メニューオブ『ミストルト』 オーダー#4 「ルーシュ」という宇宙のカタログと時空の検閲者
#34
インスペックスとはいわゆる大天使のことだが、案内人であり検閲者としての大天使であるインスペックスは人間的な言語体系と概念が形態を成した影に過ぎない。
なぜなら大天使とは宇宙の境界である光や重力といった類の法則そのものだからだ。
天使が地球であり地上の自然循環を司る神霊であるとしたら、大天使は地球と太陽までの宇宙循環を司り霊的世界との境界に君臨している高次神霊である。
彼らは太陽の向こう側にいる。
ゆえに私たちが認識する神霊の類は私たち人間の足元をついてくる影と同様に、意識に現れる神霊もまた彼らの影であり実体ではない、ゆえにその姿で魂の世界に顕現している神霊形態のことをアストラル体と呼んでいる。
ロバート・モンローはそんな存在とヘミシンクの旅路の過程にてその邂逅を果たしていて、その宇宙生命体的な存在のことを彼はインスペックスと名付け、ある種の会話を行うことで叡智を授かっていたのだ。
インスペックスがモンローに明かした内容は主にルーシュに関することだった。
ルーシュとは魂のことでもあり宇宙を生命化させるためのエネルギーのことだ。
どうやらこの世界には「誰か(創造者)」「栽培者(提供者)」「収穫者(管理者)」という私たちの意識を知覚し、その意識のエッセンスを様々に切り分けてエネルギーとして扱うよう動いている『捕食者(三位一体)』が存在、私たち人間の目には見えない背後で宇宙の循環とその状態を運営していることが明示される。
そのため現在でも人間のルーシュが宇宙運営に最も有効であるとされることで優先的にその魂のエッセンスが太陽系宇宙及び地球の栄養として捕食されている。
また現在の人間に至るまでの生物的進化はその栽培効率の更新作業のことだ。
「誰か」によるその捕食が効率化したのはルーシュの栽培対象を苦痛や快不快からの恐怖の葛藤をメインとした動物的で破壊的な衝動を改めたことにあった。
それが恐竜たちの最期だ。
要は死の瞬間に限らず、“引き裂かれる”という願望の破綻が絶えずルーシュを生成するのであれば、「誰か」は人間に到達不可能な欲望を絶えず抱き続けるような“自我”の断片を人間の魂に提供し、その仕様に合わせた生態系に地上を改良することで、これまでの実績を圧倒する上質なルーシュの収穫が可能となる。
哺乳類型の生物はそうやって創造される。
その中に現在の人間の元となる生命体は創造されていた。
その存在は酷く力の弱い生物だったにも関わらず、とりわけ上質なルーシュを有していることが収穫からの提供によって知った「誰か」はそのルーシュを洞察したところ、その生物を「誰か」が知覚していた一方でその生物が「誰か」を認識していることから切り離された自分の孤独に苛まれていた。
その寂しさとは、ある種の「誰か」からの一体性を欠いたことによるものだった。
その蒸溜されたルーシュは別格のエッセンスを宇宙に栄養を提供する。
「誰か」は直ちに生物たちを改良し、この弱く儚く一体感を求める生物に都合良くなるよう環境も慣らすことで、現在の人間が万物の霊長とされる叡智によって生物界の頂点に君臨できるよう調整する。
これに満足した「誰か」は地球を去り、その後は栽培者と収穫者による管理統治の代行が「誰か」の参考者として試行錯誤されながら“愛、友情、家族、欲望、憎しみ、国家、戦争、飢餓など・・・”の栽培法を通じて継続的に“一体感”の欠如がもたらされる因果をばら撒いている。
そのことで宇宙は蒸溜ルーシュという上質な燃料を確保することに成功。
ロバート・モンローはインスペックスのこの啓示に愕然とする。
なぜなら私たち人間は生物界の頂点として動植物に対して捕食し続ける立場においての“捕食システム”を享受してきたが、まさか自分たちの感情やバイタリティーが人間よりもさらに上位の存在によって搾取されているとは思っていなかったからだ。
それでも彼はその全体像を把握するためヘミシンクのフォーカスを潜り続け、インスペックスの提供する魂の救済領域であるリング3のフォーカスを越えて、さらには自分が人間以前の存在だったことをも思い出すことでフォーカス49の向こう側とされる大いなる未知の存在が宇宙を細胞のように無限に構成している世界の根源にまで至る。
そこで彼は無限の本質である「誰か」が自分自身であることを知る。
彼はそれをトータルセルフと呼んだ。
トータルセルフとは、“人間に終わりがない”ことを悟ることのできた自分がいる一方で、そのことを悟ることなく欲望に振り回されている自分の人生が進行していたり、すでに人間を卒業することで各領域で彷徨っている自分をガイドしている等の自分のことをマルチに俯瞰することのできる認識状態のことだ。
観察とは対象に対して上位の視座と視点を持つということでもある。
だから興味深いことに、彼は肉体の死後もヘミシンクにおけるフォーカスのある領域内において、生者の魂である体験者のもとまで降りてきて、啓示を提供する側の存在として確認されていたりする。
これはモンローが体験者に観察の機会を提供していることを意味している。
さて、私たち霊魂はこれら認識との関係を解釈することを一つの使命としている。
私たちの感覚で認識された現象は須く事実であり、同時にその判断を違えている。
なぜなら、認識された出来事は全て正しい、そしてそこに判断の余地などあり得ないことから間違えている、という意味だ。
あるのは、なぜ起こったのかの原因からその事実を信じるに値する解釈のみ。
その解釈を時間の尺から行うのか、空間の尺にて行うのかで大きく変わる。
何が変わるのかはいうまでもなく運命という全体像への認識だ。
ロバート・モンローが示唆しているように“人間に終わりはない”のだ。
私たちは生まれてもいなければ死ぬこともない世界を輪廻している霊魂への認識を確かなものとすることによって、輪廻を促す存在との関係をも含んだ全体像で人間を見ることができるようになる。
人間の魂を栄養としているとした『捕食者(三位一体)』の解釈がそれだ。
私たち地上の人間が動植物をエネルギーとするのと同様に、人間を含めた生物、生命、星を存在させている宇宙的存在もまたその空間の中でエネルギーを消耗していて、その運用元が私たち人間の魂である意識空間によって補完されていたものだった。
例えば私たちの社会では家畜を飼い、田畑で植物を育て、その循環のための秩序を持続させるために教育や政治やテクノロジーが付随しているわけだが、それらは人間の社会を成立させているものであると同時に人間のルーシュを栽培し、収穫するのに最適な仕組みとして意識空間から創造された仕様なのである。
さらにいうと、それらの現象が創造された必然の因果がその背景に潮流している。
これを具体的にいうと、私たちが現実と呼んでいる物質を意識する空間を氷山の一角とするならば、その背後には物質を創発させている物質ではない別のエネルギーによる似たような仕様が私たちの認識の外側には存在していて、その存在者の一部がそれぞれに宇宙という空間の中で天体をしていたり、森や川となっていたり、動物及び人間をしているのである。
そして、それらは互いに互いを捕食し合うことで生かし合っている。
存在するすべてが捕食者であり栄養素である、ということだ。
つまり、宇宙存在全体が捕食者のカタログなのだ。
では大天使の影であるインスペックスはどうだろうか?
彼らは時間的な次元を調整している捕食者にあたる。
私たち人間の自我が物質世界の人間の肉体の生から死までを渡る時間存在だとしたら、天使の霊我は人間の生命の世界を体としての時間を渡る時間存在であり、大天使の生命霊は人間の魂の世界を体としての時間を渡る時間存在として、そして霊人である権天使は人間の霊の世界を体とした時間存在を影として、それぞれの時間階層から地球圏内の空間に関与している。
私たちの認識の光とは時間的ではなく、空間的で物質的な要素による認識ということだ。
私たちが認識している太陽と天体による時間観測とはあくまで時間的階層の影なのだ。
それぞれの時間階層とは、私たち地上の人間が肉体を通じて時間と呼んでいるように、天使であれば肉体の上位である生命体が身体に相当し、大天使であれば生命体の上位である魂体が身体に相当し、権天使であれば魂体の上位である霊体が身体に相当していて、それぞれの階層での流動にそれぞれに相当する時間の概念が彼らの手足として背後で働いている影が経年という現象を起こしている。
だから、フォーカスで示唆されている意識空間というのは正確には時間階層が位相を違えた認識の状態のことにあたる。
例えばフォーカス15前後くらいから人間的な時間、つまり肉体から解放されて、自分の過去や未来、人類の歴史の変遷あるいはトータルセルフ、アカシックレコード等を垣間見ることができるのは、肉体ではない時間の次元から空間を認識している状態のこととなる。
あくまで空間とは認識の対象であり、私たち人間の主体は時間の側にある。
空間は時間の影であり、時間は空間の影なのである。
また空間は精神化した時間であり、時間は精神化された空間でもある。
空間も時間もいずれも精神であり霊が各階層において変容してきた進化と退化の境界となって出現し、管理と調整を行なって運用されているのが宇宙の時間的変遷だ。
それらは全て神霊と呼ばれる天使存在の運動によって生じている現象なのである。
インスペックスの出現と邂逅はそれらの代行的現象を意味している。
人間:肉体を手足に時間を創発させている
天使:四大元素霊を手足に時間を創発させている
大天使:集合魂を手足に時間を創発させている
権天使:自我を手足に時間を創発させている
※創発=部分の性質の特性が単純な総和に留まらず全体として現れること
▶︎細胞の集合である肉体を通じて、肉体以上の存在として現れている人間の意
▶︎時間の集合である人間を通じて、各階層以上のシナジーを出現させている
彼ら神霊は霊としての身体を主体とし霊そのものを養分としている。
肉体で活動している人間は物質を栄養と摂取するように、肉体を持たない代わりに霊的な皮膚を有して内と外の概念を生命とする彼らは、根源の意志から連綿と流れ込んでくる霊的因子を生命として摂取することで現象としての役割を果たしている。
彼らはその因子の求めに応じて環境を創造するのと同時に霊的諸力を獲得する。
大天使の影であるインスペックスにとっての内と外とは地球と月の軌道を境界とした領域そのものが、人間の肉体における皮膚なのである。
人間が自らの肉体にとって必要であるものと害であるものを選別することを生存本能とするように、大天使もまた人間における肉体に相当する月軌道内の空間において、自我が注視した魂のエッセンスとそうではないものの仕分けの窓口を担当するための霊的諸力の権限を大天使として与えられているのである。
地球の自然界の境域の守護者が天使であるとしたら、地球圏内の魂界の境域の守護者であり検閲者が大天使に相当する神霊が人間の魂の浄化の過程、いわゆる“最期の審判”の経過観察の記憶保存する管理者として君臨している。
その管理下では、月にて人間の魂の低次の物質的な欲望を削ぎ落とし、金星にて文化や芸術的な精神を浄化し、最後に水星にて宗教観念を霊化させることのできた魂である純粋自我としての人間の霊のみが霊的世界の入り口である太陽の領域より火星、木星、土星領域を経て太陽系外の黄道一二宮及び宇宙の根源主の領域への道が開かれていく、というサポートの連なりが時間階層となり空間化しているのが宇宙なのである。
つまり、時間的存在である神霊及び天使存在は人間の良心を知覚し捕食しているのだ。
一方で宇宙の中の認識可能な存在物とは彼らにとっての吐瀉物。
その吐瀉的末端の産物である宇宙の時代と現象を現在の宇宙として観測している現象と現状のことを現代科学のアカデミーでは総合的に複雑系の絡み合った因果不明のカオスとして宇宙を見上げている。
重力は空間を歪め、光速は時間を圧縮し、原子は膨大なエネルギーを有し、恒星は死後ブラックホールを生成し、量子は瞬間移動し、電子は観測できず、宇宙の膨張は光速を超える加速度を持って毎瞬間ごとにその空間の無限の様相を強めている。
そして、その人間的認識そのものもまた観測に影響を与える不可視な現象でありながら、この世界に関与することで確かな痕跡を残すことのできる不思議の一端を担っていて、その意識は眠りながらにしてなお夢という現実離れしながらも決して無視することのできない認識的事実等の全てをインクルージブルする「自分」という統一的概念の軌跡を記憶として肉体の終わりまでを生きている。
そのことが部分であり全体であることの全てが私たち人間の認識に現れていて、その境界となっているのがブラックホールをはじめとした惑星や原子及び光や電子の核、そして「熱」を有した私たち人間の意識作用を含めた活動中の人間の内部等のことを“特異点”と呼んでいる。
特異点とは完全性が認識された対象の反映なのだ。
例えば完全なる空間はあらゆる空間に接地しないことから存在しない。
特異点とは完全なる対称性が担保された空間が存在できないことの顕現であることから完全なる空間は無限の圧力を有していることゆえに計測できないことと同時に現象としても存在できない。
特異点とはそういうものだ。
さらに完全なるものは存在しない、という前提の演繹法的で認識を拡張することができると人間の意識が意識として認識されているのは不完全であることが原因としてあって、その不完全な意識を原因として“これから”の原因となっていくことの萌芽が私たち人間の現象として展開されていることから完全なる存在は直ちに消滅している。
そして、不完全ゆえに私たちの認識が存在している。
私たちの認識の現象は全て結果ではなく、原因の原因であり、過程の過程なのだ。
その反映をポール・ディラックは反物質と呼ばれる特異点のことを示唆した。




