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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第4章 アメイジング シュミレーションのために
43/64

アメイジング シュミレーション#6 アカシックレコード:地球紀ポラール人編

#43


地球紀の人間の魂のカルマは幾何学に由来している。

幾何学とは数量や程度は不明であるが図形や空間を考察する学問の分野にあたる概念的なシンボルのことなのだが、その概念が私たち地球紀の人間が見上げている宇宙を展開させている、という意味で人類という存在及び人間的認識そのものがカルマとして現象化している。

いわゆる宇宙に思いを寄せる集合的魂によるカルマというやつだ。

カルマとは宇宙の行為による因果応報のある種の呪いである。

その呪いが集まったものが霊界の異物として霊界下層へと突き落とされている。

それがアストラル界である。

アストラル界は私たち人間の魂が投影している宇宙となっている。

そして、その宇宙を形成しているのが月なのである。

月といっても正確には地球を周回している月の軌道が反射壁となってである。

宇宙の五次元モデルとして採用されているホログラフィック理論におけるAds/CFT対応の次元を一つ下げた重力の影響を受けないとされる二次元の高エネルギーの情報空間に私たちは無限の宇宙を演算している、という仮説が満更でもないのだ。

あるいはそうとしか思えないような認識を概念化させられている。

相対性理論のアインシュタイン博士の言う「あらゆる問題は発生と同じ次元では解決できない」ことの物理的最大スケールの解釈を示しているのがホログラフィック理論であり、超弦理論が示唆している十一次元階層宇宙で、そのアイデアや概念は月の周回領域の認識を創造しているアストラル界(魂)が提供している世界観の合法則的な都合だ。


それらが地球の前世である月からの因果としてアストラル(星界)的に投影されている。


絶対にして究極的な結論を言うと私たちの世界である理念界は一元である。

世界は一つなのである。

ゆえに目の前の宇宙には全ての現象が隅々にまで折り畳まれている。

世界は一元論で語られなければならない。

その一なる世界があらゆるものには常に二つの側面があると要請しているのだ。

だから私たちはあらゆる現象に二つの側面を認めなければならない。


⒈精神存在として人間に属するもの(=月軌道外(太陽系+黄道一二宮)の領域存在)

⒉人間の周囲に作り出された自然界に属するもの(月軌道内(地球圏=月の投影)の反射領域)


この二つのスケールが一人の人間の人体に凝縮されている。

動物にも凝縮されている。

植物にも凝縮されている。

鉱物にも凝縮されている。

それらを凝縮しているのが元素にして精霊であるエーテル存在、四大元素霊のサラマンダーが地上に熱を、シルフが地上に光と空気を、ウンディーネが水と音を、そしてグノームが土と生命を人間自我のアストラル界の“やり直し”とともに突き落とされた地球生命(エーテル)によって地球の天体状態が用意されていく。


第四循環:第一小循環(ポラール紀)=月の来世としての地球は再び古い土星紀を繰り返す。


月紀休息期を終えた地球は巨大なエーテル球として存在し、純粋で神霊的な惑星状態であるエーテル地球はその中に太陽と月とその他諸惑星の全てが火の霧のような状態の成分として含まれていた。

土星軌道内には熱だけが存在し、太陽系にはまだ太陽すら存在しない。

エーテル地球とは太陽系の全てを単一のものとして結びつけていた。

その周囲を包み込むように霊的大気圏がエーテル地球を特定し、そこにアストラル界を展開していくことでアストラル界に存在していた人間の魂が霧状の地球エーテルを吸いとりながら暮らすことで、自分の身体を形成してきた過程の宇宙体に人間は属していた。

熱の物質体、光と空気のエーテル体、水と音のアストラル体を思い出す。

その身体の胚珠には動物と植物の要素に鉱物の要素が融合されていた。

やがて地球の種として新しい物質状態の鉱物的可能性がこの地球紀で初めて構成されるが、現在の天体としての地球が現れる以前には古い土星紀を繰り返している。

彼らの魂はまだ霊的大気圏にありながら融合的エーテル人間たちの卵やどんぐりの殻のような熱構成体に現在の地球の北極あたりを進化の拠点として与えられていた。

彼らエーテル人間はポラール人と呼ばれている。

このポラール時代に人間のエーテル体が下降していく様子を様々な民族の神話や伝承の創世記にその一節を伝説として今に残している。


旧約聖書:創世記一章

「はじめに神は天と地を創造された、地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊(人間の魂)水面(エーテル)(※実際の水ではない)を動いていた」


アストラル体としての私たちの魂は自分のエーテル体の一部でこの火の地球に触れることで、現れたり、没したりの作用の中で“地球そのもの”と結びつきを感じ取っていた。

その“熱”により人間の中に生命が点火されることとなる。

その感じは月紀で獲得した周囲の快不快が色としての象徴や比喩が現れる夢のような形象意識でポラール人間と結びついて地球での感覚の萌芽を人間の萌芽へと目覚めさせる働きを感受していた。

また魂の自我的な思考である霊であり精神はまだ霊の国である霊界にいた。


いわゆる高次の人間である。


高次の人間は土星紀の熱の時代より人間界の自我として原初から存在していた。

高次の人間は霊界では自我だけを有し、その低次の姿として熱人間という土星紀の熱要素を振り撒く精霊のような役割を反映させてきた。

土星宇宙では元素精霊であったことからサラマンダーと呼ばれていた。

古い土星紀より準備されてきた人間界の自我が地球紀では月紀に獲得した荒ぶる魂を霊化させるべくサラマンダーから完全なる物質体に受肉することで霊界の自我を降せるに至っていた。

土星紀のサラマンダーという元素体より太陽紀でエーテルを反映させるシルフ、月紀でアストラル体を反映させたウンディーネという環境要素を各宇宙紀にて体的に重複させ、地球紀では物質体を反映させるグノームによる鉱物体を纏うことで地上での使命を執行する究極の受肉体を獲得しているのが私たち人間なのだ。

この段階の人間霊である自我は原初から変わらず霊界に在籍し続けている。

霊界の人間界にいる私たちは各宇宙よりに与えられてきた霊人(土星紀)(アートマ)、生命霊(太陽紀)(ブッティ)、霊我(月紀)(マナス)という霊的器官を備えた高次の人間の霊的共同体として地球紀を観測している。

その傍には形態の神霊(天位階六位)エクスシアイがいた。

能天使であるエクシアイとは隣り合っていたというより融合状態に近かった。

形態の神霊は太陽系の惑星に形態を付与し、その“霊的形態を持続的に維持する記憶を生命とする自我”を人間の人体に付与することを役目として高次の人間と地球創造の仕事を指揮していた。

つまり地球の神である。

そして当時の高次の人間は形態霊は結びついていてまだ独立していない。

要は形態の神霊の意識の中に私たち高次の人間はいたということだ。

地球創世記の段階では私たちの手が独立することなく人間有機体(形態の神霊)の一部として結びついているのと同じように、霊人である高次の人間は形態霊の構成する霊の国の一分肢として地球の自分の居住地である人間(自我)の萌芽に鉱物(土星紀)植物(太陽紀)動物(月紀)の意識を融合させた精妙なエーテル物質で地球を形成する細胞の役割を担っていく。


この高度に霊的な状態を準備している没形象状態のことをアルパ球と呼んでいる。


アルパ球とは形態の神霊の意識が分離したもので、その中で人格の神霊であるアルカイが高次の人間の自我状態となって地球の人間創造の仕事を行い、火の神霊である大天使が動物(アストラル)意識を統括する自我となり、薄明の霊である守護天使が植物意識を統括する自我となることで地球の生命体が準備されていく。

彼ら(下級神霊)は言うなれば形態の神霊という地球の神のしもべである。

アルパ状態とは中級神霊の固有能力でもある分霊(ワケミタマ)で、それはカタツムリの殻を生命のある状態で切り離し、その各臓器を機能させている生命に高次の思考内容を提供する上、さらにその思考に記憶であるエーテル組織を通じて下級神霊を自らの手足のようにその結びつきを感受することができる。

私たち地球の人間にはそれができない。

私たち地球人は自分の肉体から切り落とされた髪や爪、吐き出された唾や排泄物に、肉体から取り除かれた血液等の臓器でさえも、もはや“自分の肉体ではない”とわかると途端に無関心になる。

もしも、私たちの肉体が自分と絶対的に結びついている所有概念であるならば、たとえ切り離されたとしてもその肉体の一部は“自分そのものの一部である”と命懸けで拘るはずだが、私たち地球に生きる人間自我は自分から切り離された部分に対してはほぼ何の愛着も示さない。

むしろ、うんこや臓器の飛散は穢れとすらみなす傾向にある。

ゆえにその結びつきがなくなればたとえ肉体であっても、それはただの物質であることからもさほど重要ではなくなる。

つまり、自分という概念は肉体と結びついているからこそなのである。

これを言い換えると私たち地球の魂である意識の言う自分とは、結びつきによる“相互作用”のプロセスの中にある、と言うことだ。


私たちの自分とは「相互作用の認識」のことなのである。


その相互作用の認識の範囲が人間の肉体を範囲に縛られているが、人間及び地球の生態系や自然環境の土台であるその天体を創造した神霊たちの認識はその限りではない、と言う話をしている。

アルパ球内における新しい可能性である鉱物のエッセンスはまさに形態の神霊の意識であるカタツムリの殻の外壁にあたり、形態の神霊そのものではないが地球環境は形態霊の生命(元素霊)を受け取った地球の惑星神霊の反映であると言える。

例えば人間の受肉体である物質体は土のグノームの鉱物体と素材を共有している。

サラマンダーの(自我の反映)、シルフの空気と光(エーテル体の反映)、ウンディーネの液体と振動(アストラル体の反映)も然りだ。

アルパ球の中で人間は各元素要素が自我を受肉させる準備を進行させていた。

土星紀の暗い熱意識を体験している私たち地球の人間の自我はこの段階での物質体の可能性である鉱物で人間の肉体を創造している地球の惑星神霊たちが形態霊のカタツムリの要素を背負って、この地球紀の人間に相応しい思考体を準備していた。

このように地球宇宙が古い土星紀の状態を非物質の没形象状態であるアルパ球にて繰り返している最中、地球の人間とその環境に関連している神霊たちもまた古い土星紀であった頃の姿を通って新しい宇宙の犠牲となることで古い宇宙の霊化への力が尽くされていく。


○地球紀

第四循環⬇︎  根幹人類紀 地球状態

第一小循環:ポラール紀=土星紀のやり直し

第二小循環:ヒュペルボレアス紀=太陽紀のやり直し

第三小循環:レムリア紀=月紀のやり直し

第四小循環:アトランティス紀=地球紀の始まり

第五小循環:アーリア紀=地球紀の成熟 ⒈古インド(BC7227〜)文化期      

           2160年毎に周期▼⒉原ペルシャ(BC5067〜)文化期

   ※太陽系と地球の歳差運動に基づく⒊|エジプト(BC2907〜)・カルデア文化期

地球の歳差運動は天の川銀河の黄道一二宮⒋|ギリシャ(BC747〜)・ローマ文化期

             ※現文化期▶︎⒌ゲルマン(AC 1413〜)文化期

                   ⒍ロシア文(AC3573〜)化期

黙示録の終末予言の時代⬇︎       ⒎アメリカ(AC5733〜)文化期

第六小循環:霊性回帰の時代=七つの封印の時代

第七小循環:霊性回帰の時代=七つのラッパの時代


ポラール紀に形成されてきた地球のエーテルが濃縮された生命的なアルパ球はやがて魂となり、その心魂的な生命状態から物質形態に至るまで元素精霊たちが凝縮していく過程で人間の夢のような形象意識を参照していくことで精妙な生命的な魂が輪郭を有した物質状態へと達していく。

土星紀のやり直し(熱状態の反映)を進行させている人間界にアストラル要素が強まっていく。

この濃縮の過程にこれまでの宇宙紀のエッセンスの全てが胚種となっていた。

その胚種の過程が各宇宙で結晶化し、種子となって出現しているのが人間なのだ。

今宇宙紀である地球の種子としての人間には二つ側面がある。

一つが地球を起点とした天動説とも言える太陽系の序列に属する人間。

もう一つが太陽を起点とした月の反射が脳となった地球に属する人間。

前者は恒星天を描く黄道一二宮の星座から形態化した胎児が太陽系の七つの惑星のそれぞれの生命の営みを受け取った人間と地球を宇宙と結びつけている霊としての人間の側面、それが道徳的理想の宇宙としての人間の中に霊的有機体として生きて存在している状態の人間。

後者は太陽の反射である月の力の影響を認識しているアストラル体の都合を反映させ、地球の人間に宇宙を無限と認識させることで、人間存在と宇宙との相互関係を切り離している魂としての人間の側面、それが数学的観念の投影としての物質的有機体が宇宙と地球と人間を像として存在している状態の人間。

この二つの宇宙的側面が一人の人間として融合したものが低次の個我なのである。

低次の個我とは高次の人間の反映であり、太陽でもあり、心臓の反映でもある。


この個我の相互作用の認識が予め奪われたのが地球紀のアルパ球でのことだった。

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