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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第3章 メニュー オブ ミストルトのために
33/64

メニューオブ『ミストルト』 オーダー#3 ヘミシンクからのサイレントマジョリティデバイス

#33


私たちの社会の情報はあらかじめ検閲されている。

言論の自由が謳われていない社会では検閲は色濃く反映されることで、あらゆるメディア及び個人の表現は公権力による審査が行われ、不適当とされると発表を禁止される、発禁という重い制約をかけられていた。

日本では、明治時代までこの検閲は国の情報統制の一貫として各組織にエージェントが派遣されることで自由を制約するための役割を果たしていたが、現在の日本国憲法においては行政主体の「検閲」は例外的に許されることもあることを経て、表現の事後規制に生かされるという形式が最高裁で認められていることから、絶対的禁止事項となっているわけではない。

そのせいなのだとは思うが、私たちの社会は不都合な自由が排除された自由を教育を常識とし、可能な限り検閲が抑制されたはずの社会の中で不都合な真実が排除された、都合の良いわかりやすい真実だけを信じる人間が量産された世界が人間の世界として認識されるようになる。


ミストルトのヘミシンクデバイスではその認識を覆す世界観を提供できる。


ヘミシンクとは私たち霊魂の認識を物質空間から切り離し、変調した意識に応じた周波数の世界を体験するための音響装置のことだ。

左右に違うバイノーラルビートと呼ばれる波長の音を流しながらその違いを調整するにあたって生じた変調意識状態のことをフォーカスとし、肉体ではない幽体状態での認識を拡張していくプロセスのことをモンロー研究所ではゲートウェイプログラムとして人間の幽体状態を普遍的なものとして研究をした。

開発者のロバート・モンローはメディアの音響関係者で自らの変調意識体験と音の周波数とが関連していることに気づいたことから、バイノーラルビートのための装置を一般の人間に向けて公開し、のべ数万人に被験してもらうことで私たちが「私」と感じている意識の世界をマッピングすることに成功した。

その階層的な意識世界をナンバリングした各領域のことをフォーカスと呼んだ。

それぞれが人間の魂の度合いによって円環化され、おおよそ7階層毎に意識の傾向及びその霊性のあり方等が円型のユニバースを展開し、その境界の7つまでが現在までの研究で公開されていることから、フォーカスの最深部は49層とされている。


円環1:フォーカス1〜7=物質だけを意識し、認識している覚醒状態

円環2:フォーカス8〜14=朦朧状態から眠りに落ち、眠りながら覚醒するまで

円環3:フォーカス15〜21=時間を俯瞰し始め、全ての一生の時間を一つに感じる

円環4:フォーカス21〜28=魂にとってのこの世とあの世の境界の領域(アストラル界)

円環5:フォーカス29〜35=魂の輪廻の中継点(霊界下層)として次の転生のプランニング

円環6:フォーカス36〜42=自分及び自分以外の大いなる存在との関係を知覚(霊界上層)する

円環7:フォーカス43〜49=宇宙構造と自らとの関係の拡張と収束を同時知覚(神界)する


これらの経験談とバイノーラルビートのサウンドの調整を成果としたものをモンロー研究所がフォーカスと呼ぶ世界観とその普遍的な再現性を面白いと思った私は、それをもっと面白く実現することはできないかと空気中のウンディーネと相談してみたところ、物質空間を埋めている(月の魂)と体内の水分とを共振させる音響を地球のもの(周波数)と同期させる処置を館内で、“あるデバイス”の発する音色にサブリミナル効果のような刺激を一定水準で繰り返すことで眠ることなく時空間を超越させる処理が可能であることがわかった。

従来のヘミシンクは一人の人間を眠りに落とすための催眠機能を前提としていて、眠りの状態で覚醒をキープし、人間意識である霊魂の認識そのものの知覚を深めていく効果そのものは素晴らしいのだが、私たちが覚醒している状態での認識である意識そのものの霊的認識を高めるのには不十分なのだ。

例えば生命体が人体秩序の維持だけではなく各部位に小さな人間を擁して検閲的な認識を神経に提供しているという知識があったり、宇宙構造が人間の魂の結晶である脳による投影であることを踏まえられるだけでも「私」という現象である精神をある程度俯瞰することは可能だが、私たちの魂は音という窓を通して霊的な世界を突き進む未来を肉体の認識を以って獲得することが今その瞬間ごとの全てに求められていることから、個々の音を作り出している秘密の本源が自分自身にあることの具体的な体験を完全に信じる邂逅が必要であると私は考えた。


それはつまり耳鳴りの向こう側のことにあたる。


いわゆる耳鳴り等の空気中の振動ではない“音を振動にしている本源”にアクセスしやすくすることで、空間を音の波で満たしている側の認識を空間そのものにまで降りてきている私たちの意識を切り替えることができれば時空間の超越を普遍的に行うことの導入を普及させることができる、というわけだ。

瞑想等を行っているとわかることだが、私たちの耳は絶えず耳鳴りを聞いている。

「キーン」という振動ではない音は常に貫かれているのだ。

ただ、その音が目立っているか、目立っていないか、意識の注意が耳鳴りに行っているか、いないかの違いがあるだけで耳鳴りのメッセージが私たちの思考や記憶の表象となって私たちの認識である感情がそれらを読み取る過程で、内外部ともに人間的な音の認識にまみれることで耳鳴りを忘れている、というよりある種の整然とした音にまとめられているというのが私たちの耳のデフォルトだ。

つまり、私たちの耳というのは振動ではなく、音を聞いているのだ。

私たちの耳は神経システムによって可聴域が20Hzから20kHzに制御されている。

この最小の可聴域は一つ年齢が進んでいくにつれて1Hzずつ増えていく。

一方でモスキート音である高周波は年齢ごとに聞き取れなくなる。

その制御が耳の部位を形成している小さな人間たちの検閲によるもの。

耳鳴りは小さな人間を振動として意識できるようになるための働きをしている。

これは振動が音なのではなく、音が振動しているのである、という意味だ。

私たち意識が音を振動として認識できているのは、音がそう認識するよう働いていることを思考し、言語にすることによって神経的な解釈を行い、地球現象を人間的な認識へと変換している。

それを私たちは自分たちの叡智であるとしているが、その叡智はある検閲を経るに至った原因の産物として地球由来のものとは一線を画した異物であり、その異物とは人間的認識から次々に吐き出されている文明そのもののことにあたる。


外耳=皮膚(最も新しい骨であり神経)

耳小骨=理解力の人(振動の受信)

鼓膜=振動の人(理解力の振動=記憶作用(エーテル/生命体作用)

耳管=意志の人(身体の四肢作用(咽頭)と結びついて鼓膜に向かう(エーテル作用)

三半規管=記憶の人(小さな水晶/結晶で音を思い出す)

蝸牛=感情の人(音を感じる小片から生きている(髄液)に音が移る)

神経=意識の人(皮膚内部に潜り込んだ内耳を意識できるようにした理性(集合魂)


人間の全ての感覚器官は三分節構造で全体と細部とで入れ子(マトリョーシカ)になっている。

人間の人体で言えば頭と胴体と四肢の三つの構造が一つになった形態のことで、耳であれば音声言語の仕分けの知覚を行うのは蝸牛から神経にかけての耳人間(思考=頭や脳)、内と外が蝸牛から三半規管で交流した音声言語の感情抽出や付与を司るリズム人間(感情=肺や心臓の胴体)、外からの音声言語の認識と表出の過程は耳管から外耳にかけての運動的部位と関連した代謝四肢と結びついた意志人間(意志=腸や手足)とが三位一体となって“音”という整然とした表象的振動の認識を作り出している。

つまり、“音”の受容とは耳だけではなく咽頭を四肢と見なした人間的認識なのだ。

例えば、「木」という言葉を聞く時、鼓膜から空気振動に寄り添って侵入してくるエーテルの流れが、咽頭から耳管を介して、自身の内界から鼓膜へと向かうエーテルの流れと向き合うことで、人間的な“音”となっている。

だから“音”とは生命体によって暗示的に作り出されているとも言えることから、私たち人間が当たり前に扱っている言語とは脳による思考の結晶であることには変わりないが、人間の頭だけで構造化して生み出されたものではないどころか、言語の音である意味(善意や悪意)が生命体の記憶と連動していることも耳の構造を通じて理解することができると言語そのものの音が私たちの才能や天賦、能力に関連した遺伝子の構造にも直接的な結びつきがあることまで見えてくるはずだ。

“声が良い”などという直感の提供とは咽頭(生命体)からの因果なのだ。

また逆に、耳から入ってくる“音“だけを精密に傾聴する機能が耳であり音であると仮定すると、耳管開放症のような難病への解決の糸口に注目することができずに不治の病ということとなってしまう。

耳管開放症とは、耳管が開きっぱなしになることで自分の声を必要以上に聞きすぎてしまうことからの不快感及び自らの肺での呼吸音や全ての臓器の鼓動音等を拾いすぎて、不眠や集中力の欠如といった症状を問題とする難病のことなのだが、この症状は耳管という局所に現れていることから肺や呼吸器官と全身との関連がリズム人間の分野でアンバランスさが現れたことを洞察することからの治療と処方が可能である、といったことがこのミストルトとは別の機関で実践的に行われていることにも私は関わっている。


その施設の研究にて開発されたデバイスをミストルトでも扱っている。


私たちはその装置をサイレントマジョリティ(SMD)と呼んでいる。

略してSMDだ。

SMDとは文字通りの無音を作り出すためのデバイスだと思っていい。

大気が全く振動していない時間的な流動が存在していない状態のことを無音と呼んでいるわけだが、熱や粒子の分子による無限の振動と共鳴の揺らぎが反射している限り無音という状況はこの宇宙ではあり得ない。

しかし、私たち意識が無音であると感じたのであればそれは無音なのだ。

眠りや気絶、病床時、走馬灯、スポーツにおけるゾーンに入った時などの状況下で私たちの意識は時空間的ではない知覚を無音の中で見聞きすることのできる認識を獲得することがある。

その状態とは肉体の瞑想状態のことであることから活性化した肉体の覚醒を意識が知覚した際の認識のことにあたり、意識が肉体への知覚の拡張にある意味到達した際のサインでもあり、サイレントマジョリティデバイス(SMD)はそのサインへの導入をある純度の高い金属を吊り下げて作った特殊なウィンドチャイムの音色を取り込むことから始める。

不純物のない金属と金属は空中に浮かばせて叩くと美しい音を奏でる。

その響きを“美しい”と変換している音そのものが私たちの主体なのである。

SMDとはその音色を振動ではない()への移行を補助するための補聴器のようなものだ。

両の耳に取り付けたSMDの内部にはシューマン共振と呼ばれる地球外周を周回している定常波を検知し、その検知した波の節である交叉点だけを取り出し、その焦点の波とウィンドチャイムの音色の振動とをちょうど半周期ずれるように調整するよう自動プログラムを施すことによって私たち意識の可聴域における完全なる無音を体験できるよう設計した。

ここでいう無音とは何も聞こえないというより空間で揺らいでいる全ての周波数が同調した節だけを認識している状態とでもいうべきで、振動ではない“音そのもの”を認識することができるようになると目に映る世界を時空間と信じていたものの光景が、やがて音そのものによって導かれるように空間と時間は隔てられることで、地上的なものであったはずの世界の空間はいくつかの瞬きの間にも満たない間隙に移行が生じると金色の地平線とピンク色の空が広がる紺碧の地面らしき何かの上に私たちは降り立つことができている。


そこにいるのがロバート・モンローがインスペックスと呼んだ検閲者だ。

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