アメイジング シュミレーション#9 アカシックレコード:地球紀レムリア人編/中期(月の分離)
#46
旧約聖書:創世記第二章
「主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた
主なる神はそこで人を深い眠りに落とされた
人が眠り込むと肋骨を一本抜き取り、その跡を肉でふさがれた
そして、抜き取った肋骨で女を作り上げた」
レムリア時代の大陸にはすでに様々な動物と植物の原初存在がいた。
人間はまだ惑星を創造する神霊の手足の手足となって活動するエーテル存在としてその魂に自分という概念すらない純粋な精霊だった。
同時に人間が視覚化されない地球にはまだ鉱物はなく、最も次元の低い領域は植物界に相当する何かによって生命は営まれ、地球はある意味でとても柔らかいというか、音の波そのものでもあった。
柔らかいという状態もある意味霊的な反映であり、その柔らかい地球の状態とはとても生命的であることからその地表は現在のものとはかけ離れた有機体に近い生命的な世界を空間としていた。
まだ地上に降っていない人間の魂であるアストラル体は地球の大気圏である火の霧を通じてそれらの空間のエーテル体と結びつきながら、地球受肉の観察のためにある意味地球のエーテル体とは結合していた。
その際に火の霧から流れ出ていた多くの糸は地球のエーテルと繋がることで人間は「地の子」として地球産の受肉体を獲得していく。
これが「アダム」である。
「地の子」とはヘブライ語でアダムを意味している。
火の霧とは地球空間を埋め尽くす大気でもあり、のちの血液でもあった。
火の霧と地球のエーテル体を繋ぐ糸である血液が地球の相転移である月の分離を経て、やがて地の子となった人間の受肉体の内部に流れるようになっていく。
月が地球から分離することによって火の霧が晴れたのである。
地球の前世である古い月によって硬質化し、生命が荒廃していく呪いから解放された地球は、固い鉱物の地表と柔らかい植物的な生命の要素とが融合した天体としての道に至る。
その融合の結び目となったのが火の霧の糸を凝縮させた“へその緒”である。
人間の母親と胎児とを繋ぐ“へその緒”はかつてエーテル状の地球と火の霧の中にいた人間とを結びつけていた。
つまり、“へその緒”とはかつて人間が母なる地球と繋がっていた名残りである。
そして、人間は地球と結びついていた“へその緒”の糸を断ち切ることで独立する。
そうして人間は地球からではなく、人間から産まれるようになる。
人間の魂が人間の子として地球の上で地球とは別の存在として繁殖していく。
もはやその姿はゾウリムシでも空間を泳ぐクラゲでも鳥魚人でもなかった。
月の神々が地球から退くことによって人間への影響の変化が最も変化したのは人間の魂が受肉のために整えてきた人体形姿だった。
まず火の霧から創り出した人間の諸器官は高次存在の支配力を維持され続けた。
火の霧の諸器官とは思考と人格を反映できる、とある神霊存在の悟性法則の模像として新陳代謝と生殖活動が可能となる二つの機能を下半身へと作り替えた。
こうして生まれたのが「イヴ」である。
下半身である「イヴ」を創造したのは月の神々である。
月の神々とは地球紀で天使と呼ばれる元月の住人である。
天使は月紀で動物人間を経て天使の位階に進化した元月の人間だ。
だから天使たちは地球では一度も人間を経験したことがない。
天使は地球のエーテル体に属してはいてもあくまで月の神々であり、物質体も有していないことから彼らは地球の物質環境を知覚することはできず、地球に滞在していたことはない。
天使が地球のエーテル体に属していたというのは、地球のエーテル体が地球の前世である月が霊化されたことで地球の生命力として各生命体の運命形態を担うようになったその反射を天使たちは人間のエーテル体のを通じて経験し、人間の地球的経験を学びながらその生命を支えてくれている、いわば守護霊である。
よって天使たちは依然として月の住人の影響下にある私たちを監視している。
その始まりが天使と同じ位階の権能を持つ月の堕天使による地球の硬化だった。
地球の硬化である凍結が地球のエーテル体を退けることを阻止するために、月の神々は自らの分霊でもある月の堕天使を引き連れて、地球の中で活動していた月の諸力を引き剥がすことで月と地球は分離することとなった。
月が地球の衛星となる。
これは月の神々である天使が地球との結びつきを諦め、太陽へと戻っていったことを意味し、太陽よりも近い位置で地球を反射する月の堕天使による諸力が地球環境を形成するようになった、ということだ。
いわゆる地球の物質化の起源というやつだ。
それでも地球の核である前世の月である霊化されたエーテル体は存在していたが、天使が地球から離れることによって単一での内部的な生殖ができなくなり、植物を含めた生物の生殖機能の多くは月に持ち去られることによって、地球に残された私たちが生殖を行うためには自分以外の外部の力を借りなければ繁殖ができなくなる。
性別の発生である。
生殖の力の多くは月に持ち去られることによって全ての生物の生理現象は月の満ち欠けの影響を受けている。
私たちは天体としての月と付き合いながら地球で活動しているということだ。
私たちの性別は月の分離による神々との分離による月の思考を由来としている。
また惑星宇宙とは天位階の神霊の階層ヒエラルキーのことだ。
薄明の神霊を冠する天使は天位階九位で神霊ヒエラルキーの最下層にあたる。
それでもその偉大なる権能は地球の自然環境を漂う元素として観測されている四大精霊の全てを統括し、エーテルと呼ばれる地球単位の生命力を司る自然の神である。
天使は地球に堕ちた自然霊の状態を通じて現在の月の住人を監視している。
現在月を住処にしている住人とは月出身のルシファー存在のことである。
ルシファーは各宇宙紀ごとに自らの位階を下げながら高次元の神霊に干渉しながら、人間の退化を促すことでの宇宙環境の出現を通じて、根源の神々の意志を反故にする働きを役割としている。
そのことから現在のルシファーは月紀で堕天した人間の残留思念として地球を覆うアストラル体そのものとして転生した地球の人間の魂そのもののことなのである。
つまり、地球とはこの堕天した月紀からの亡霊である人間のアストラル体の系譜を引き継いだ動物的な人間とその動物的なアストラル体を克服し、その魂である地球のアストラル体を霊化させるために天使は人間の生命体に自然霊を通じて働きかけている。
その天使及び上位位階の諸力が地球の内核となり、月の住人である月紀の堕天使であるルシファーが外の月にいることの波が地球の重力となっている。
こうして地球から偉大なる神々の多くがいなくなっていった。
人間は人間だけの力で生きているという認識を強めていくこととなる。
その認識の働きを促していったのが人間の上半身だった。
上半身である頭の開発は高次存在とは別の存在が影響しないよう働きかけていた。
別の存在とは月分離前の火の霧の中でまだ支配力を行使し得なかったが、人間よりも光に近い発展段階にいて月の神々には及ばずも共に活動していた。
月が地球と共にあったレムリア時代では彼らの諸力が人間に融合していた。
人間はこの時点で神と一体であったことから神々の領域に属していた。
しかし、人間の魂だけが天使たちの意図よりも早期に地球へと受肉していく。
神々は地球紀の人間を天使人間へと完全なる神としての仕上げを行ってから、地上の天使に地球のアストラル体の霊化を目指したが月のアストラル体と共に堕天した月の人間たちの魂を利用した反感によって人間の魂の核である霊は神々の想定よりも遥かに早く地球の魂に受肉させられることとなる。
それは霊として休息期を獲得していたために本来の超越的な神としての権能を自ら放棄し、人間たちが自ら悟性器官に働きかけている準備期間の際に形態の神霊から奪い取った“自我”の地上的な部分を別の高次存在が上半身として人間の脳を新しく構築していたことによる計画の始まりだった。
その別の高次存在が月のルシファーである。
ルシファーは人間の宇宙紀が始まった当初、本来は熾天使のセラフィムだった。
それが土星紀においてケルビムの位階にまで降り、人間の霊的進化への干渉のために逸脱を自ら帆を進めることによってその最高次と最低次の次元を降下させていく。
人間及び神霊は自らの一なる自我を織り目に宇宙的(地上的)顕現体三段階と霊界的(霊体的)顕現体三段階とを折り重ねるようにして干渉し合うことで互いの世界を一つのものとして顕現させている。
人間が各惑星紀を経ていく過程で上昇していくのとは逆に、ルシファーはその顕現体の次元を絶えず人間の自我に近づいていくことを目指してきた。
太陽紀のルシファーはトローネにまで降り、以下7層の神霊に根源からの逸脱の働きかけは大天使であるエロヒムから霊我を自我とする守護の神霊である天使の位に受肉する。
その後、月紀の始まりには叡智の神霊であるキュリオテテスにまで降りることで、ルシファーの自我は人格の神霊アルカイにまで落ち、当時の動物人間の自我に干渉することで凶暴なアストラル体の暴走に加担する人格的な働きかけをする。
そのことが月紀を由来とする天使になり損ねた地球の人間自我の逸脱要因となる。
そして、地球紀の顕現期の天魔戦争にてデュナミス級の逸脱天使である堕天使群を率いたルシファーは地球の神である形態の神霊が担っていた人間の自我の自由意志の進化のシナリオを賭けた戦いを 嗾ける。
その結果、ルシファーは地球紀の人間の地上的自我のシナリオを手に入れる。
地上的な自我とは個我を有し個別化したアストラル人間のことである。
アストラル人間とは天使へと向かう天使人間とは逆行した動物的衝動を「愛」とする退行的な魂に自我の可能性を有した人間の魂のことだ。
ルシファーはこのレムリアの時代に人間のアストラル体への受肉を成功させる。
受肉と言ってもルシファーもまた肉の身体を持たない。
自らの意志で堕天を繰り返してきたルシファーは腐っても天位階一位の神を原型にした分体をありとあらゆる階層への浸透し、逸脱の意図をあらゆる高次宇宙の神霊にばら撒いた末、地球紀の現在では大天使の位階の生命霊を自我としている。
感情体であるアストラル体は天使の階層に相当する霊我に干渉し、生命力は人間の自我に依存することでルシファーの最低次元構造体は人間のアストラル体を活動の道具として降臨している。
最低次元構造体とは私たち人間にとっての肉体のことである。
つまり、アストラル体を肉体とするルシファーは私たち人間より二つ上の次元の世界、欲望と情熱を司る感情体の世界を闊歩するアストラル存在なのである。
また、二つ上の次元の格差とは人間から見た動物のさらに下である植物に相当することから、ルシファー及び大天使位階の高次存在は私たち人間のことを植物程度にしか認識していない。
よって人間の自我とアストラル体には直接干渉はしているが、人間の生命体であるエーテル体と肉体である物質体には関与していないことから地球そのものである地上の多くとほぼ無関係の存在なのである。
堕天使ルシファーとは幻想を司ることで霊魂を誘惑することのできる悪魔である。
その誘惑の対象はアストラル体を有する神霊を含めた全ての対象に及ぶことで地上の人間の魂に宇宙という像を提供し、想像させている、極めて高度に霊的な行動を行う高次元の悪神なのである。
ルシファーの地球紀における最高次元構造体は運動の神霊デュナミスでもある。
最高次元構造体とは霊界での三位一体での体系の最上位形態のことだ。
人間で言えば霊我、生命霊、霊人の三つが霊界での活動体にあたる霊人が最高次元構造体にあたる。
地球紀のルシファーは形態の神霊を超えた運動の神霊(力天使)にあたる。
力天使の持つ力とは宇宙に創造の力をもたらす霊界の光のことであり、運動とは霊界の変化を提供する権能であり、その反映として宇宙の万物に回転という現象(法則)でエネルギーを顕現させている。
つまり、デュナミスとは宇宙と霊の魂、アストラル体の神である。
デュナミスの神性は宇宙にアストラル体を提供し、宇宙の生命に動きをもたらし、動物的な因子を創造し、水の精霊であるウンディーネの生みの親として月紀のシナリオを担当した月の神々の監督のような偉大な創造神が一柱として霊界に依拠している。
ルシファーはデュナミスの一部を堕天させることで地球と月の関係に干渉した。
地球からの太陽の分離は太陽の神々の地球からの流出である。
月の分離も同様に月の神々が地球から退いたことによる。
その他太陽系の惑星もまた地球から去った天体であることを考慮すると見えてくるのは、それぞれに神々が住む星であるとするならばそれぞれに地球から出ていった、ということだ。
また別の言い方をするならば私たちが見上げている空や天体の本当の姿は高次元の神霊の物質的な顕現体なのである。
そう見えるよう要請されているのだ。
地球は次々と神々からの独立を要請されているのだ。
そして、その要請を働きかけているのが逸脱の神々である堕天使存在なのである。
ルシファーは人間の魂の自由意志を憎んでいる。
ルシファーは人間の魂が地上的な善や地上の神秘的な幻想や迷妄や逃避に眠り耽った霊的なものに満たされるのを望んでいる。
ルシファーは人間を霊的な自由意志を持たない機械のような存在にしたい。
同時にルシファーは自由意志による地上の人間の悪への可能性を望んでいない。
悪だと思われる行為をした時に罪悪感を覚え、血の気が引いて、元気がなくなるのはこのルシファーの意図に反した行いだからだ。
ルシファーは地球のアストラル界を介して、人間の魂が地上世界での欲望と快楽に熱を帯びる手助けをすることで、その人生の成功の熱狂を善とするよう誘惑する。
その過程でルシファーたちは地上の人間の魂を早期に霊的な高みへと導き、人間の魂が何のために地上で活動をしているか等の俯瞰的な視点である意識を客観的に思考することのできる意識魂が完全に機能する前に地上の素晴らしい思い出を人間の魂に詰め込ませる必要があった。
ルシファーが望んでいるのは人間の魂の地上での安寧なのである。
その魂の物質的停滞による霊界でのアストラル界の充実と拡張なのである。
だからこそ、人間が霊の中から霊的な自由意志を持たない単なる霊的なものの模写である夢の幻想による表象に情熱を燃やし興奮させてくれるその刺激による幸福感に酔い、人間が霊的な自由意志によって地球に出現しているその本質的な意味を忘却したままでいてもらいたい。
自由霊である人間はその霊的な進化を歩んでいる過程にいて、その権能である転生の自由を有した存在としての使命を忘れ、眠ったまま生きる地上でのみ自由を発揮できる機械のような人形であり続けていてほしい。
自由意志を許されることのなかった自らと同じように・・・
こうしてレムリアの時代に人間の魂は自らの肉体であるその足で立ち上がる。
月の分離とともに月の神々であるエロヒムたちの働きかけが太陽へと退くことによって人間は直立歩行を行うようになる。
この直立歩行を促したのがルシファーの創造した脳組織である。
人間の脳はその起源から人間の魂の自由を象徴している。
まず、人間の脳は地上に対して垂直であることから地球の重力から自由である。
人間の脳は脊髄の頂点にて開花しているわけだが、私たちは頭からの姿勢を垂直を保っている限り、自らの頭蓋に収まる脳組織全体の重さを感じることがほとんどない。
なぜならアルキメデスの法則である浮力が働いているためだ。
脳自体の重さは1500gから2000gあり、決して軽くはないのだが、頭蓋内の脳水(脊髄液)に浮かぶ浮力の力を利用することによって20g程度にまで実感を軽くすることによってその存在に負担がないようにされている。
地上にて自由に思考し、観察し、活動するためだ。
また、人間の脳の重力から自由な仕様は絶えず思考を受信するためでもある。
人間の脳は地上を水平に移動している。
浮力を有して揺れることなく移動する、まるで人体という鉄道や車の座席にゆったり腰を下ろしているかのように、人間の脳は地球の重力に従いながらも関係していない。
では動物はどうだろう?
四つ足で地面と歩く動物は脳を含めた全身で地球の重力の影響にさらされている。
鳥も同様だ。
飛んでいるから重力から自由なのでなく、直立ではないその形態の姿勢が地球の生命体の反映だからだ。
地球の生命体の反映とは地球との親和性を意味している。
彼らの感覚的な魂は地球と一体となっているため自分と自然との境界がない。
そもそも動物には自分と自分以外の境界がないことから記憶が存在していない。
記憶とは自分という自我があってのことだからである。
動物にもアストラル体という感情体がある関係で脳が備わっているが、その脳は人間のものとは異なり自我が降りていないことによる。
地球の動物の自我は霊界のアストラル界である星座の世界に存在し、ライオンならライオンの集合魂、うさぎならうさぎの集合魂が一つに収束した各種の動物自我の本体たちの感情がそれぞれに受肉を果たした地上的生命体としての姿なのである。
彼らは月紀の私たちとほぼ同じ関係を通過し、地球の次の宇宙紀である木星紀にて地球での動物自我を地上に分離することによって、地球での私たちと同じように自己意識的な動物衝動を感情として受信することを生命とした活動を行うことが約束されている。
ただし、物質体はすでに消滅した天体での思い出のような生命体としてだが・・・
月が分離したことによって地球の諸力から独立した私たち人間の魂は自らの力で生殖を完結させることができない人間の肉体に受肉することとなる。
月の神々が地球から退くことによって脳の思考が人間を直立させた。
脳はほとんどに動物に搭載されているが、人間だけが直立したのはアストラル体であるルシファーの思考が人間の脳に干渉し、ルシファーが自らの似姿として人間を創造したからに他ならない。
地球環境は神々の思考によって作られている。
鉱物も植物も動物も人間も、地球の自然全ては神々を主とした被造物である。
その被造物の形態は天位階六位の形態の神霊である能天使が司り、その手足として天位階七位以下の神霊たちがその思考に基づいて、金星、水星、月の惑星天体の軌道から地球生物の秩序を太陽生命のもとで遂行されることで私たち人間の魂(意識)は地球と宇宙の地層のいくつかを認識することができている。
その認識は月軌道内に展開されたアストラル世界に囚われている。
その認識の展開はこのレムリア時代の月の分離によって始まる。
ルシファーの創造した脳が宇宙という概念を再創造したのだ。
アストラルとは星の世界を意味し、その由来は無限でありながらその星々はお米粒にも満たない極小サイズの無数の天体が、地上の地球とはまるで関係がないかのように夜の闇に儚く煌めいているとても遠い存在として私たちの認識の目に映っている。
それらの移り変わりのことを私たちは暦である時間と呼んでいるが違う。
それらは全て私たちが認識している空間に過ぎないのだ。
空間とは脳が認識し、知覚できる、領域のことであり、そこにはすでに終わった時間である現象だけが空間化していることから神々の提供する人格だけに存在している時計の針の動きのことを人間の時間として活動を始めたのがこのレムリアの人間たちなのである。
その脳内人間たちを直立させ自立のための指導をしたのルシファーなのである。
私たちは私たちに与えられている20gの可能性にもっと真摯である必要がある。




