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楽しいこと以外全部ウソの叙事詩   作者: ばんだな
第2章 時空間をデザインしている肉体のために
30/64

#30 腸と脳の融合体としての人間 生殖器と排泄器編

#30


その忘却の意志に従い私たちの多くは目が認識した物を目で見ている。

そうとしかあり得ないレベルで信じている。

でも実際は目に映った対象を脳で処理されたもの“私たちは見た”と認識している。

だから私たちは“脳を見ている“が正解なのだ。

眼とは脳のカメラであり、カメラが感受した情報を投影している脳を私たち霊魂が認識している、という説明もしっくりくるかもしれないが正確には“脳を認識しているというより再認識している“と解釈できる必要がある。

仮想カメラをイメージできるとわかりやすいかもしれない。

それもデジタル処理を確認することのできない360度のやつ。

オーグメンテッドリアリティというやつだ。

現実世界に仮想世界を重ね合わせることによる演出による映像技術のことだ。

拡張現実ともいう。

仮に朝目が覚めた時に超リアルなVRゴーグルを掛けているという感覚なしに、その全く現実と遜色のない拡張された自然映像を見せられると、余程のあり得ないことでもない限りそれが夢なのか、現実なのか、映像なのかの区別がつけられない。

それが錯覚であると気づかない限り。

私たち意識は脳が認識したものを全て現実として受け取るクセがある。

それが真実か偽物なのかは当人が決めることであって、人間の意識は自らが実在すると信じた対象の全てを自分の現実として自分の思考と価値観に投影することによって実際に見たもの以上に、自らが信じ込んだ自分で決めた心象を自分の現実であるという思い込みによる認識を生きることができる。


それを私たちの認識の世界では“観測選択効果“と呼んでいる。


観測選択効果とは見る側の立場や声質で観測結果が異なるという科学哲学用語だ。

その見解は人間の脳の仕様としても当てはめることができる。

人間の脳には脳の都合である自己保存の本能とも言える自分と他人、対象とを分別する自我を精神とした対象を“このように見るように”というバイアスがかかっている。

そのバイアスのパターンはあげればキリが無いが、よく言われているのは美女ばかりに気を囚われて背後の奇天烈現象に注意がいかないだとか、大きいものを反射的に優先して見てしまうだとか、周りの環境によって同じサイズや色のものが違って見えてしまう錯視が有名で、私たちの五感の全ては基本的に脳の都合によって錯覚させられていることから何一つとしてありのままを感じているわけではないそのバイアスのことを観測選択効果としている。

その仕様はもちろん脳の創造者であるルシファーによる設計である。

細菌やウィルスが太陽の下で生きることができないように、私たち霊魂による力の流れの知覚をはじめとした元素霊や神霊による霊的な存在の活動等を決して見ることができないのは、ルシファーが自分がかつては神的創造者であったことを完全に忘却していることの都合による。

なぜ存在が存在するのか、存在が宇宙をしているのか、人間が存在しているのか・・・

肝心なこととその核心がよくわかっていなくても色々と大丈夫でいられるのは、良くも悪くも忘却のフィルターによる観測選択効果という癖を持つ脳のおかげなのだ。

だから、人間の脳は自然と他人から身を守るためであれば対象の破壊を厭わない。

また、脳は自分が正当化されるのであれば“無罪の錯覚”を行うことから、人はみんな自分が属している社会が何をしていようが自分個人とは関係がないし、自分だけは他とは無関係で善良であると信じ、考え、自惚れていることを脳が都合よくそれが健全であるための整理をしてくれている。


その自分中心の認識が骨の髄にまで浸透した状態のことを自我の縮小という。


よく強烈に自分を通用させようとする個性を持った人間が子供をはじめ、世代を選ばず、様々なシーンでよく見られるわけだが、あれは自我が強いのではなく、自我の形成が不完全であるがゆえに魂の暴走を許している状況なのだ。

思い通りにならない、勝手にやってしまう、何となくの類は全て暴走という制御の効いていない魂の衝動に自我が負けている状態にあたる。

熱を知覚する自我組織である心臓が脳でヴィジョン化している目をはじめとした感覚器官からの神経回路の働きかけに自我が支配されていることを意味している。

何度も指摘するが私たちは霊魂によって認識を働かせて思考している。

決して臓器をはじめとした感覚器官が認識を生じさせているわけではない。

かと言って臓器や感覚が間違っているのかといえば逆だ。

私たちが対象として認識しているものは全て正しい。


ただ、その対象への判断とジャッジが間違っているのだ。


例えば網膜内の光受容体組織は目の外ではなく脳の方を向いている。

脳からの光を受信しているからだ。

脳は首から下の内臓の機能を収束した心臓からの光を受信している。

また、脳から目につながっている視神経乳頭には視細胞がなく盲点と呼ばれているが、実際は視覚に映らない部分を思考や認識で補完している。

あるいはそれを想像力(ルシファーの見せる夢)としての観測選択効果をルシファーが仕様させているとも言える構造が心臓を介した内蔵からの情報が脳によって調整されている。

これは先に紹介したリベット博士による運動準備電位に同様だ。

私たちの体を動作させようという意志の0.35秒前の脳波の受信がそれだ。

運動準備電位は電位の高いところから低いところへと働くドミノ的な電位差の往復によって私たちは自分たちの身体の刺激を自分の行いとして認識している。

その肉体の所作に現実感を与えている最大の要素である視覚に次いでリアルなのは触覚なのだが、この触覚的作用は神経細胞膜内におけるナトリウムポンプ(プラス=外)とカリウムポンプ(マイナス=内)の電位差によって霊性Ⅱの認識に刺激(触覚)として生じている。

これはナトリウムドミノだ。

要は皮膚の外部で対象が自分の肉体に接触したという視覚の発生と人体の知覚を司っている神経回路とがセットになって脳信号として認識に働きかけ続けることによって、心臓によって収束された臓器からの情報を逆転的に脱分極させることで全て物質で統一された別々のものという世界観を展開している。

この逆転的な電位的な作用を敢えてわかりにくく捕捉すると、霊性Ⅱの回路である神経が興奮的に知覚している千差万別の物質現象は、その反作用として霊性Ⅰの人体内部では四角も三角形もリンゴもゴリラも同じ対象でしかなく物質の違いどころか視覚的な認識は行えない、その代わりに各臓器ではブドウ糖やアミノ酸等が人体化学工場にて正確に分解されるという無数の役割を霊性Ⅰの眷属である元素霊が担うことによって人間人体の形態的な生命が維持されている、という対照的な構造が“自分”という一つの統一的な認識として出現している。


そして、自分という気質を決めているのもまた脳ではない。


人体内の腸環境を担う存在によって私たちの性格のための気質が働いている。

私たちの気質は基本内なる太陽(生命エーテル)にあてられている腸をはじめとした臓器及び血液の状態に決定されていて、その人体内の状態を担っている細菌やウィルス環境のことを腸内フローラと呼んでいる。

腸内フローラとは腸内の多種多様な環境をお花畑に見立て近年名付けられる。

人間の消化できない食べ物を身体に良い物質へ作り変え、腸内免疫細胞を活性化することで病原微生物から身体を守り、腸内の健康環境のバランスを維持する、それが腸内フローラだ。

この腸内環境の状態が人間の気質の融合状態を決定する性格を出現させている。


優位気質↓    大人         子供

胆汁質(火)←自我(思考が支配的) アストラル体(感情/今が支配的)

多血質(風)←アストラル体     エーテル体(生理/時間が支配的)

粘液質(水)←エーテル体      物質体(空間/未来が支配的)

憂鬱質(土)←物質体        自我(思考/前世が支配的)


性格はそれぞれに支配的な人間要素を支配している気質がファントムとして現れている。

その4つの気質のファントムの融合の現れを主に感情と意志と私たちは呼んでいる。

意志とは遂行された感情で、感情とは抑えられた意志のことだという話をした。

どんな現象も一つの単一で独立した純粋というのはあり得ない。

感情や意志がその良い例でもあるのだ。

感情とはまだ外に現れていない意志であり、まだ魂の中で引き止められている意志のことで、私たちの体内で弱められた意志がエーテル体のファントムとしてアストラル体のファントムに働きかけることで感情となる。

つまり、魂が生命の中の思考を知覚したことによる認識を感情と呼んでいるのだ。

腸環境の具合であるその強度や要望の作用に応じて感覚化されたものの親和性が物事の見方や考え方である好き嫌いとなって現れたものに、名前をつけて思考となったものの傾向のことを私たちは性格と呼んでいるのである。

その性格が社会の中で評価された気質のことを人格と呼び、そして死後において評価された気質が霊格と呼ばれるものとなる。


性格=気質(自我が血液となって細胞化したものが臓器及び肉体=気が意識化)

人格=評価された性格(主に権威に準じたものか、真理に準じたものかで分離)

霊格=評価された人格(死後、肉体への霊的価値観が霊我マナスという霊的視力となる)


また、私たちが自律神経と呼んでいる臓器の役割とは、それぞれの背後に存在している太陽系天体の思考が反映されたものとなっていて、それらの統合が腸で生成された成分を浸透させた血液を循環(運動)させる力となって現れているのがアストラル体の影である気質だ。

人間の発達における気質の推移は血液の状態変化に応じて惑星を推移している。

そういった洞察(認識)にまで自己を深めることを自我の拡張であり強化という。


1〜7歳:脳=月(銀)

7〜14歳:肺=水星(水銀)

14〜21歳:腎臓=金星(銅)

21〜42歳:心臓=太陽(金)

42〜49歳:胆臓(消化器官)=火星(鉄)

49〜56歳:肝臓=木星(錫)

56〜63歳:脾臓=土星(鉛)


これらの背後からの波動エネルギーに応じて姿を変えているのが魂の亡者なのである。


霊という自我を認識できない亡者としての人間のアストラル体の(霊性Ⅱの神経回路)は私たちが精神と呼ぶ心や思考、発想、言葉などの概念を太陽の下では見ることができない。

なぜなら私たち霊魂の作用である霊的思考の拠点は太陽の光が決して届くことのない太陽系が周回している銀河の対照に位置している一二星座の領域にまで遠く離れているからだ。

これは悠久とも無限とも言える膨大な生命を自由意志に基づいて宇宙を創造しながら泳いできた人間が人間であることからかけ離れていった軌跡を構造化したものでもある。

ルシファーの魂はその反映を宇宙として私たち霊魂の自我に認識させている。

あるいは生きているとは呼べない空気にも満たないファントムを通じて私たちは私たちの本質の一端を物質として認識とすることでルシファー自身も互い一部としてその存在を確認し合っている。

その認識の影は細菌やウィルスが太陽光の下では生きられないのと同じ反映だ。

太陽光はルシファーにとって都合の悪いものを反映させない。

またルシファーの反映である地球という環境は宇宙の反感の精神でもある。

そして、宇宙の反感である精神とは他ならぬ宇宙そのものによる産物。


それを別の言い方で人間の行いに例えると宇宙の反感とは排泄物のことだ。


だから宇宙は亡者たちの見る夢を排泄物とみなしていることから細菌やウィルスのような目には見えない生命を人間の人体に遣わせることによって抗体的なアレルギーとして出現させ、アストラル体の影である私たちの意識の認識を霊的にふさわしい状態になるよう背後から調整しているのだ。

さらに身も蓋もないことを述べることが許されるのであれば、人間の肉体の生殖器と排泄器とが近い場所にあるよう構造化されているのは人間の脳の素材が腸の外壁が折り畳まれて脊髄の頂点で、宇宙の排泄物として形成されていることと私たちの排泄物が脳に模されていることと密接に関連している。

その関連がルシファーの光が人間の魂の亡者の鍵となって肉体化している。

その関連とは宇宙の反感の中で調整し切ることのできなかった人体内の神経回路として活動の履歴という名の経験の刻印のことで、自分が何者であるかの認識の行き渡らなかった肉体の細胞状態が死後の霊格として相応しくないと判断されたとき、それらの要素が脳へと作り替えられるべく月から金星、金星から水星といった太陽までの軌道内に置き去りにされていく。

そして、それら脳となったファントムの見る夢が地球なのである。


私たちはその認識の形成現象のことをカルマと呼んでいる。

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