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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第五章 オリジン オブ シビリゼイションのために
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オリジン オブ シビリゼイション#6 アカシックレコード:地球紀アトランティス人編(月の概念が太陽からの思考を宇宙にしたアトランティス人たちの記憶崇拝)

#54


あの太陽が創り物であることの意味を人々は考えなくなった。

アーリマンの神託を信仰したトラヴァトリ人たちは物質の背後にある霊の世界は月の反射による濃密な領域に覆われることによって、その魂は物質の闇に浸透されることで煙のように濁り、虚偽と幻想の反射を現実の全てであると霊の世界は隠されていった。

その煙のヴェールは月の反射が地球の月軌道内に作用してのことだ。

私たちはその煙のことを大気圏と呼んでいる。

大気圏の反射は空を青にし、隕石を焼き尽くし、地球空間を補完してくれている、というのは人間的認識によるものに過ぎない。

私たちが大気圏と呼んでいる大空は太陽の齎す生命と叡智の天蓋である。

太陽の諸力が満ちた生命圏が白い光の引力となって地上に降り注ぎ、月の叡智が黒い無限の夜の拡散を私たちの認識に反射させているのだ。

この地球軌道内の月の反射とは夜空に浮かぶ衛星としての月と地球の前世として霊化された月の名残とが作用反作用の関係を形成したことによる影響のことを反射と呼んでいる。

私たちはこの光の反射をはじめとした反発のことを知覚と呼んでいる。

またその知覚のベースとなっているのが重力でありエネルギーとし、その反射に吸い寄せられるように集まっている魂の思い出の世界のことをアストラル界と呼ぶ。


そのアストラル界の依代となっているのが地球の核としての生命体である。


アーリマンの受肉によって人間の悟性である生命体が犯されているという意味だ。

悟性とは生命体の中に沈む魂の知性のことなのだが、アーリマンはその生命体の持つ魂の記憶の悟性に干渉することで、宇宙と地球の霊的世界を生態系という自然環境への認識となる光景がアトランティスの時空を生きる人間の記憶のイメージに子々孫々と共有的に継承される“絶対記憶”として侵食していった。

アーリマンとはレムリアの時代に月の力を用いて月の神々を地球の地層となるべく次々と硬化させ、地球の神霊と精霊の多くを堕天させることで、それを恐れた神々を地球から追放させた侵略の神である。

その関係で地球の核を覆う地層は悪魔と堕天使の階層で覆われている。

もちろん太陽系及び太陽系外の階層宇宙の世界(アストラル界)も地球の核と関連している。

しかし、階層宇宙は月の叡智による反射の結界で宇宙空間化している。

その反射像の関連する意味とは内と外、自分と他者、男と女、ミクロとマクロ等の相反する表裏の一体性のアルゴリズムが宇宙の中の人間の魂を通じて現象化されているということだ。

その魂の現象は私たちの肉体の細胞と宇宙の恒星の結びつきを担う生命の神霊たちとの会話によって私たちの精神環境である肉体は月の叡智の内において調整されている。

地球の核は月の生命力が月紀より霊化されることでエーテルの楽園として太陽とつながる入り口でもあるエデンとなり、そこでは守護天使と火の神霊である大天使とが境界の門番となって地球と月のアストラル共栄圏を監視している。


いわゆる最期の審判と呼ばれる魂が死後通過することとなる死の門のことだ。


その始まりの過程がアトランティス時空の根幹人類の系譜にあるのだ。

私たちの魂を担う彼らが創造の神々だとしたら、その表裏として存在しているのがルシファーとアーリマンという破壊の寵愛を受けた神々であり、私たち人間の認識の土台である肉体は彼らとの何千万年にも及ぶ戦場の末端なのである。

その肉体は衛星としての月と地球の外殻を覆う地表をそれぞれの月の作用反作用を知覚し、私たちは地球軌道内における月の反射とは知らずに多くのことを月の叡智に倣ってただ生きていることから始まっているのが現代人の仕様となっている。

その仕様がアトランティス以来死の門での人間の魂の停滞を強めていることから、霊界の下層を重くしているアストラル界が宇宙の膨張の観測同様に消えない記憶の規模だけ拡張されているのだ。


光の源兼熱の塊とされる太陽が月の像であることの意味を知らないからだ。


私たち人間の霊魂はその道をカーテンを潜るように通過するためにも、本来は太陽や月が宇宙の彼方にあるということ自体が大いなる虚像である、と言えなければならない。

よって、太陽の光による生命の恩恵によって地上の営みが可能になっていることから宇宙に存在する太陽を神のように崇拝するのはある種の邪教だと言えた。

十戒をはじめとするキリスト・イエスやブッダの伝えた偶像の禁止の意味である。

酸素の存在しない宇宙で太陽が燃えているように見えるのは核融合反応の無限の繰り返しにより光と熱が地球に届いているという観測から現代科学では太陽の宇宙的存在は疑いようのない事実となっているが疑えるようにならなければならない。


太陽とは月の像である地球を観測するためのアストラル界の光源なのである。


その光源は生命の大元である神霊界の恩寵を隠す強すぎる自我の象徴でもある。

低次の自我に宇宙が存在し、太陽系の九九%を占める太陽がアンタッチャブルな存在であることを知らしめているのが光と熱の膨大なエネルギーで、私たちの知る宇宙との距離を測っていることを振り返れば一目瞭然だろう。

光のスペクトルである色とその温度の関係は正確ではない。

無限核融合を起こしている素粒子現象を人間は観測することができない。

重さを持たない光の速度もまた人間的観測による都合で創造されている。


そのことから太陽とは光と熱だけでは説明できないということだ。


説明などできるはずがない。

なぜなら太陽とは生命力の源である人間の心臓の宇宙体だからだ。

そして、月は物質化の源である人間の脳の宇宙体だ。

人間の脳によって太陽から降り注ぐ生命の神霊と精霊の恩恵が法則という数字に隠され、元素という現象に置き換えられると同時にその認識と知覚の数的処理の叡智の拡散によって宇宙は膨張している、その作用反作用の現象が重力となって私たちの世界の重さとなって貫いている。

その重力が働きかける重さとは霊的な負担と障害と呼んでも差し支えない。

それら宇宙体の反射が磁場となって地球の人間を濃縮化し、その神経を月の知覚とし、その血流を魂の生命として宇宙の遺伝子を個的に反射させている。

よって太陽は生命というそれぞれの宇宙体の運命の記憶を反射し続けているし、月の反射は宇宙体のアストラル光を宇宙空間として人間の肉体をネガに見立てて、映画の発光機のように脳を通じて宇宙に太陽とその卵である恒星を遠い天体として散りばめることによって、宇宙の遺伝子を詰め込んだ肉体という物の中に人間の魂の意識と認識を閉鎖的な空間に存在させることで私たちに生態系と無限の宇宙を脳の剥き出しの姿であるその目に焼き付けている。

すなわち太陽及び宇宙という存在そのものが「像なのである」ということだ。


ここで言う「像である」というのは鏡や映像、写真に絵画といったもののことだ。


つまり、創り物であるという意味だ。

模像ともいう。

それらは例え自画像を投影していたとしてもそれは像の中のものであって、それを見ている“私やあなたそのものではない”、私やあなただったものの像であることから、その過去にあったであろう痕跡を今に残す対象物はそれを確認する人間にとって事実であると同時に虚像にも等しいものだと言っている。

もっと言うと脳がその認識の光を操って作り出しているのだ。

映像とはその手の模像であり、私たちの世界そのものも太陽の光であり、その光のネガは月の叡智によってプロデュースされた記憶の一端なのである。

その舞台が地球の現代の生態系で人間の魂のそれぞれがかつての主演として、それぞれが太陽の光を提供してもらえるよう宇宙の全ての恒星がその運命を支えている。

私たち人間の魂に生命を提供しているとされる太陽が私たちに見せている空間から確認できるのが今であると同時に過去になり続けていく世界観についても考えてほしい。

私たち人間認識の未来とは過去となり続けていく空間を見続けることなのである。

空間とは物質によるものであり、私たちはその物質が提供する瞬間の連続をストロボのように存在が持続的な実存を主張している状態のことを私たちは時空間と呼び、その時空間は物質が提供している記憶の中にいることがわかる。


つまりフランスの哲学者ベルクソンの言うように物質とは記憶なのである。


そして、私たちの知る太陽の光とは月の叡智である空間を物質として再生させ続けているだけである、ということだ。

だけとはいえ、再生は再生で途方もないことだ。

映写のための投光器からの映像の再生が素人には難しいように、空間を再生させているだけの詳細が生命の根源に関与している事柄である以上簡単に簡略化されるべきではないのだが、認識の霊化に求められていることは難しく考えることではないのだ。

例えば、地球から見上げる太陽とは霊界の神々が住まう境界である。

宇宙には創造主がいて、太陽はその観測点にしてゲートである。

また太陽の光源は私たちの生命力そのものが反転して魂となった意識のこと。

光速度絶対法則の本質を見極めてほしい。

時空間を圧縮することのできる光速の本質とは物質世界を照らしているだけで、物質の世界とは別の領域からの木漏れ日であることを認識できれば、月の叡智である大気圏の結界アストラル界を凌駕する視野を獲得することが人間には可能なのだ。

それが意識の反転した精神的生命意識の段階にあたる。

それに至ればデフォルトの意識が信じる月の叡智は反射に過ぎないことが空の太陽を見上げるかのように当たり前の認識となる。

現実とは本来あるべき精神的生命意識が反転して、人間という低次元な器から悟性と知識を用いて遠回りな解釈をして、さまざまな仮説がある中の誤謬の檻の中で彷徨っている同士のただ強い者が生き残り続けている再生のカタログに過ぎない。


太陽は魂の記憶のカタログを投影している、それで終わりだ。


しかし、そのことの意味を証明するためには太陽が提供しているとされる光速、核融合、素粒子、熱エネルギー、質量、スペクトル温度、太陽大気コロナ、太陽風、黒点、真空、磁場、重力の原因などの全てを宇宙からのものではないことを現代科学アカデミーを代表する知識人たちに向けて説明できなければならない、と思うのが不毛なのだ。

その条件を整えるためには「常温核融合仮説」や「太陽空洞説」及び「宇宙ホログラフィック仮説」が必要となるのだが、それらの興味深くも真髄に近しい仮説も一般権威のしがらみからでは宇宙の本質であるエキゾチック素材に言及ができないゆえに、目に見える合理的な概念の魂を支配しているアストラル界の仕様知識に隷属していると指摘せざるをえない。

ただ単純に目に見えないものや根拠のないことを“自分の考えで”神秘的に信じて、その思考を追求して周囲と関係してさえいれば良いだけの話なのに、そのことを遠回りして神の意志を考慮しなくなった宇宙観であり、人間像を現実化させている悟性と知識から自由になることができるというのに・・・

知識と実証の根拠で作り上げられた現実の物証の正当性を信じるということは自分の現実であるべきはずの直感や実感を放棄しているということの意味に盲目になっている人間悟性の仕様の現れであることを現代人は知らない。


もしも、人間悟性に呑まれたまま生涯を終えた魂は純粋過去に停滞する。


純粋過去とは決して過ぎ去ることもなく、到来することもない、私たちの知る時間の概念以前から存在していながらにして地上の現在には存在していない、ゆえに純粋な過去として実存しているとする器官なき身体を哲学としたドゥルーズの言及によるものだ。

この純粋過去とは私たち人間の概念の故郷であるアストラル界のことである。

私たちが自分だと信じている思考の根源である物質の見え方とはこのアストラル界の影として私たちの概念に現れて、それを人間的な創作物として吐き出しているのが文明でありテクノロジーという悟性と知性で、それらの思念がエネルギーとなって純粋過去というアストラル界の消えない記憶として地球を形成し続けているのである。


死の門という月の叡智を携えた境界に死後の魂は太陽への道を遮られるのだ。


つまり、私たち人の魂が信じる月の叡智が地球を存在させている、ということだ。

地球を存在させているのは地球の核である根源から濃密化してきた堕落の蓄積である消えない記憶を依代とし続けている“生きた概念”のことだ。

この思考を促している“生きた概念”とは文字通り生きて形を有して実存する。

確かに概念そのものは目や肌で感じることはできないこととなっている。

違うのだ。

世界であり宇宙の見え方というのは人間特有の認識なのを忘れてはならない。

人間特有の認識とは言語や知性、イメージを提供している無数の概念が絶えず対象との関係を分析しながら私たちの行動の指針となって、自分を中心とした合理的な判断の材料と決断を促してくれているわけだが、その概念の発生は裏を返せば全て人体の外側からきているもの。

私たちが自分たちの中で感じている概念とは中だと思っているだけで全て外由来の形態だったものが、形のないイメージとなって私たちの中の記憶として入り込んできた過去をただの過去として認識しているが、それだけのものではない。

私たちが目には見えない概念と決めつけているだけで、その振り返ることのできない過去の概念を含めたものは、形を変えてイマジネーションとされる頭の中の現象となって消えない記憶として生存し続けているのだ。

忘れる、という恩恵の背後で全ての過去は消えない記憶である純粋過去として生まれる以前から存在し続けている宇宙の時系列そのものに組み込まれたアストラル世界の一端を私たちの目であり肉体として体験し、その世界そのものを自分のこととして見続けている、という立場がわからないのだ。


わかりやすく言うと、私たちは見られている存在である、ということだ。


私たち自身の“自分で見ている”という疑いようのない感覚が人間特有の自我を有した魂の権能だとすると、動物や植物、鉱物には“自分で見ている”という自我的な感覚が一切ない。

人間以外の彼らはただひたすらに見られている存在としての自覚だけがある。

それが動物であれば対象に対して快不快の表現であったり、植物であれば四季ごとの変性であったり、鉱物であれば地水火風の地殻変動的な変化の中に、見られてきたことの世界がその眼に向けて働きかけていることで覗き込んでいるのを自覚しているのだ。

人間的には自分の目で見ているという自覚しかないかもしれないが、人間以外の存在たちがそれぞれのグループで所有しているその目への自覚は自らが見られている世界そのものが彼らの感覚器官であることに疑いがない。


私たち人間の魂にとってのその感覚とは思考を思考する内観視のことだ。


加えて、人間以外の彼らとは純粋過去から私たち人間が人間であるためにはもうすでに卒業し、通過し、必要のない要素として吐き出された吐瀉物としてのかつての自分という「生きた概念」なのである。

動物存在は私たちがすでに卒業した情動の魂の生命形態であり、植物存在は私たちがすでに通過した代謝の生命形態であり、鉱物存在は私たちがすでに必要としないとした地水火風の元素霊の生命形態として、私たち人間が人間であるための犠牲となるために人間の魂を司る霊人(権天使=天位階七位)の要請に従う形で地球に下っている存在たちなのである。

その人間的に吐き出されているものの現在進行形の最たるが自然素材を生命のないものとして作り替えられた機械及び化学物質で合成拡張された都市そのものの文明にあたる。

その生きた概念として現代の私たちにまで吐き出させているのが、今なお死の門で消えることのない魂の記憶として停滞しているアトランティス人たちの遺恨なのである。

私たち人間の“魂を思考する思考”とはアトランティス時空で全盛を誇った時代の魂を自分の性格や人格として転生しているその振る舞いである“生きた概念”に“宇宙の外(太陽という境界=生命と死の光)から俯瞰してその思考を届けている”霊そのものなのである。

私たち人間霊の大元である霊人は純粋過去より私たちに思考を届けている。

その思考が概念と概念を結びつけているのである。

概念が先なのではない。

思考があって概念があるのだ。

私たちがイメージとして頭の中で描いているものの概念の整理をしているのは思考であって、その思考は概念以前より存在し、アトランティスの時空における人間存在の生命にも同様に働いていた永遠持続の自我的な権能が現在もなお思考としてありとあらゆる概念に形を変えて貫かれている。


○現代の人間の認識(宇宙を認識させる月の反射)=明晰な対象意識

現代文明=アトランティス人の概念による魂の光(発明=物質の力を取り出せる)

     ▶︎アーリマンとルシファーの神託を信じた人間(アトランティス人)の魂=現在の概念

現代環境=アトランティス人の思考(第五亜人類原セム系)を含んだ自我の光が自然化

     ▶︎偶像崇拝をしなかった思考存在が神霊化した魂=現在の大天使(天位階八位)

     ※現在の天使(守護霊)(天位階九位)はエジプト文明期の人間の霊魂


○ アトランティス人の意識(月の反射):夢の形象意識から明晰な対象意識に至る

アトランティス文明=レムリア人の概念による魂の光(生命を操る超能力)

     ▶︎ルシファーの火の力を取り上げられた代わりの水の力=絶対記憶

アトランティス環境=レムリア人の思考を含んだ自我の光が自然化

     ▶︎火の力を暴走させなかった思考存在が神霊化した魂=現在の権天使(天位階七位)


○ レムリア人の意識(月の分離):形なき没形象から夢のような形象意識へ移行

レムリア文明=月紀に逸脱した概念による魂の光(原初の火を操る情動の力)

     ▶︎アーリマン(物質化)とルシファー(火の力)の力がアダムに浸透

レムリアの環境=まだ地上に降りていない自我(思考)の光が地球化(エーテルが物質化)

     ▶︎月の離脱以前から堕天していた人間の魂を救済するために地球創造


私たち現代人の意識の原型である魂(アストラル体の影)はアトランティス人の黄金帝国の時代にある。

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