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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第4章 アメイジング シュミレーションのために
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アメイジング シュミレーション#4 アカシックレコード:太陽紀編

#41


彼ら高級霊の目的は土星紀に産声をあげた純粋自我であった私たち人間の萌芽を新しく創造され続ける宇宙における霊的存在から自分たちをも超越化させうる神霊へと進化させることにあった。

だから彼らは常にカタチを変えて私たちの目の前にあり続けている。

進化の経過を終えてなお再び新しい進化を始める。

つまり、人間に終わりがないように、神霊にも終わりも始まりもないのだ。

例えば私たち人間の純粋自我の宇宙である土星紀にその顕現体である熱体(物質体)としての生活始めた際には十一種の別の高次神霊が存在していた。

その内の四種は土星紀に先行する進化の諸段階にて霊的人間としての使命を成就していたことから、土星紀より始まる新しい人間の宇宙生活には関与せず、土星紀からの私たち純粋自我の神格化には人間以外の七種の神霊たちがその創造的権能を用いて自らの思考をそれぞれの宇宙進化に注力し担っていく。

そのアセンションとディセンションを永遠に繰り返していく。


それが宇宙開闢前のマンヴァンタラであり、宇宙崩壊後のプララヤである。


マンヴァンタラとは宇宙開闢前の宇宙創造が準備されている段階。

プララヤは進化を終えた宇宙の崩壊を成就した存在たちによる反省会を通じた宇宙の準備期間の始まりであり、犠牲となっていた崩壊した宇宙の断片を再び宇宙として復活させるための創造的休息のことである。

神霊による干渉と影響力は休息期に高まり、やがてピークを迎えていく。

人間の一生はこの休息期と宇宙進化と同期的照応している。

なぜなら最初の熱人間が宇宙の意志である時間というエネルギーだからだ。

この宇宙開闢のエネルギー現象は予め用意されていた、ということだ。

時間の始まりのことを私たちはビッグバンであり、インギュラリティであり、熱力学と呼ぶことで現在に至っているわけだが、この私たちそのものの進化のための時間の創造主とは天位階三位の意志の神霊で、彼らは土星紀に先行する宇宙の繰り返す進化の過程において人間の究極形態である高次の創造性を行使することのできる超霊的意識の獲得に成功し、やがて観測されるであろう宇宙の法則現象の全ての胚種として自らの一部を分離的に流出したのが人間の宇宙体となる土星意識である熱宇宙だったのだ。

また、この高級霊である意志霊トローネによる始まりと終わりの工程とでは一致しない。

自らの化身として熱宇宙となった意志の神霊はその宇宙人間の胚種に様々な神霊による萌芽の提供を依頼した後にすぐに土星宇宙を去ったが、土星進化が終わる頃に意志の神霊トローネは霊人の萌芽を通じて再び顕現し、熱人間から続く全ての進化段階に人間存在の原像として最高形態である単子モナドを保持させる意志の力となるべく土星紀の終わった休息期プララヤを過ごすも、トローネの座天使としての本来の仕事は土星紀の前半には終えていたことからもはや考察の対象とはならない。

土星紀の次の宇宙は天位階四位の叡智の神霊キュリオテテスに委ねられる。


それが太陽紀だ。


土星紀の人間は休息期間中に改造される。

様々な神霊から進化の胚種を萌芽として注ぎ込まれた熱人間は休息期に純粋自我と融合することで新しい宇宙での種子である新たな意識状態に出会うことで新たな人間状態のための準備が行われていた。

完全に昏睡状態だった土星紀の熱人間の生命状態である「意識」は地球で言えば鉱物に等しいものだった。

鉱物とは生命を持たない全ての対象のことを意味する。

それは宇宙上のことであって、宇宙を遊星的(素材による物質化)に形成しているその皮の中身と本性は高級霊であり天使の断片であることから、コミュニケーションは極めて困難ではあるが人間の眠りでいう昏睡という生きているとは言えない状態のことを鉱物と呼んでいる。

その鉱物的意識である昏睡状態を種子として芽生えた新しい宇宙の胚種は生長する植物に相当する昏睡から夢のない眠りにまで意識化された生命ある存在への進化を開始する。

それが太陽紀の人間である植物体だ。

もちろん植物人間としての外観は現在の植物のものではない。

その形態はむしろ現在の人間の方が近い。

ただし、植物人間の頭はまるで根のように太陽の中心の方へ向かっていた。

そして、植物人間の足は植物の花のように太陽と反対の方へと向けられる。

また物質でもないその植物のような体はいわば光り輝く空気で生命を反射させているエーテルだった。

そのエーテル体をまとった植物人間である私たちは太陽の上にいて、その太陽に頭から突き刺さるようにして足の花を咲かせている、といったなんとも間抜けな体でまだ身動きを取ることもできずに太陽の神霊である主天使キュリオテテスの恩寵をただひたすらに受け取っていた。

この太陽紀にて、私たち地球の自我は初めてエーテル体を獲得する。


 太陽紀 神霊  人間の進化段階

第一循環:叡智霊▶︎土星紀の熱人間段階をやや変化した形式で繰り返す

    第一時期:土星紀の人間の肉体に叡智に満ちた組織エーテル体を準備

    第二時期:運動霊によって土星紀の人体に運動能力(アストラル体)賦与の準備

    第三時期:形態霊によって土星紀の人体に輪郭賦与の準備

    第四時期:人格霊によって土星紀の人体に自我性を準備

    第五時期:火の霊によって土星紀の人体の自我に光を準備

    第六時期:守護霊によって土星紀の人体の自我に悟性を準備

    第七時期:叡智霊の素材エーテル(生命体)が太陽紀の人間の人体となって流出

第二循環:運動霊▶︎太陽紀の人間のエーテル体に運動能力を移植する

第三循環:形態霊▶︎雲のようなエーテル体に特定の形態を賦与する

        ※地球の人間の木星紀(心的意識)➡︎金星紀(超心的意識)での段階

第四循環:人格霊▶︎人間のエーテル体に対して自我性の精神を植え付ける

        ※火の霊が地球の人間と同じ自我人間として太陽で活動

第五循環:火の霊▶︎人間のエーテル体への働きかけ(自我的な)を人格霊から交代する

        ※火の霊はエーテル体の担当を守護霊に委ねる

         セラフィムが顕現しエーテル体を通してその意図を反映

第六循環:守護霊▶︎人間のエーテル体への働きかけ(自我的な)を火の霊から交代する

        ※守護霊は植物的な意識から動物的な暗い形象意識(地球の人間が見る夢)を獲得

         ケルビムが顕現しエーテル体に生命霊を注ぎ込む

第七循環:叡智霊再臨▶︎人間のエーテル体が霊化された生命霊の萌芽が形成

        ※守護霊たちがエーテル体の記憶の中に生殖力を享受(夢想状態で)

        ➡︎火の霊が引き起こした体熱が生殖を条件化し快楽の前提(月紀へ)


土星紀に展開された熱宇宙はすべての現象を反射させるものだった。

その反射は全宇宙に向けられることで宇宙を展開させていた霊界の高級神霊の恩寵である意志が熱となって、それが最終的にその熱がやがて遊星化していくことで時間だけが宇宙で漂っていた。

そのため土星紀の段階では熱宇宙とはしていたものの空間はまだなかった。

土星紀の遊星化を進める工程でその熱(物質体)が将来において霊化された物質体の萌芽となるべきものが形成されていっただけで、それらの現象はすべて物質になる以前の胚種を取り揃えていた、ただひたすらに霊界が宇宙になろうとしている段階を反射していた。

その反射作用が太陽紀を迎えることで宇宙の外から注がれるものを一旦吸収した後でその権能である諸力を反射する現象の遊星状態を「太陽」と呼んだ。


その太陽を宇宙の光として放射したのが叡智の神霊キュリオテテスだった。


いわゆる太陽霊、または太陽神と呼ばれる神霊だ。

もちろんその光とは霊界の光でその影である光は「エーテル」と呼ばれる霊界の記憶と叡智とその存在を介することのできる生命という恩寵を運んでくれる高級霊からの贈り物だ。

キリストやアフラマズタ、アポロンやアマテラスに他化自在天が化身とされる。

彼らはあくまで地球上での顕現受肉体に選ばれたに過ぎない。

キュリオテテスそのものではないが、その霊が超越的に退行的に降臨した事例の一つがゴルゴタの磔刑であるキリストの復活から始まる現在の地球エーテルが紡いでいる生命環境にあたる。

さて、太陽紀のエーテル体はすでに太陽上にあったが私たちのアストラル体と自我はまだ降臨の段階には至っていない。

人間的な霊魂はまだ太陽の霊的大気圏の中に留まっていた。

また、この当時の太陽紀にはまだ地球も月もない。

あったのは現在の地球上の内部で生きているすべてと月の世界に属している存在の全てがまだ太陽の中にあって、光となって顕現していた叡智の神霊であるキュリオテテスは彼らが付与していたものを全て吸収したものを反射することで、この太陽紀の時代に初めて宇宙に“内と外”という「空間」が出現しようとしていた。


その空間の境界形成を担ったのが太陽紀の植物人間だった。


太陽紀の植物人間は叡智の光を吸収しながら受け取ることで、時間の中にあったその光をあたかも叡智の神霊と同じように反射することで、新たな宇宙「空間」として返す。

太陽紀の光に生命を提供していたのは太陽世界の核として君臨していた叡智の神霊キュリオテテスであったが、かの神は自らの分神である太陽の胚種の用意が完了次第、すぐにその宇宙を去ることで光が生命となったエーテル体に霊魂を融合させていた植物人間が太陽の世界を照らすこととなる。

それが太陽紀に人間段階に進んでいた火の霊である大天使のエロヒムで、地球の私たちのような対象を覚醒的に認識することで当時の人間の物質体である光体を外界との交流のために使用することができるよう担っていく。

つまり、太陽紀当時の人間の物質体とは光だ。

まだ地球が存在しないように肉という物質そのものは存在しない。

彼らはエロヒムはこの光の体を通じて自分たちの魂の熱を周囲に注ぎ込むための認識を有していて、その光の生命状態を可能にしていたのが太陽紀の植物人間のエーテル体だった私たちである。

エロヒムは月紀で天使となり、のちの地球紀で大天使となるわけだが、この太陽紀では私たちと同じ明るい意識を有した人間として光を体としながらエーテル体に自我性を拡張させることで進化の課題と向き合っていた。

それが地球の命の灯火の番人で“最期の審判”を担う火の霊なのだ。

つまり、エーテル存在になりたての私たちは彼らの活動を「シルフ」という元素霊として太陽紀の光を有機的な風のように、空気のような現象となって大天使の光体での働きを支えていたのだ。

そのシルフ的なうねりが植物人間のエーテル体に浸透していくとやがて成長器官、消化器官、生殖器官といった分泌系器官の萌芽となって形成されていく。

その形成を担っていたのが太陽紀の人間のエロヒムであり、自らのエーテル体への自我的働きかけが成果として果たされていくと、それらの器官は地球紀の物質状態を経たさらに未来である木星紀において霊化された生命体である生命霊を認識することのできる自己意識的形象意識(夢の意識を明晰に認識)と呼ばれる自我状態へと地球で人間をしている私たちを導いてくれることとなる。

自我とは物質体、生命体、魂体を制御する力を秘めた超越的な存在のこと。

そして、地球紀現在のその役割は太陽紀の後半にて当時のアストラル体に扮して、その途中で大天使からエーテル体への働きかけの任務を委ねられた守護霊が人間のエーテル体を管理し、魂の状態を観察することで私たちを病気にしたり、休ませたり、死を迎えさせたりをするようになっていく。

ちなみに太陽紀時点で植物人間のアストラル体を担っていた守護霊は次の月紀にて人間となる元素霊ウンディーネと活動を共有している人間未満の存在である。


こうして私たち霊である人間種の末裔はその体に従った認識を宇宙とする。


古い土星紀の時代において私たちは物質体(熱体)を体とする鉱物の世界を生きていた。

そして古い太陽紀の時代においての私たちはエーテルを体とする植物の世界を生きているわけだが、土星紀の鉱物人間の全てが休息期を経て、植物人間へと須く進化を果たせるというのはあり得ない。

なぜなら植物が生長するために土が必要であることと同様に、植物人間がエーテル人間として生きるためには鉱物人間という古い土星紀と変わらぬ姿で太陽紀に存在している存在の基礎が必要だからだ。

早い話が太陽紀における鉱物人間というやり直しの存在は退化人間のことだ。

彼らは古い土星紀において準備されていた各段階のいづこかで必要な進化を獲得することが叶わなかった、あるいは必要としなかったか意志によって、自らつまづく事でエーテル人間としての進化を選ばなかった。


つまり、叡智の神霊(キュリオテテス)の恩寵を跳ね除け受け取らなかった存在がいた。


彼ら逸脱した退化人間は人格霊の亜種“闇の霊”の影響下で生きることとなる。

闇の霊は太陽紀の段階で地球の次の宇宙次元である木星紀の精神を有した神であり、ゾロアスター教の創世記で謳われている幾何学の神アーリマンが叡智と光の神霊であるキュリオテテスの対の悪神として私たちの人間進化に着手暗躍をスタートさせた時代が太陽紀にあたる。

アーリマンの影響下で進化を停滞させることを選んだ彼らはそのツケを太陽紀で精算することを余儀なくされている。

そして、その歩みは太陽上で行うことはできなかった。

太陽紀の退化存在たちはそこに新しい土星を作った先で進化を辿る。

それが太陽紀にて特殊な鉱物となって“熱光”を反射することで空間化していた。

その古い土星紀の残留物である反射熱が太陽紀の基礎となる。

熱は古い土星紀同様の基礎である反射の特質を有することで、太陽紀の宇宙に光を発する部分と光を発しない新しい土星の部分とができたために、それらの異なった反射の関係を体現する人間の意識レベルの違いが境界となって別の「空気」を生じさせるようになる。

キュリオテテスの眷属で光の精霊であるシルフからアーリマンが「空気」を奪い取った素材で、土星紀を繰り返している退化人間の昏睡意識に“闇”という空気を概念化したものを付与していく。

その闇とは幾何学の根源であり、暗く果てしない宇宙が地球の空に展開されているのを人間の悟性が幾何学を用いて見通せる因果ともなっている。

それが光と闇の境界の端であり、やがて地球と宇宙となり、朝と夜となる。

こうして太陽紀において“内と外”の概念は世界化されていく。

太陽紀という宇宙の空間は古い土星紀の反射熱を下地(宇宙的には外側)にした低次に留まる退化人間と光を共有するエーテル人間として高次に進化する植物人間とで意識を隔てた存在が太陽存在に“内と外“という違った「空気」の概念を提供すると同時に宇宙進化の基本法則を人間存在の進化がその状態の改善である霊化のための闘いを担っていくこととなる。


現在の地球紀の太陽では「黒点」が古い土星紀の名残となっている。


黒点は太陽という光の塊の中において光を反射させず、低温地帯であることから黒の波長を私たちの魂に認識させているわけだが、黒点が私たち魂に示唆しているのは「私たちが宇宙を傷つけている」という人間と宇宙との結びつきについてだ。

現在の太陽と古い太陽紀における太陽とではまるで同じではない。

だがしかし、人間の意識状態が太陽の状態を決めているという関係は普遍だ。

なぜなら、地球で認識されている太陽は空洞だからだ。

太陽は空洞であり、むしろ虚空間なのである。

ぜひ誤解してほしい。

太陽を始めとした地球から見上げている宇宙は全て月が反射している、月の都合を見せられている像のことを私たちは無限の未知として認識しているが、実際の宇宙も地球も地球を周回している月の軌道内において月の背後にある宇宙(惑星と恒星の霊界)の力を隠すようにして存在している人間を私たちは選んで生活をしているのだ。

月とは私たち人間の脳の創造者であるルシファーたちの居城である。

ゆえに私たちの脳は月の軌道内の宇宙の反射に囚われている、といっても良い。

だから地球の人間の認識は全て像であることの現象に太陽すら例外ではない。

むしろ、強すぎる太陽の光が私たちの生命認識を著しく隠していると言っても過言ではないほどに太陽の本質とは霊的であり、人間の本質もまた霊的本性にあることから、私たちの魂で行う熱力学的な生命認識がそのまま太陽に反射されることによって“黒点は生成されている”ことを私たちの魂は知らない。

自殺だ。

とりわけ青酸カリや毒盛りによる殺意と自殺が私たちの認識する太陽の黒点現象に直接的な影響を与えることを私たちの科学では「黒点の周期と太陽の活発化」が関連している、と主張。

太陽とは純粋な霊的存在たちの姿であるゆえに空洞なのだ。

その神霊は太陽という像に隠され、そこに純粋でないエーテル体の記憶が太陽に反映されることで黒点は現れる。

対象に殺意や自殺を抱かせる意識とは対象の正体が何かを認められない不明による不安の誘惑に染まることで、霊的人間であることの進化の道から逸脱する自由を選んだモデルを参照してしまった魂を「自分」と呼んでしまった顛末が現在の太陽の黒点に現象化している。

つまり、それに近しいことが古い太陽紀にもあったということだ。


そして、その太陽紀の遺恨が新たな闇となって宇宙は次なる段階へと進んでいく。


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