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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第五章 オリジン オブ シビリゼイションのために

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オリジン オブ シビリゼイション#3 アカシックレコード:地球紀アトランティス人編(ロゴスを生きたアトランティスの海人)

#51


アトランティス大陸は現在の大西洋にあった、とされている。

あったと言っても、ノアの方舟の伝説にあるようにアトランティス大陸はその時空もろとも神々の洪水によって洗い流されていることから現在においてその痕跡はほとんど存在しない。

レムリア大陸も同様である。

現在のインド洋広域にパンゲアとして存在していたものは霊的な大陸であり、その後月の離脱とともに非物質であった鉄の因子が地球を硬化させ始めることで現代の七つの大陸の結びついたゴンドワナ大陸とされる巨大な島が海よりも遥かに広大な陸地を形成していた。

その大陸の上でアストラル体にて活動していたレムリア人たちの意志であり生命力でもあった魂の力は地球の原初の火の力と連動し、大陸を割るほどの破壊の力を神々の被造物に向けるに至る。

それが火山の活動の由来である。

別の言い方をすれば火山活動を起こしていたのがレムリア人の意志なのであるが、当時の彼らはまだ人間の射影として地球に存在していたに過ぎない自然現象といわば融合していた受肉状態ゆえに、その彼らの一部というか多くが地球の火と親和性を持ったことで晩年のレムリア人そのものが火山の化身となり地球の地殻を切り裂くことでエーテルに満たされていたまだ柔らかかった地球地盤の創造的な濃縮に一役も二役もかっていた。

そんな神にも及ぼうかというその意志である火の力に神々は手を焼いた。

“手を焼いた”というのは文字通りのことで、地球の神であるエクスシアイの手足となって働く地球の天使たちが彼らを暴走させていたルシファー存在と対峙し、形成過程であった地球の地盤深くの第六層にまで邪悪に染まった彼らの魂を沈めることによってその時代の時空諸共封印したのである。


アトランティス大陸の痕跡を確認できないのもそれと似ているが少し違う。


アトランティス時空に生きた初期の人間に現在の私たちとの共通点は殆どない。

彼らは全ての地上から消された土地の中で荒ぶる力に翻弄されることのなかった僅かな進化を遂げたレムリア人がアトランティスの時空での活動を許され、その進化の系譜を伝えるべく彼らは海の動物のような肉体に植物の性質を有してアトランティス時空の祖先となって現れる。

人間に対して穏やかなイルカやクジラといった海の哺乳類たちは彼らの末裔だ。

彼らはレムリア人の末裔としての人間だった。

レムリアの数億年にもわたる最後の進化を果たした新しい亜人類である。

アトランティス時空の大気は濃い霧で覆われ、その空気は現在よりも遥かに濃く、逆に水は今日よりもずっと希薄だった環境でアトランティス初期の人間は海を活動の拠点にしていた。

彼らはまだ陸には上陸しておらず海の中の人間だった。

ただし、海といっても現代のように密度の高い水圧の支配する大深海ではない。

当時の水の濃度は非常に軽く希薄だったため大気と地表の霧と海とが融合したような現在では考えられないような不思議な空間が自然環境となっていた中でアトランティスの人間の民族はそれに適応していった。

彼らの身体はその水に適応するように鰓のように水をすり抜け半透明だった。

その適応状態がアトランティスの初期から中期にかけて数千万年続き、完全に陸に上がって生きるようになったのは現代から遡ること約300万年前のルモアハルス種族がアトランティスにおける最初の人種だった。


レムリアの崩壊を逃れた一部の人間は地上ではなく海中へと逃れた。


レムリア人たちの意志は地球の火と一体だった。

レムリア人の人間性は絶えず地球の魂及び生命の狭間の葛藤の表象にさらされることで、高度な文明と宗教観と秩序のための教育基盤等が霊界の道徳特性から弾き出された逸脱的で悪魔的な意志の創造に翻弄されるも、次第に善と悪との識別の記憶を自らの内に抱くことで思考の萌芽のようなものを獲得していく。

残念ながら地球内部から排出される魔術的な吐瀉物の意志があまりに強大すぎて、当時のレムリア人の魂の道徳性に原初の火への意志に抗う術がなかったままに、火そのものとなった彼らはその時代を築いてきた時空そのものを崩壊へと導いたわけだが、全てのレムリア人がそうではなかった、という話だ。

火の意志と一体となった存在たちは地球の第六層に封印され、火の意志ではない魔術とはかけ離れた地球の果実に相当する現在の地表の成長エネルギーを提供している領域の生命意志に共鳴することを選択したレムリア人がいた。

そのごく少数の晩年のレムリア人たちの魂は当時の地球の液体層の意志と融合することで、彼らは新たな時空の担い手としての進化を託されることとなる。


もちろん海での進化から始まったアトランティス人にレムリアでの記憶はない。


しかし、レムリア時代の晩年に獲得していた記憶する力は彼らの形象意識を支配するほどに独立した状態で勝手に思い出す記憶として絶対的に機能していた。

地球の水の生命と融合していたアトランティスの最初の人間である海人たちは自らの生きてきた過去を記憶する力に“愛着を感じる”、という感情を種族で共有することができ、記憶する力を発達させていくこととなる。

その発達は次第に“絶対記憶”という彼らの意識の基盤となる高度なものだった。

例えば、計算や文字の種類や文法に様々なルールや方法等の物事の関係や構造の概念を司る自然を含むその思考内容を彼らは自らの意志とは別の回路を用いて獲得することで必要なことの実戦を“考えることなく”実践し、創造するに至れた。

要は彼らは“知性を用いることなくただ思い出すだけ”で全ての答えを得ることができていた、ということだ。

だから、掛け算や説明書や方法の概念がなくても想起するだけで対処できた。

彼らには“どのように”という過程はなく、記憶を通して“ただわかる”のだった。

彼らはその与えられる記憶像に基づいて物事の良し悪しを判断していた。

その意識的な風景及び状態は私たちが眠りの中で見る夢であり、月紀の動物人間たちが有していた危険かそうではないか、快であるものか、不快であるものなのかの信号だけを判別する、ほとんど自我という自分を中心に周囲との違いを明晰に思考するなどという知性は彼らにはまだ備わってはいなかった。

アトランティスの人間たちは与えられる記憶が作り出す形象イメージと呼ばれるものとの比較をできるだけ数多く思い出しながらその意味の妥当性を整合し、それをこれまで体験したきたものの感情と照らし合わせることを感情として判断を行う、といった意識がアトランティスの人間たちの中で共有されていた。


その共有されていた記憶は祖先の記憶が子孫の記憶力にまで伝えられる。


そのことからアトランティスの種族には“先祖が子孫に生まれ変わる”という誤った輪廻の考えが発生する。

アトランティスの人間は強力な記憶力の作用のあまり、自己と先祖とが一つになったと感じることをコミュニティで共有していたことから自分は先祖の生まれ変わりなのであることを種族で疑うことがなかった。

それも論理的な思考力と知性を持っていない自我状態に由来していた。

彼らアトランティス人たちの形象意識である夢が先祖を出現させていたのだ。

夢の中でそれを夢であり、夢である対象を自分で看破しながら夢を体験することが簡単ではないように、アトランティスで目覚めた海の人間たちも自らの意識に現れる先祖の記憶という過去と現在の自分との境をはっきりさせることが難しい。

それがアトランティス時空初期から中期における人間の意識状態だった。


また、その絶対的な記憶力が提供する形象意識の発展の下で言語が発生した。


アトランティス初期の人類である海人たちは彼ら自身が知覚した色や音など感覚的印象が心に留まることで過去への愛着が生じていたわけだが、その愛着の概念は記憶力が十分に発達したことによる「原言語」がアトランティス時空において発声されることとなる。

この「原言語」とは言葉になる前のいわば“音の種”として存在のことだ。

レムリアの時代で人間はロゴス(理性)として宇宙の音楽を長きにわたって音や響きとして聴き続けてきたことで、自然環境の思考が意志としてレムリア人の聴覚を通して内側に入りこむことでその音や響きがロゴスとして彼らに浸透し、その神々の理性ロゴスの正当たる継承者がアトランティスの海の人間たち魂に転生したのである。

その神々の言語であるロゴスの力を満たした音の種を発したものが言語となった。

ヨハネの福音書の冒頭の由来である。


「はじめに言葉があった、言葉は神とともにあった、言葉は神であった」


世界の始まりにおいて音の種である原言語はロゴス(理性)としてすでに存在していた。

このことは全ての事物はこの万物の根源であるロゴスによって作られたことを意味し、その原言語の原型とも言える単一の唯一無二の共通言語を扱ったのがアトランティス人たちなのである。

人類の言語は「原言語」として太古の時空では統一されていたということだ。

同時にある事物や感情と、ある音や音声の間には一定の関係性があり、その組み合わせが特定しる意味内容以外の表示や考えなどは統一言語から発せられる音や音声には抗い難い共通の感情や事物を思い浮かべさせる作用が「原言語」を根源とする言葉にはあった。

これは現代でいうところの「言霊」のことである。

アトランティス人たちの「言霊」はロゴスそのものに限りなく近いこともあって、自然存在との親和的な作用が著しく彼らの魂の中で効力を発揮されることで、事物に“名前を与える”ことによる意味の力が魔術的に備わっていた。

その事物に“名前を与える”権能は彼らの記憶力に由来するものだった。

記憶から想起される名前を理解し、使用することによってその魔術的な力を有した彼らの言葉は病気を治癒し、植物を成長させ、猛獣を鎮めることのできるアトランティス人特有の超能力が彼らにはあった。


それがアトランティス時空に齎されたロゴスの言語的魔力であった。


このことからも少なくとも太古の人間が話した言語及び現代の言葉の数々も彼らや私たち地上の人間によって作り出されものではないことがわかる。

むしろ、言葉が人間を作り出していったのである。

もともと宇宙の始まりにおいてロゴスとして原初の言葉である宇宙の音楽によってその種の内には目には見えなくともすでに花という物質的な開花の未来までが約束されていた中に人間が存在していた、ということだ。

また、私たちの未来である死後の世界では、人間が言葉そのものであった頃のことを思い出すことによって神々のロゴスと一体となることから、現在の私たちの扱う言語からロゴスとのつながりは失われようとも、ロゴスを基盤とした「原言語」の影響はそれぞれの民族の母国語の中にも残されているのである。

言語が民族を作ったのである。

かつては一つの言語を話していたのが、それぞれの民族固有の言語を持つようになり、互いに理解し合うことがある時を境に困難となった。


私たちの時代の伝説として残るバベルの塔の逸話である。


超越的な権能を有して地上を支配していたかつての人類が傲慢にも神へと至ろうと建造したバベルの塔は神々の怒りに触れ、人類の強力な意志の源となっていた統一言語によるコミュニケーションを喪失させることで、当時の人間から神懸かった権能の大元であるロゴスの知覚と認識を奪い取った。

それがバベルの塔の崩壊伝説である。

このロゴスが地上から姿を消した事件は地球の一つの転換期にあたり、それ以来人間は言葉を同じ民族の中で外界の理解を共有し、その概念を思考で結びつけることで事物を創造できるだけのものとなる。

しかし、言語そのものからはロゴスの知覚としての「原言語」的な空間を超越した力は失われてはいるが、人間の思考を媒介するという人間の特有権能の一つとして現代では扱われている。

確かに現代の私たちはロゴスや原言語がなんたるかさえも理解できなくなった。

宇宙の音楽が鳴り響く世界である理念界(アストラル界)の存在すら忘れてしまってはいる。

しかし、それで完全にロゴスによる働きかけが人間存在から消え去ってしまったわけではない。

そのことは全ての言語が今でも音の組み合わせから成り立ち、呼吸と深く関連することや各言語間での翻訳が可能であること等の「原言語」の痕跡が現在の言語のアルゴリズムにも残っていることからも私たちの魂が一つの統一された理念界(アストラル界)と相互関係にあることに他ならない。


理念界(アストラル界)とは原言語が生きている人間に“思考の影”を提供している領域のことだ。


言語が人間によって作り出されたものではないように、私たち現代人が瞬間毎に行なっているその思考もまた自分で作り出したものではない。

神霊の言語でもあるロゴスの働きかける理念界を触媒とした「原言語」の影を翻訳したものを私たちは言葉として選んでいる。

そして、神々の思考であるロゴスを概念として結び付けられたものに名前をつけた対象を意味と意味とで紡いでいる。

それが私たち現代人の扱っている言葉である。

私たちはその言語のことを一般的に“論理的思考”に則って発展したものと見ている。

“論理的思考”に求められるのは分析、客観、直線、科学、説明的な概念で事象を識別することで、一般的な常識を共有するための有用性から発展した一方で、ロゴスや理念界の働きを示す「原言語」やそれに伴う芸術的要素といった人間を超えた存在を必要としない。

そればかりか論理においては他者の主観や存在さえも決定的に重要ではない。

組織や科学アカデミーでの集合案件での決定において感情論は一切排除される。

しかし、その思考は知覚界を対象として考察された論理からの言語であって、理念界と唯一つながりを持つことのできる思考の持つ特異的な作用の多くが削ぎ落とされた一側面に過ぎないことを現代の人間の多くは言語化することができない。

目には見えない物事や概念を地上の決定の図りに乗せることができない。

自らの抱いた思考内容についてを思考するための思考形態に無頓着なのである。

いかなる時空においても人間的な基礎の根底にあるのは個の思考で、共同体という組織はどこまで大きくなっても個の集まりであって、集合そのものに思考の焦点を当てるとかえって統一的な人間のアストラル界である理念の領域の本質を見失うこととなる。

その迷走は思考が外ばかりに囚われた際に生じる。


いわゆる思考を思考するための方向とは真逆の視座である。


現代に求められているのは身体組織や知覚内容に依存しない“直観的思考”である。

“直観的思考”はまだ知覚界に現れていない理念界での概念を思考する。

ゆえに、その思考の洞察にあたる自我は外界の印象と過去の記憶に基づく表象から自由でなければならない。

本来、理念を論理的思考のための言語で表現することはできない。

この理念界のロゴスを表現するための言語は個人の内側にて、過去の見慣れたイメージや記憶能力を沈黙させ、意識的な自我の力で新しく作り上げられなければならない。

その上で言語が発生する際の魂の状態の自分を把握して、理念界において掴んだ直観的思考の理念を再び論理的思考の言語の精神と出会わせ、発展させ、結びつけることでその言葉は直観的思考の翼となる。

この直観的思考の翼の道具としての言語習得が現代人には必須である。


なぜならその翼が私たちを別の人間へと作り替えてくれるからだ。


私たちは論理的な思考を通じて一種の「良心」を体験している。

「良心」とは社会的な善に基づいた倫理ではなく、直観的思考で獲得した霊的認識に基づいた真偽に対する責任感を論理とした現実(死後)への姿勢のことだ。

その「良心」を洞察する視点が直観的思考でその直観的思考を論理的に読み解く思考において真偽の責任感が高次の世界を認識する上で重要な役割を果たすこととなる。

高次の世界をソースとした真偽の責任感が導く現実への姿勢とは私たち人間の未来でもある肉体が役割を終えた死後の世界のことである。

つまり、思考は私たちの永遠なる個性と結びついていて、言語は思考とは異なり私たちの個性と直接結びついていないことから、私たちは思考内容を発展させることで自らを変容させることができるのである。

私たちの死後には肉体からエーテル体、エーテル体からアストラル体、アストラル体から自我(霊体)へと変容していくプロセスが控えている。

その変容のプロセスでの力を担っているのが「良心」という論理的思考をもってして直観的思考を言語化する霊的な個性が生み出す私たちにとっての未来の言語であるロゴスなのだ。


その霊的な個性の因果がロゴスとなって魂的な人間を創っている。


私たちは確かにロゴスである「原言語」も理念界をも知覚することができない。

しかし、現代の人間のデフォルトである自らと他者の間にある空間の知覚を言語を通じて思考する権能が提供されていて、その言語が思考を触媒とした影の概念であることから直接的に自我と結びついてはいないという関係性の事実を考察することのできる機会の中にあるのだ。

論理と直感を融合させた思考の翼を未来の言語とした人間の未来へと飛ぶことのできるロゴスを通じて高次世界を自らの眼で視て、聴覚で聴く機会が今その瞬間の地上経験なのである。

また高次世界は私たちの無意識である眠りの中で絶えず活動している。

そのことから誰もが人間を人間たらしめている純粋自我である高次元の自我の活動を眠りの間のその叡智の所作を知ることができる。

そういった洞察が現代の人間である私たちの思考に提供されている可能性であり、アトランティス初期から中期の人間たちの仕様にこの論理的思考を直観的に思考するといった思考の概念そのものが丸ごとなかったのだ。


彼らにあったのは強力な生命力を後ろ盾としたロゴス(原言語)の反響のみだった。

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