きた概念”の受肉とその影響にとって時系列はあまり意味がない。
なぜなら、その因果は人間にとっての動きの根源である魂が初めて出現した月紀の宇宙を元にした地球紀の始まりから、アーリマンの意志である“生きた概念”は単一の理念界として地球の核周辺の磁場となって、火の霧であった大気中の認識器官であった血液を人体内で渦巻く人間組織の一部へと作り替える等のことがレムリアの月分離以前から働きかけ続けていた。
現代よりも前だとか、有史以前だとかの時間的な前後があるとしたら、それはアーリマンの意志である“生きた概念”が細胞や原子や地層という物質の持つ序列を順番に見るように知覚させられている魂が認識してきた歴史的結晶の序列だ。
そして、魂の認識とは肉体に受肉した物質体が知覚させる人間の立場から感じた時の序列であって、その序列を構築している存在である“生きた概念”にとっては一つの空間に過ぎないことから、提供していると同時に予め存在し続けている概念に前も後ろもない。
少なくとも“生きた概念”に受動的な立場の人間の認識では根源の序列を見ることができない。
ただその受け入れ側に存在している“生きた意志”との関係性が、その時空及び時代ごとの人間の認識としてそれぞれの文明であり文化として想起されるように、私たちは魂の声であるその知覚に耳を傾けるべくこの世界に出現しているのだ。
その出現の認識のことをアトランティス文明の人種とも現代での運命とも言う。
それぞれの運命はいづれもアーリマンの意志が提供する絶対記憶によるものだ。
アトランティスでの絶対記憶は先祖由来の古い思い出の共有を疑わせなかった。
彼らは自分のことを先祖の生まれ変わりであることを疑わなかったことから、その記憶が語りかけてくる要請に従うままに名誉ある生活を求め続けた。
現代での絶対記憶は科学由来の明晰な常識による対象宇宙の檻を疑わせていない。
私たちは地球という檻の中で築く、人間国家の各文明の民族的精神に則っているその総合的な記憶が、自分の中の脳や細胞との結びつきの中に存在していると信じている。
その肉体的で物質的な現次元の信念と観念の知性とはアトランティス時空の秘儀参入者であるアーリマンの意志が提供した絶対記憶が姿を変えたものなのだ。
その姿を変えた絶対記憶の知性ことを私たちは空間と呼んでいるが、実際は私たちの認識として広がっている物質空間はある時代を生きていた、あるアトランティス種族の身体の中の出来事なのだ。
そのあるアトランティス種族とはトラテケン人、或いはトルテク人のことである。
彼らはトラヴァトリ人たちの秘儀参入者として現れた新しい種族だった。
太陽系の惑星神託者としての記憶を有して出現したトラテケン人はその神々しいまでの深い記憶でトラヴァトリ人の共同社会を支配し、その教育においてわかりやすいイメージを用いて統治層に向けてその欲求を満たす人生の指針を明示することが図られた。
それが人間の失われた超能力を補う自然の生命力を動力とする文明デバイスだ。
それらで巨人たちを滅ぼし、その達成によって万雷の喝采を得るという名誉はトラヴァトリ人たちにとって変え難い記憶となり、その機会を提供しトラテケン種族の深い叡智は神懸かった教育力を発揮し続けた。
その並外れた教育による指導力を背景にバラバラだった集団は次々と統合され、その過程で好ましくなかった事柄の数々はそのたび改善するサポートが施され、生活水準とその状況はどんどん良くなっていく地上の楽園が各集団集落のモデルとして模倣されていく。
このアトランティス第三亜人類種であるトラテケン人の指導によって人類は初めて国家と呼びうるような共同社会を形成することで魂の力を少しずつだが個人的なものとしていくこととなる。
その進捗がやがて地球全土をも支配する帝国の首都となっていった。




