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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第五章 オリジン オブ シビリゼイションのために
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オリジン オブ シビリゼイション#4 アカシックレコード:地球紀アトランティス人編(アトランティスの巨人を生んだ魔術と生きた意志である生命の心)

#52


アトランティス時空とはかつて地球から離れた人間の魂が宇宙の叡智を携えて改めて地球への受肉を自ら望んで転生してきた地球外を由来とした転生者がそれぞれの惑星の魂を色濃く形成した人種を各種族とした時代でもある。

土星が、太陽が、月が地球から離脱していくプロセスを経て地球は地球そのものを転生させてきたのと並行して人間の魂もまた地球進化と同様に変容を遂げてきた歴史を宇宙は刻印している。

刻印とは空間的な記憶であることから人間の見上げる宇宙の投影だとも言える。

宇宙及びその天体とは神々の物質形態のことである。

太陽系とは地球から出ていった神々の物質的な立ち姿のことで、レムリア時代に地球が急速に硬化による荒廃が始まった時期に人間及び人間から吐き出された全ての生態系の成長が凍結された際に、当時地球に降下する予定だった人間の魂が太陽系惑星へと転生していった存在たちを引き受けてくれた天体である。

彼ら転生者たちは地球での魂の受肉を逃れたものの、太陽に移住できるまでにはその魂が成熟していなかった。

私たちが太陽と呼ぶ光と熱と生命の根源は宇宙という星界の向こう側への境界であり、窓口であり、玄関口を通過するためには人間の魂の霊化というパスチケットが資格条件となっているため、太陽から締め出された惑星である木星、火星、水星、金星の人間として活動していたのがアトランティス人たちの魂だった。


○レムリア時空(地球の地盤がまだ未凝固からの核造山活動の時代)

レムリア初期古生代=先カンブリア〜デボン紀(4億年前)※地球から他惑星へ魂の離脱

レムリア中期中生代=石炭紀〜三畳紀(2億5000年前)※月の分離の始まり

レムリア後期=ジュラ紀〜6500万年前白亜紀※月が誕生し、他惑星から魂が帰還


○アトランティス時空(地球の鉱物化から大陸の移動と増減)

アトランティス初期新生代=第三紀(暁新6500万年前〜鮮新世500万年前)

▶︎人間が海の生命力を通じて音と言葉を表現しようと海中で活動していた時代

アトランティス中期=第四紀(更新世200万年前〜)※後期に最初の原人出現

▶︎人間が海から陸に上がり転生してきた人種ごとに文明を築いていく時代

アトランティス後期=完新世10万年前〜〜1万年前まで※大洪水までの時代

▶︎ポセイドニスに至るプラトンが見たアトランティスの高度文明の時代


その最初の亜人類種がルモアハルス種族(以後ルモアハルス人)だった。

海から上がった彼らは水に纏わる生命力を取り扱うことができた。

もちろんロゴスを通じた言霊の力である。

彼らが祖先から授かった言語には神通力が備わっていて、体内に働く生命力を操作することができたことから自らの体力をも自由に使用することもできた。

アトランティスの希薄な水分濃度の世界観も水の使役能力は助けになった。

レムリアのアダムに相当する人間たち大気を漂う火の霧を吸い込み、吐き出すことで生態系を創造していた頃の名残りであり、代替的な天命が彼らに与えられた空気と水の力を支配する権能として授けられていた。

大気を漂っていた火の霧は現在でいう人体内を循環する血液の起源であり、アトランティスの濃度の高い霧はルモアハルス人の体内から吐き出されるようにして増減し、その具合を調整することによって彼らは活動の疲労と消耗を自らの意志で把握することを肉体感覚としていた。


のちのリンパ器官となる権能である。


またルモアハルス人が水と空気を操作することができたのは、レムリア人たちが取り上げられた「火」の権能が地中に沈んだことによるものである。

原初の火を司った権能はルシファーによる邪悪な熱の意志によるものだった。

それらを取上げ霊化したものが、アトランティスにおいては水と空気という生命を司る権能へと変容したのだ。

その変容による権能が植物を操る生命操作だった。

アトランティス初期の人間は総じて植物の種子から発芽力を取り出すことが可能だった。

ルモアハルス人は穀物の種に宿る微睡みながらも約束されている生命の力を技術利用することで生活に役立てる方法を絶対記憶というアトランティス人特有の本能により知っていた。

彼らは植物の種子の多くを倉庫に貯蔵したものを使用することができた。

その種子は食料とすることだけを目的にしたのではなく、自分たちの交通手段や建築産業等に役立たせるために植物を栽培していた。

その技術は植物の種を“焚きながら”生命力を技術的に変換する装置となっていた。

その装置によって種子のエネルギーを備えた低空浮遊する乗り物や山をも越えるバイクのような推進力を持った操舵することのできる乗り物がまだ固かった空気と濃密な大気の中を上昇するようにして動かして生活の一部としていた。


ただし、彼らがこうして産み出したデバイスの数々は論理や計算の力ではない。


彼らは自らの水や空気を操ることのできる自らの体内の記憶から創造していた。

ただ思い出すだけで植物の種の力を引き出すことのできる、人体の成長力に相当するリンパ作用である生命の力をそのまま装置化することができたのだ。

それらの文化は現代の論理や概念を思考する権能へと変容している。

例えば石炭を燃やしたり、金属の熱から電気を取り出したりするのは生命のない鉱物的な力を支配し、それらを推進力に変えることができているのは鉱物を洞察し、全く別の役割を持った機能へと変換できる論理的な思考の恩恵なのである。

そのことから言うまでもなくルモアハルス人と現代の人間とでは文化全体の違いが違いなのではなく、感覚的な認識の内容から技術への転用する考え方から根本的に異なる人間の系統にあたる。


その人間仕様の違いはルモアハルス人の建築にも同様に反映されていた。


彼らの住居は全てが自然と一つに結ばれてたことから樹木と一体化していた。

無数の枝を人工的に組み合わせて大木の幹を成長操作することで人間が暮らすことのできるスペースを作り出して、自らと居住空間の一部かのように感じていたことからルモアハルス人は自然が全ての人の共有物である社会認識のようなものを漠然と抱いていた。

だからルモアハルス人は自分で作り出したものであっても、それらは自然そのものから生み出たものと変わりがなかった。

この認識の仕様も現代では異端であるはずだ。

自分の知恵や努力の産物を個人の所有物及び財産とみなす個別権利が前提となった現代の社会認識とも正反対の性質がルモアハルス人の自然と人間の対象物の認識の違いとなっていることがわかるはずだ。


彼らルモアハルス人は自らの言霊の魔力を自然からの賜物だと信じていた。


無垢な魂を持ったルモアハルス人は言霊の力を乱用することはなかった。

自然から聞こえてくる言霊に神聖な畏怖を感じていたからだ。

彼らは霊力を秘めた特定の音声をみだりに使用することはなく、ルモアハルス人たち自身が言霊を用いる際には言葉の中にある神的な自然にその魔力を還すことを感じながら言語を扱っていた。

彼らはただひたすらに過去の思い出を繰り返すことを望む穏やかな民族だった。

その高い精神性ゆえに彼らの体はより小さな姿の人間になることができた。

妖精やドワーフと行った精霊がメルヘンの世界の中でとても小さな存在として描かれていることの背景もこのことが所以となっている。

他方で高い精神性に至ることなく、動物的衝動に任せて落ち着きない生存本能に満ち、知性を欠いた感覚的な魂の要請に従った順応で早期に骨格を硬化させた動物たちは巨大化していた。


彼らは待つことができなかった存在だった。


彼らはレムリアの時代の月の離脱以前に地球に受肉する事を選んだことからあまりに早く物質化した最初期の人間形姿であるクラゲのような無脊椎動物の祖先として地球に出現してきた原始動物の末裔である。

別の言い方をするならば地球の前世である月紀に生きた動物人間たちが動物存在から人間への道をやり直している末路であり、慣れの果ての姿のことを現代科学は進化の過程と呼んでいるが、彼ら動物存在とは元は人間の道を歩んでいたが退化を選んだ停滞存在なのである。

地球創世記であるレムリアの時空において人間的生存が困難な環境にも関わらず地球のエーテル領域に留まることをせず、地球を物質化させるための働きを担って自らの魂を地球の核を硬質化させる因果となるべく、人間のエーテルが吐き出していた火の霧をエーテル人間よりも先に体の内側に留めることによって肉体化したのが地球の動物たちであった。

その肉体には軟骨という地球の固い部分を体内のフレームとした生物として地球動物の進化の礎となることでその動物衝動である魂が月分離後の生態系の主役を目指した存在となっていく。

その彼らがレムリア時空の晩年においてさらに歪んだ人間への道を形成した。


それが恐竜である。


恐竜の先祖であるレムリアのトカゲたち爬虫類は原初の火の力に適応した。

その適応に手を差し伸べていたのがルシファーの使いとしての超越人間だった。

レムリア崩壊期の最後の亜人類である第七亜人類紀の人間たちは超越者たちの協力もあって動物の精子の力を支配し、動物の形態から人間形態に変化させることのできる禁忌の黒魔術の愉悦に染まっていた。

雌雄同体だったアンドロギュノスという神にも等しかった生物の究極でもある自己完結状態は神々の声であるロゴスの体現者として相応しい顕現体をレムリアの人間たちは獲得していたのだが、その神々が地球から去ることによって人間の肉体はルシファーの願望体が人間のデザインに反映されることとなる。

そのデザインの寵児である超越人間たちはルシファーの叡智(ヘビ=龍)のままにレムリア時空で火の力の一端である遺伝子操作をふるい、自らに似せた人間を生み出すべく到達したのが硫化水素である硫酸や硝酸の渦巻く濃厚な大気と蒸気をも跳ね除ける適応能力を有したトカゲの王である恐竜だった。

一種のデザインヒューマンである超越人間たちはエーテル領域に留まる人間の魂を高貴な状態からそうではない退化状態である地上の不完全な器に引き摺り下ろすことに仕えていた。

彼らの神をも恐れぬ行為は人間の悪への可能性を肥大化させる情欲となって、その魂に順応するように地球をみるみる内に硬直させ、その自然法則にも及んだ魔術的な邪悪な意志がレムリアの空気を通じて火が燃え盛ったのだった。


彼らはレムリアの退化人間としてアトランティス時空にて巨人として転生する。


聖書でネフェリムとして登場する人間と混血した堕天使とは彼らのことだった。

旧約聖書ではネフェリムのことをギガンテスと訳している。

ネフェリムたちはレムリアの時代にルシファーの眷属として自然を意のままに操る力に翻弄される。

交配する精子を改変する魔術を意志として自らの強欲のために用いたために生み出された恐竜たちはアトランティスの時空において自然の荒々しさの凶暴さだけを象徴する動物として闊歩し、彼らは総じて小さな人間の狡猾さとは対照的に愚かに退化した人間像である巨人として地上を彷徨っていた。

サイクロプスやギガンテスはアトランティスの巨人伝説の逸話の一つである。

サイクロプスがギリシア神話で神の眷属として描かれている元ネタはレムリアにおけるルシファーの使いとしての超越人間だったことの伝承だ。

堕天使の遺伝的系統の伝承者としてアトランティスに転生した超越者たちはかつてのレムリア時空においてはエーテル的な干渉を通して行われていたが、それがアトランティス時空において目覚めた際に彼らは完全にその邪悪なアストラル体がそのまま物質化された巨人の姿として継ぎ合わされた。

火を操り自然を改変する黒魔術に染まった意志の根源である魂の反映は一種の自然への抵抗力としての形態であり、その方向性は精神的な進化から逸脱した下降的で劣化したものでなければならなかった。

このルーツは次の私たちの時空の初期にあたるバビロニアのゴーレムの魔術の中に最も顕著で単純な形として見ることができる。


現代にも及んでいる黒魔術とは私たちの魂に働きかける意志の中にある。


ここでいう意志とは存在目的そのもののことである。

またの言い方を“生きた意志(エーテルの心)”とも言う。

例えば宇宙戦艦ヤマトというイスカンダルとかアルファ・ケンタウリだとかに行ってガミラス帝国の侵略で放射能まみれになった地球を救済するための目的を持って造られた宇宙航行用の移動船があったとしよう。

ヤマトの意志はその宇宙戦艦が持つ行動目的そのものの中にあるはずなのである。

またその行動目的の裏では宇宙戦艦の存在する根拠である意志が宇宙戦艦ヤマトの誕生する以前から存在していることも容易に想像することができるだろう。

ヤマトのその時々の状況を判断する司令室の艦長が自我だとしたら、その判断に応じて必死で対応する乗組員は機械と一体化した神経感覚系や律動系のような存在であって、彼らそのものが宇宙戦艦を動かしているのは事実だとしても、宇宙戦艦ヤマトを存在させている意志であるとは言えない。

なぜなら宇宙戦艦ヤマトを動かすだけなら自我である艦長を含めてAIによる自動制御装置の方が、人間の代わりに安全で的確な宇宙航行のための処理を行ってくれることを考えればわかるだろう。

つまり、行動そのものがヤマトの意志でないことに加えて宇宙戦艦ヤマトという機械集合体の内部のどこか特定の箇所に“生きた意志”の存在を証明するパーツは存在していない、ということだ。


その意志の有り様は人間存在の根拠とされている肉体も同様なのだ。


人間の肉体存在そのものの意志が私たちの根拠として働いているのだ。

私たちはその意志である生命体のことを“生きた意志”と呼んでいる。

しかし、私たち現代人はこの生きた意志であるエーテルの心に関与することができない。

なぜなら、もし私たちが感覚的に存在目的そのものであるエーテルの働きを意識化することができてしまったなら、そのあまりの苦痛に一分も生きていることはできないからだ。

私たちの人体内での暴飲暴食による無理な吸収と過度な運動不足や不規則な生活習慣等による不活性な排泄処理で不完全な代謝変換作業を日夜休みなく行っていて、その絶え間のない物理的ストレスをもしも知覚してしまったことを想像してもらえればわかるだろう。

宇宙戦艦ヤマトの駆動のための配線の一本一本の動向を艦長である自我がエネルギー等を計算し、装置を調整し、全ての確認や処理などしていたら頭である艦長の自我が破綻してしまうことと同じだ。

私たちは人体の機能とは切り離された所で自我的な魂の営みを行えているのだ。

そのことから私たちを存在させてくれている“生きた意志”とは日常生活ではほぼ眠っていると言っていい。

では、どんな時に生きた意志が確認できるのかというと死の淵である。

例えば雪山で遭難しそうになったりして眠ればそのまま凍死してしまうという危機感に苛まれた際に現れる、“絶対に眠ってはいけない”という死への抵抗感がそれである。

目前に迫っている小さな死である眠りへの抵抗力が生を支えてくれたりする。

火事場のバカ力や走馬灯のような現象もその一種にあたる。


これがいわゆる生命力であり、肉体存続の根幹にある、生きる意志なのである。


人間存在の根拠にはこの生きる意志が誕生以前のシナリオであり、設計図であり、青写真として人間生命の意志という目的を有して人体の老年に至るまでを形成しているのだ。

その意志のことをエーテルの心と呼んでいる。

そして、肉体を形成してきた生命体に刻印された意志の力は死後も失われない。

肉体が死を迎えると同時に人の考える行為は失われ、死後も順々に記憶や魂による人格等も例外なく自分から消滅していくが、肉体の意志が提供してくれた生命への感謝や祈り、配慮といった「愛」に纏わる目には見えない心の有り様は決して失われることがない。


ゆえに、人類の末端である私たちの肉体とはその「愛」の結晶体なのである。


レムリアの時空ではエーテル存在だったエデンの人間が魂となって地上に受肉し、アトランティスの時空ではその魂の生命化した肉体が宇宙のあらゆる惑星から転生してきた意志に応じた器となって様々な形態に姿を変えながら、地球上に分かり合えない人種による人類の闇の歴史を新たに刻み、その地上で獲得した「愛」だけを継承してきたアトランティスからの未来が現代の時空にあたる。

その時空を超えた意志が紡いできた遺伝子に乗り移った存在たちは人間の視神経へと姿を変えて堕天使たちが精神的存在として実在しているアストラル世界から絶えず霊的発達の遅れた意識へと向かわせる働きかけを繰り返している。

それはある意味「愛」を求めてのことなのだが、今はまだ説明することができない。

もちろんそのことは堕天使の系統がそもそも地球の自然系統ではないため地球上で適切に進化することができないことと関連している。

それゆえに彼ら堕落した知性はテクノロジーを生み出し、崇拝し、自然を克服するための手段である交配、遺伝子改変を試み、現代から未来にかけてはトランスヒューマニズムという人間の機械化による地上での生命の恒久化という誘惑をも手を掛けることとなる。

それらは堕天使存在たち自らが入り込むための劣化体としての魂を再生産し、退化した形態を地球の人間に浸透させることでのみ達成され、その人類の末端に私たち現代人は佇んでいるのである。

ちなみに、ゾウの頭蓋骨の正面に一つ目が収まるように大きな鼻腔が空いているのは、その先祖が単眼の巨人として実在したサイクロプスが霊化され、凶暴さが取り除かれた動物存在として二つの眼を持つ人間への階段を“登り直している”末裔だからである。


そして、私たち現代人はアトランティス人の黒魔術の意志に染まった末裔(カルマ)なのだ。

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